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温度で決まるとは

たまたま見たのか、何でかは忘れましたが、
カメの性別が孵化する時の温度で決まると知りました。

「温度依存性決定」
(Temperature-dependent sex-determination:TSD)
というらしいのですが、そういう決まり方なんだと驚きました。

ワニやカメ等、一部の爬虫類だけらしいのですが、
たまたま孵化した時に雨で涼しかったとか
そういうのでも左右されるって事ですよね。

当然わいてくる疑問は、「偏ったりしないのか」。
温暖化で気温や海水温度も上がっていると聞きましたし、
きっとオス(メス)が極端に少ないとかありそう。

センサー代わりのたんぱく質があるそうなのですが、
温度で変わるという事は、いざとなれば
その温度下においておけば調整も出来るということ?

人間の生活様式で温暖化が進んだ半面、
人間の力で協力も出来てしまうかもということでしょうか。

実際はそんな簡単にはしないでしょうし、
逼迫してるか等考えないといけない事が
たくさんありますけど、ちょっと複雑な気持ちになります。

技術や研究の進歩で、不治の病と言われていたものに
治療方法が見つかったりと良い事もたくさんありますけど、
逆に難しくなったこともあるんだろうと感じます。

本人の意思と家族の想いが違っていたりとか、
本人も家族も望んでいるのに、法の関係で難しいとか。
寿命もどんどん延びて、年金をもらう年齢になっても
何十年もあるかもしれない時代ですものね。

そんな事から、何回か尊厳死に関するセミナーに参加しました。
尊厳死はオランダやベルギーなどで認められていて、
スイスでもほう助制度があると聞きました。

いずれも条件があり、かなり厳しく審査がある様で、
やはりそこはそうであってほしいと思います。

でも、生活レベルが下がっている状態で
寿命が尽きる時まで生き続けなければならないというのは
本当に苦しいことも多いのではと不安になります。

ギラン・バレー症候群で動けない時、
起き上がれる(座位になる)可能性すら半々と言われて
「ずっとこのままなのかもしれない」となった時、
意識というか、感覚は元のままなので
やたらとくよくよ考えてしまって。

このままだったら、自分では何もできない。
このままの状態であと何年、何十年と過ごすんだ。
家族や周りの世話になるしかないんだ。
不安しかありませんでした。

不安で泣いても涙を拭くことも出来ず、
ボロボロ泣きながら、それが自然と乾く頃に
泣いても仕方ないと徐々に冷静になって。
でも1日の中で不安が波のように押し寄せてきて、
気分は上がったり下がったりでしたね。

今の私は何とか自分で起き上がる事が出来ていますが、
本当にたまたまだったと思っています。

そして病気になるって、皆に起こりうることなのに、
元気な時は考えもしないんだなと。
私も自分には関係ないって何故か思っていました。

カメの性別の話から随分飛躍してしまいましたが、
色々と考えるきっかけになりました。
そして母から自分でさえまだなのにと笑われたけど
終活にも取り組み始めました。

何があるか分からないんだと心から実感したから。
いざという時に、迷惑をかけたくない。
年齢に関係ないと思う様に、自然となりました。
話すと、かなり驚かれますけどね。

父の事を思い出します。
分かっていたのか、最後の入院前に、
大切に全部とってあった写真を
アルバムに丁寧に貼って説明書きをし、
大事そうに眺めては処分していた姿を。

アルバムは、まだ見られません。
年月が経つ方が、何故か見られなくなりました。
不思議なものです。

私もこれからは、心地良く感じる人たちや
物に囲まれて、ちんまり暮らしたい。
そう思っています。

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