カンベン先生 最後のあがき2(ああ懐かしき「げんこつ文化」)
ああ懐かしき「げんこつ文化」
そもそもの始まりは、南田少年の悪戯だった。学校に居ついた三毛猫を、中庭の池に投げ込んだのだ。とはいえ、まあ、それだけの話である。喫煙でも飲酒でもなく、いじめでも暴力でもない。
しかし、当日たまたま近くに居合わせて、いち早く事件を知ったのは、小柳という中年女性教員であった。彼女が、担任の若林か学年主任の私に言ってくれたのなら話は簡単だったのだが、直接生徒課長に注進したのである。「動物愛護の観点から重大な問題だ」というのが小柳の見解だ。よって、この件は生徒指導の案件となり、生徒指導委員会が開かれた。
だが今回の案件は、生徒指導委員会の内規で想定していない内容である。たとえば喫煙なら「謹慎処分7日間」、いじめなら「無期謹慎」と相場が決まっているのだが、南田の行為は「その他の不良行為」にあたり、前例も見つからないため、どのような指導が適切なのか分からない。だから、生徒指導委員会も紛糾した。
事情聴取にあたった教員からの報告は、極めて単純だった。南田は近くにいた友達を面白がらせようとして猫を池に投げ入れた、それを目撃した女生徒がことの顛末を小柳先生に伝えに行った、南田は「まずい」と思って自分で猫を池から出した、そして今はとても反省している、とのことだ。
「信じられない蛮行です」と、小柳が言った。「猫がかわいそうです。」
若手教員たちはうなずいている。担任の若林までうなずいている。おいおい、おまえさんは南田をかばってやる立場だろ。
「最低でも謹慎処分7日間でしょう」と言ったので、私は驚いたが、若手教員たちは深くうなずいている。若林もそのひとりだ。
ここで少々補足しておく。生徒課は若手教員が多い。生徒と接する機会が多いので、年齢的に生徒に近い若手教員が選ばれるのだ。年配の教員は、生徒課長の森岡と私だけだ。もうひとりオブザーバーとして、教頭の中津川がこの会議に入っているが、彼を入れて私たち3人は皆50代後半。ほか、小柳の年は知らないが、年配と言ってはかわいそうだ。
「本当に、信じられない蛮行です」と、また小柳が言った。「猫を殺そうとするなんて。」
「殺そうとはしてませんよ。」仕方なく私が口を挟んだ。「南田は面白半分にやったんです。」
「面白半分に猫を殺すなんて、なお悪いじゃありませんか!」と、ややヒステリックに小柳が言う。
「殺そうとはしてませんよ。それに、猫は死んでもいません。」少しうんざりして、私が繰り返す。
「でも、猫は死にそうな目にあいました。」
「そうかもしれない。でも、南田は猫を殺そうとしたわけではない。」
「あなたは分かってない。」そう言ったとき、小柳の声は急に震え始めていた。「あなたは、あなたは、猫の、猫の、気持ちが分かってない。」信じられないことだが、小柳は泣き出していた。「それじゃあんたは猫の気持ちが分かるのか」と、誰もが思ったはずなのだが、誰もつっこまなかった。皆大人なのだ。
「あなたは、猫が好きじゃないでしょう」と、小柳は泣きながら私に向かって言った。どうしてそういう話の展開になるのか? 私には彼女の思考回路が理解できなかったので、黙っていた。
「だいぶ昔の話ですが」と、教頭の中津川が口を挟んだ。「この学校で同じような事件があったとき、3日間の謹慎処分でした。」いっきに話の方向を転換させ、結論に持って行こうとするところは、さすが教頭である。彼は以前この学校に長く勤めていたが、約15年ぶりに教頭として戻って来た。だから、昔のことをよく知っている。
「それはいつの話ですか」と生徒課長の森岡。
「15年ほど前のことです」と中津川。
そして、中津川は金魚事件について説明した。たいした事件ではない。やんちゃな生徒が生物部の水槽に、ふざけて固形洗剤か何か異物を入れたところ、10匹の金魚がすべてが死んでしまったという。この話で会議も結論に近づいてきたようで、皆ほっとした様子であった。
「猫と金魚は違います!」と、しかしそこへ、また小柳。「あなたがたは猫の気持ちが分かってない!」
「だいぶ昔の話ですが」と、私は少々ヤケクソになって言った。「同じような事件があったとき、げんこつ3つで済みましたよ」と。
「それはいつの話ですか」と生徒課長。
「昭和だ。」
「昭和だ」と私が言ったあと、誰ひとり詳しいことを聞こうとはしなかった。若手教員たちは黙って下を向いて、私と目を合わせようとしない。こういうときは黙っているべきだということを、百も承知はしているが、かまわず話し始めた。
「私が高校生だったとき、昭和58年か59年のころのことですが、同級生にアホなやつがいて、放課後校内で猫を捕まえて犬の首輪を付け、猫の散歩だと言って遊んでいました。そこまではよかったのですが、アホな同級生は猫の首輪をけやきの木にくくりつけたまま忘れて、家に帰ってしまいました。翌朝登校した他の生徒たちが、けやきの木のもとでぐったりしている猫を発見して、先生に知らせたのです。」
「猫が、猫が、かわいそうです!」と小柳。
「その日のうちに彼は、生徒課の教員に呼ばれて、げんこつをもらいました。1つなのか3つなのか分かりませんが、それは問題じゃありません。大事な点は、それで四方が丸く収まったということです。あのころ、げんこつはひとつの文化でした。昭和には、げんこつ文化というものがありました。いい時代でしたよ。」
「でも、今はもう昭和じゃない。」
「黙れ、ネコヤナギ」と、私は心の中で言った。
しばしの沈黙ののち、若林が恐ろしい質問をした。
「菅野先生も、げんこつをしたことがあるのですか」と。
「ない」と、私は言うしかなかった。そりゃそうだろ。「あります」って答えられるか?
「もちろんそうだろう」と慌てて教頭の中津川も言った。「げんこつはいかんよ、げんこつは」と。そして私を見て顔をしかめて繰り返した。「げんこつはいかんぞ」と。
「でも、昭和のころは許されていたんですね、管野先生」と若林。
「もうたくさん!」と猫柳。「管野先生に昭和の話をさせないで。」
「私が高校3年生の時のことです。」構うものか。私はしゃべるぞ。「私は自分からげんこつをもらいに行きました。」
ここでは要点だけを述べよう。
高校3年生の春、インターハイ予選を前にしていたころのことだ。私は陸上部でハードルの選手だった。なんとしても県で上位に食い込みたくて、放課後は毎日必死で練習していた。
ところが、私は英単語テストで不合格となり、放課後に追試を受けなければならなくなった。その追試に行くことを、うっかり忘れてしまったのだ。
悪気はなかった。ハードルのことで頭がいっぱいだったのだ。
英語の先生は体が大きかったため、ジャイアンと呼ばれていた。翌日私は
ジャイアンに呼び出されて、英語準備室でげんこつを食らった。大きな手をグーにしてゴツンと頭に一発やられた。とても痛かった。しかし、それでおしまい。説教は無し。追々試に来いとも言わなかった。
私は次の英単語テストも落ちた。その日の昼休みに自分から英語準備室へ行き、「げんこつをください」と頼んで、一発食らった。それで私は放課後の追試は免除され、ハードルの練習に専念できた。
そうやって、ジャイアンから結局5回ほどげんこつをもらったと思う。彼は私の事情を察してくれていたようで、3回目からはだいぶ優しいげんこつになっていた。
「管野先生は、その話から何を言いたいんですか」と生徒課長。
「げんこつは、生徒のためのものだった。以上!」
「いい時代だったよな」と、教頭がぽろっと言った。
「ところで、南田の件ですが・・・」と森岡はすかさず話題を変えた。それに、そろそろまとめなければいけない時間帯だった。
私は学年の指導に任せてほしいと言った。つまり、学年主任の私に一任してほしいということだ。しかし、教頭が真っ先に反対した。「管野に任せたら何をするか分からない」という気持ちが、表情によく表れていた。結局は「家庭謹慎3日間」という案に、私と猫柳以外全員が賛成した。
さて、家庭謹慎の期間は3日間だが、間に土日が入って実質5日となる。2年部の教員が、土日のどちらかで家庭訪問に行くよう言われた。しかし、担任の若林がどちらも大事な用事があって行けないと言う。だったら、謹慎処分に賛成するなよ!
私だって、土曜は終日部活の大会引率があって、日曜日は一人暮らしの母のもとに、家族でご機嫌伺いに行く予定だった。が、やむなく私が日曜日に行くことにした。すると猫柳が(お気づきだと思うが、途中から小柳を「猫柳」と呼んでいる)、一緒に行きたいと言った。
日曜日の午前、南田家を訪れ、猫柳が小一時間説教をした。彼女が、「猫を溺れさせて何が面白いのか?」と聞くと、「池は浅くて猫は溺れていません」とのことだった。きっとそれは本当なのだろう。南田少年は確かにちょろいヤツだが、決してワルではない。
南田家からの帰り、私の車の中で猫柳に聞いた。「彼が猫殺しでないことは、分かってもらえましたか?」と。彼女はそれに答えずこう言ってきた。
「管野先生、せめて会議の場では、昭和の話をやめてください。」
なるほど、今後は注意をしよう。私は、猫柳のはっきりものを言うところが、嫌いではないのだ。