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カンベン先生 最後のあがき11(いざ、聖地へ)

 前回は、おしょう突き飛ばし事件について書いた。おしょうは県の教育委員会に転出した。私はおしょうと和解できず、後味の悪い思いをした。
 私たちが心のわだかまりを解くのは、ずっとあとのことだ。そのとき、私は今まで感じたことのないほどの敗北感を味わうこととなる。このことについては、いずれ書かなければならないと思っている。

 今回は久々に現在に戻る。令和6年(2024年)の12月で、私は58歳だ。勤務しているのは、中央地区にある県立の総合高校である。便宜上、中央総合高校と呼ぼう。
 私は2年の学年主任をしている。先日修学旅行に行ったのだが、そのときの出来事を忘れないうちに書き記しておく。

いざ、聖地へ

 修学旅行は4日間で、広島、倉敷、姫路、大阪と回った。幸い晴天に恵まれた。私たち2年部の教員12人が、200人の生徒を引率した。生徒たちは落ち着いていて、大きなトラブルを起こさなかった。
 むしろ手がかかったのは教員の方だ。2年部には、小柳や若林などネコ事件でお馴染みの教員がいる。今回の出来事の発端も、このふたりだった。
 ネコ事件については、第2回「ああ懐かしき『げんこつ文化』」を参照してほしい。ちなみに、小柳はアラフォーの女で、若林は30歳ほどの男だ。

 1日目は宮島に泊まった。厳島神社のライトアップが、幻想的な美しさだった。問題はその夜に発生した。
 11時から私は、フロアの見回りをした。生徒には見回り時間を知らせておいたから、騒いでいるバカはいない。と、高をくくっていたら、奥の方から笑い声が聞こえる。周りが静かだから、その分やたらと響く。
 「ガハハハ・・・」女の笑い声だ。
 鍵は開いていた。女子部屋だが構うものか。ドアをガバッと開けた。
 「うるせー!」と、私は一喝した。
 「あらあ、見回りご苦労様です。」笑って言ったのは、小柳だった。

 うるさかったのは女子職員の部屋だった。小柳と姫宮が入っている。姫宮というのは、20代のマドンナ的女子教員だ。
 「生徒は寝てるんだぞ」と私は言い、その奥をのぞいてギョッとした。ジャージ姿の若林と酒田が、並んで正座していたのだ。奇妙なことに、頭の上にはみかんを乗せている。
 「そういうプレイが流行ってるのか?」と、私は努めて冷静に聞いた。
 「こういうプレイが流行ってるんです」と小柳。
 「おれはこのふたりに聞いてるんだ。」
 「無理です。口を開いたらみかんが落ちるでしょ。そしたらまた最初からやり直しになるんです」と小柳が言い、「ふふふ」と姫宮が笑う。
 ピピピピと、アラームが鳴った。
 ふうっーと、若林と酒田が深く息を吐いた。同時にふたりの頭からみかんが落ちて、転がった。そのみかんを姫宮が拾って、皮をむいて食べ始めた。
 私が呆れていると、「管野先生もどうぞ」とひとつ差し出して「ふふふ」と笑った。私はこの女が苦手だ。何を考えているのかまるで分からない。
 「事情を聞かせてもらおうか。」

 「数か月前、家庭謹慎中の南田君の家に行きましたよね」と、小柳が説明を始めた。「若林先生が、大事な用事があって行けないと言うので、私が代わりに行ったときのことです。」
 「覚えてる。」
 「若林先生は、その日、ラブ・スターズの聖地に行ってたんですって。」
 「ラブ・スターズ?」
 「最近流行ってる学園ものの、美少女系アニメです」と姫宮が補足して、「ふふふ」と笑った。
 「これですよ」と、若林が誇らしげにスマホで画像を示した。
 「プリキュアか?」と私は聞いた。娘が小学生の頃夢中になっていたプリキュアに似ていたのだ。
 「全然違うでしょ。」若林はムッとしたように言った。
 「若ちゃんの推しは、りんごちゃんでした」と、酒田が会話に割り込んできた。「そして、ぼくの推しはあんずちゃんなんです。」
 「それで?」
 「最近、若ちゃんの推しが変わりました。知ってますか?」
 「知らないし、知りたくもない。」
 「管野先生には知ってほしかったのに。」と酒田。
 「ところで、どうして酒田先生もいるんだ?」と私。
 「酒田先生も共犯です。ふたりで行ってたんですよ」と、小柳が答えた。「だから、ふたりで正座してもらいました。」
 「なるほど。あたまにミカンを置いたのは?」
 「姫宮先生です。それを見て大笑いしてたのも、姫宮先生です」と小柳。
 「ふふふ」と姫宮がまた笑った。

 2日目は、宮島から倉敷へ。
 3日目は、姫路城からUSJへ。
 最終日の4日目は、大阪や京都で班ごとに自由研修をする。京都駅に3時に集合できれば、どこに行ってもいい。私たち教員も、この時間は自由行動が許された。
 「管野先生はどこへ行きますか?」と、小柳に聞かれたとき、「伏見稲荷だ」と言っておいた。

 私は基本的にぼっちが好きだから、伏見へもひとりで行った。表参道の入り口で、中央総合高校の女子生徒数名とすれ違った。
 「管野先生も来たんですね」と言っていた。ということは、ほかにもここに来た教員がいるのか。まあ、当然か。伏見稲荷は、もっとも人気のある観光地のひとつなのだから。
 「お参りは?」と彼女らが言うのも構わず、私は通り過ぎた。
 そこからわずか数分のところに聖地はある。聞いてはいたが、建物はほとんど解体されていて、見る影もない。ただわずかに正門付近に、かつてのたたずまいを感じさせる雰囲気が残っていた。
 「ここが・・・」と、感慨にふけっていると、後ろでよく知る声がした。
 「管野先生!」振り返ると、小柳と姫宮だった。「やっぱり、先生も来たんですね」と小柳が言い、「ふふふ」と姫宮が笑う。
 「なんにも残ってない」と小柳がため息をつく。
 「泣き虫先生、出てこーい。ふふふ」と姫宮が言う。
 伏見工業高校が今年の3月で閉校となり、解体作業に入ったという話を聞いたのは、「スクール・ウォーズ」の再放送が始まってすぐのことだ。そのとき、必ずここを訪れようと決めたのだ。
 「君たちは、よくここに来ようと思ったな。」
 「スクール・ウォーズの再放送、毎日録画して見てました」と小柳。
 「おれもだ。」
 「私も。ふふふ。」
 「スクール・ウォーズ」は、令和6年9月27日から11月の初めまで、平日の朝26回にわたって再放送された。だが、それを小柳たちが見ているとは、思ってもみなかった。
 「だって、昭和ブームじゃないですか」と小柳。
 「ほかにも来ますよ。ふふふ」と姫宮。
 「ほかに誰が?」
 「アホのサカタとバカバヤシ。ふふふ。」
 「アホの?」

 「おーい」と声がして、見ると酒田と若林が角を曲がってこちらにやって来るところだった。やがて、正門前で私たちは合流して5人になった。
 「お待たせしました」と酒田が言う。
 「どうして?」と私が聞く。
 「ぼくたちの趣味は、聖地巡礼なんですよ」と若林が答えた。
 「ふふふ」と笑いながら、姫宮は酒田を小さく指さしている。その目で、「これがアホのサカタです」と言っていた。
 アホの坂田が亡くなったのは、ちょうど1年ほど前の、令和5年12月だった。82歳だった。棺には「アホ」の衣装を入れ、斎場では「アホ」のテーマソングを流して話題になった。
 結婚をしなかったのは、子供が「アホの子だ」と言われるのがかわいそうだったからだ。生涯アホを貫いたアホの坂田のプロ意識に、私は敬意を表したい。

 「では、始めましょうか」と酒田が言う。「ネコさま、お願いします。」
 そう言われて小柳がふたりの前に立った。そして、小声で叫んだ。
 「おまえら、悔しくないのか!?」
 「悔しいでーす」と、若林と酒田が声をそろえる。
 「おまえら、勝ちたくないのか!?」
 「勝ちたいでーす。」
 「じゃあ、今からお前らを殴る。」すると小柳は、「ニャン・パーンチ」と言いながら、ふたりの頬を順番に、ペチャッと軽くたたいた。

 「管野先生、若ちゃんの今の推し、誰か知ってますか?」と酒田。なぜ今また、その話題なのか?
 「知らないし知りたくもない。」
 「伊藤かずえなんですよ」と、酒田が嬉しそうに言う。
 「おい、酒ちゃん、それを言うなよ。」
 「では、ヒメさまお願いしまーす」と酒田。
 「おまえら、キ〇タマついてんのか!?」と姫宮は、まったく遠慮のない大きな声で言った。
 「ついてまーす」と、ふたりが嬉しそうに言う。
 「おまえら、チ〇チ〇ついてんのか!?」
 「ついてまーす。」
 「じゃあ、今からお前らを殴る。」すると姫宮は、「おともだちパーンチ」と言いながら、ふたり頬を順番に、ペチャと軽くたたいた。
 「ありがとうございまーす」と、ふたりは礼を言う。
 「そういうプレイが流行ってるのか?」と、私は聞いた。
 「はい。管野先生もやってもらってください」と酒田。
 「アホに付き合うつもりはない」と、私は言った。

 伊藤かずえは「スクール・ウォーズ」の主要な登場人物で、最初は謎の美少女として現れた。
 例の名言を吐くのは第3話だ。その言葉で、付き合っていた森田を激励したのだ。現在ではありえないこの言葉も、昭和では月並みなセリフだった。
 私は小学校の頃、女の担任によくこの言葉を言われた。元気がないからと言って、「キ〇タマついてんのか!」。女の子に優しくしなかったからと言って、「キ〇タマついてんのか!」。弱音を吐いたからと言って、「キ〇タマついてんのか!」・・・
 そういう話を4人にしたら、「すごい」と感心されたのだ。

 花園で4回も頂点に立った伏見工業も、時代の波には勝てなかった。
 帰りの新幹線の中、夢に泣き虫先生が現れて、「おまえ、キ〇タマついてんのか!?」と言った。答える間もなく「じゃあ、今からお前を殴る」と言ったので、私は覚悟した。「泣き虫パーンチ」と言って繰り出されたパンチは、しかし、私の頬を軽くペチャッとたたいただけだった。

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