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自分で選ぶという選択をしたい。

年齢を重ねてきたのもあるのでしょうけど、
最近は余り悩まなくなりました。

とはいえ、以前がそれはもう悩みまくるタイプだったので
やっと人並みになれた、という感じかも。

「そもそも、何をそんなに悩んでるんだ?」
と、理数系の父によく言われたものです。
理数系とつけたのは、本人がそう言っていたから。

「理数系の自分には(文系の考え方は)分からん」
と、よく言っていました。

なので、理数系と言うだけで、ある種の畏怖を感じるのですが、
大人になるにつれ、父の意外と抜けたところも発見し始め、
それは徐々に改善されています。

両親が比較的何でも決めてしまう子供時代を過ごしたので、
家庭のことには無関心というか、お任せで育ちました。

子供の時はてんかん発作があって体が弱かったのも
あるのかもしれませんが、外で遊ぶよりも家の中で過ごす子。
共働きだったので余りうるさくも言われず、ぽけーっと
1人の時間を過ごしてて。
まあ生活全般というか、全てに欲のない、無気力さでした。

なので大人になってから苦労しました。
判断力や決断力が必要な場面で、周りの反応を見てしまう。
その他大勢が良い方でいい。多数決万歳!みたいな。

それが変わって来たのは、20歳を過ぎてから。
成人になったので、これはもうちゃんとしないと。
友人も就職して、どんどん社会人としてたくましくなっていきます。
このままじゃいけない、そう思いました。

とはいえ、今までボーっとしてたのに、急には変われません。
選択を間違えたり、タイミングを逃したり、
それで人に迷惑をかけたり、色々しました。

その度に周りの人に学ばせてもらい、助けてもらい、
少しずつ自分で決めることの経験を積みました。

ある程度経って、それでもまだまだ甘い自分に
突如起きたのが、ギラン・バレー症候群罹患です。

身体が動かない未知の体験、聴いたこともない難病、
病院にいても、元に戻れるのかも分からない。

でも、自分の僅かな神経の感覚や体の変化を伝えないと、
次の治療やリハビリが進まないのです。
自分でどうするか、どうしたいのか、どうなりたいのかを
考えて、決めて、選んでいかないといけません。

それでようやく、自分で選択肢を並べて、検討して、
しっかり選ぶということの基礎が出来始めました。
今までのはたいがい甘く、周りに頼りきりだったと感じました。

今でもなんだかんだ人任せな部分は残ってますし、
優柔不断で面倒くさがりで決められなくてなのですが、
人から強く言われたり、権力じみた圧力を感じたとしても、
自分の気持ちが「よし!」とならなければ、簡単には
「はい」と言わないだけの精神力がつきました。

それでいいと思っています。
失敗しても、回り道しても、迷っても、
自分で選んだんだしと思えるから。
その方が気持ちいいですよね。

だから、大変でも、自分で選ぶという選択をしたい。
そう思っています。

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