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漢文石碑巡り vol6「通天閣の名付け親が遺した勧善の歌」その1(導入~第二善)

※訓読、字解、訳はすべて藤澤章次郎『藤澤南岳先生勸善歌略解』(泊園書院.1923年)を参考に、一部現代風にアレンジした。

導入

【原文&訓読】

聖化蕩蕩百物和聖化せいか蕩蕩とうとうとして百物和す)
不知何以報恩波(知らず何を以てか恩波おんぱに報いん)
君有旨酒且莫酌(君に旨酒ししゅあるも且つむこと莫く)
聽吾一曲勧善歌(聽け吾が一曲の勧善の歌を)

藤澤南岳「勧善歌」

【訳&字解】

わが 聖天子の広大な御徳の感化によって、万事万物みな和らぎ平らかに治まっている。
われ等はいかにして、この有難い御恩に報い奉るべきか。
(ただ善事を行い、善人となって、世に益あるようにせねばならぬから、)今君は旨い酒があるとも、しばらく飲むのをやめて、
まず吾が一曲の勧善の歌を歌うのを聴きたまえ。

  • 聖化せいか:天皇陛下が御徳を以てこの国を治め導かれた御しつけ

  • 蕩蕩とうとう:広く大きな形容

  • 恩波おんぱ:御恩の広く行きわたるのを水の波に喩えた語

  • :まあしばらくという意

第一の善

【原文&訓読】

皇嗣自古比天日皇嗣こうしいにしへより天日てんじつに比す)
恭敬上下結如一恭敬きょうけい上下じょうか結んでいつの如し)
厚澤二千五百年厚澤こうたく二千五百年)
寰宇之内無偶匹寰宇かんうの内に偶匹ぐうひつ無し)
奉公即是第一善(奉公即ち是れ第一の善)
勸君念念在皇室(君に勧む念念ねんねん、皇室に在れ)

藤澤南岳「勧善歌」

【訳&字解】

我が国の、天皇の御位は古から天の日に比べてある程の尊い御身である。
また我が国体は上は下を親しみ、下は上を敬っておごりあなどることなく、上下の心は互いに結び合って一つのようである。
天皇の御めぐみの厚いことは、神武天皇からこの方二千五百年あまりの久しい間、われわれ臣民に加えられてある。
このような尊い国がらは全世界中に類ないのである。
この皇室につかえ奉るの忠義が、即ち第一の善である。
君にすすめるのは、一つのおもいでも、常に皇室を忘れぬ様にせられよ。

  • 皇嗣自古比天日:天皇の位は古代から「天津日嗣あまつひつぎ」と言われてきた。また、天皇は「日の御子みこ」と言われてきた。

  • 恭敬きょうけい上下じょうか:恭しく謹み人や物を粗末にせず、君主と民の心が互いに合っているさま。

  • 厚澤こうたく:多大なるお恵み

  • 寰宇かんう:地球上

  • 偶匹ぐうひつ:類するもの、匹敵するもの

  • 奉公:君主に仕えること


第二の善

【原文&訓読】

鞠之拊之顧復之(之をきくし之をし之を顧復こふくし)
無病猶憂有則悲(病なきも猶お憂い、有れば即ち悲しむ)
謝教顔訓愛如玉謝教顔訓しゃきょうがんくん愛すること玉の如く)
不獨呱呱求乳時ひと呱呱こことして乳を求むる時のみならず)
子也皆是奉遺體(子や皆是遺體いたいほうず)
當恕至情憶大慈まさに至情を恕して大慈をおもうべし)
事親即是第二善しんつかうる即ちこれ第二の善)
勸君可傚曽家児
(君に勧む曽家の児にならうべし)

藤澤南岳「勧善歌」

【訳&字解】

(親の子を育てるには、)之をなでやしないふりかえって見たり、くりかえして気をつけたり、(一時も子のことは忘れはせぬ。)
病気がなくても気をゆるさぬ、まして病になったらば悲しみ歎かれるのである。
謝安や顔之推がその子孫のために教訓を残しているのも、(畢竟つまり、良い人になれと思う心からであって、)その子を玉のように愛し重んじている
ただ呱呱ここと泣いて乳をほしがる嬰児あかごの時に可愛いがるばかりではない。
まして子たるものは皆父母の肉や血を分けられて居るではないか。
父母の恩情なさけの深いことを思い遣り、父母の慈愛の大きいことを忘れぬ様にせねばならぬ。
即ち親に事えて孝であること、これ第二の善である。
ここに曽参そうしんの孝行にならうことを君に勸めるのである。

  • 謝教しゃきょう:晋の謝安が夫人に答えて「我れ常に自ら子を教ふ」といったこと。謝安(320-385)は若いうちは王羲之らとつるんでいて、ぷー・タロウをやっていて、40歳でやっと仕官した。ある日、教育熱心な奥さんに子の教育に参加してくれと頼まれて、「俺の生きざまこそが教科書だ」と答えたとか答えてないとか…

  • 顔訓がんくん:顔之推は子弟をおしえるために三篇の書を作って、いまでも顔氏家訓といって世に残ってある。

  • |曽家児


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