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カンベン先生 最後のあがき10(おしょう突き飛ばし事件)
今でも、まるで武勇伝のように、こんなふうに語る教員がいる。
「授業で生徒がたるんでいたから、怒って教室を出てきてやった。そうしたら級長たちが、謝りながら職員室におれをお迎えにきたよ。」
こういう行為には賛同できない。生徒に腹を立てて教室を出て来るとは、なんと大人げない振る舞いではないか。しかもそれを自慢げに語るとは、どう料簡なのか。恥ずかしくないのか。
私は教育実習で、騒がしい生徒たちに「バカヤロー」と怒鳴って、教室を出て来てしまったことがあった。(第4回「熊ちゃん先生の教え」参照)そのとき指導担当の熊田先生は、笑いながらこう教えてくれた。
「教室は、教員にとって戦場だぞ」と。
私たちが戦場を放棄して良いわけがない。
おしょうが1年生の教室から出て来たとき、最初に思い出したのは、そのことだった。
さて、前回は初任校で出会った天敵おしょうのことを書いたが、あの話には続きがある。今回はもちろんその続きを書く。
おしょう突き飛ばし事件
平成2年(1990年)に教員2年目となった私は、初めて1年生の担任になった。12月に私のクラスの生徒とおしょうがもめた。(第9回「昭和最後の善意」参照)
そして、私は忘年会で、「おしょう突き飛ばし事件」を起こした。
最初におしょうについて書く。
平成2年より遡ること19年、22歳のおしょうは新規採用教員として、半島高校の全日制に赴任した。職員住宅が空いていなかったので、近くで住み込みの下宿を探した。
その下宿先が、製塩業で財を成した大塩家で、そこにはひとり娘がいた。おしょうは半島高校に4年間いたあと、遠方の進学校に転出した。直後、電撃的にお嬢さんと結婚して周りを驚かせた。
伝え聞くところでは、お嬢さんは下宿人となったおしょうのだらしなさに呆れ、「私がなんとかしてあげなくては」と思い、結婚を決意したという。
おしょうは婿に入った。ふたりは、おしょうの勤務先の近くに住んだ。
おしょうは4年後にそこを出て、中高交流制度で中学校に3年間勤めた。そのあと7年ぶりで半島高校に戻ってきた。ただし今度は定時制である。
それから8年が経った平成2年には、おしょうは41歳になっていた。
恒例の忘年会は、地元老舗旅館の大広間で行う慣わしだった。大きな畳敷きの部屋で、私たち60余名がちょうど入る広さだった。料理はめいめいのお膳に置かれ、私たちは座布団の上に正座してそれを食べた。
余興が始まると、脚をくずすことが許される。だが、私と坂本はアオバアの前だったので脚をくずさなかった。幹事による悪い冗談で、1年前の忘年会以来、宴の席ではいつも、私たちはアオバアの両隣を指定された。
私と坂本はせっせとアオバアに酌をした。
若手の余興は、まるちゃんと友蔵じいさんのお面を付けた2人組が「おどるポンポコリン」を歌うという、品の良いものだった。歌い終わったあと、アオバアはでかい声で言った。
「おまえらの『おどるポコチ〇』って歌、良かったぞ!」わずかに失笑が起こった。
「アオバア、おれたち3人がひそかに『タマキ〇トリオ』って呼ばれてること、知ってますか?」
「なんでタマキ〇の無いあたしまで入ってるのさ。でも、まあ、いいじゃないか。『金太の大冒険』でも歌ってデビューしてみるか?」
「最近は必殺技を封印しているのですか」と坂本が聞いた。私たちは1年前の忘年会を思い出した。(第1回「アオバアの必殺技」参照)
「あたしゃ、これが最後の年だよ。きれいに消えていきたいんでね。」
「ちびまる子ちゃん」は、1990年の初めにTV放映が始まり、一躍人気番組となっていた。主題歌の「おどるポンポコリン」も大ヒットし、この年のレコード大賞に輝くこととなる。
1年生もほぼ全員が、日曜日の夕方6時からこのアニメを見ていた。
数日前、いが栗頭でお調子者のクリやんという男子が、教卓の上で横になって、「ちょっとだけよ」をやっていた。そのとき私は思い違いをした。
「お前たちにそんなことを教えたのは、誰だ?」
「おしょさまじゃありません」と、クリやんは言った。「おしょさまは、もう面白いことを教えてくれません。まるちゃんでやってたんです。」
私も「ちびまる子ちゃん」が大好きだ。秀樹やドリフなどの昭和文化を伝えてくれた功績は、計り知れないものがある。
この年の忘年会で、アオバアはすぐにぐでんぐでんに酔っ払った。珍しいことだ。私と坂本が両側から支えて、アオバアを部屋に連れて行った。
宴会場に帰ってくると、おしょうが私たちの席の前にいた。私たちはまた正座した。
「おい、ボーズ、ホース、お前ら調子に乗るんじゃねえぞ。」
ホースとは坂本のことである。馬面だからそう呼ばれたのだ。
それにしても、おしょうはかなり酔っていた。
「おめえら、おれを笑ってたな。大塩家の余りものって言ってただろ」と、おしょうは絡んできた。
「言ってません」と坂本。本当に言っていない。ばかげた言いがかりだ。
「おれたちは『踊るポコチ〇』の話をしていただけですよ」と、私は投げやりに言った。これがおしょうの神経を逆なでた。
「おれを愚弄するんじゃねえ。大塩家の婿に入って何が悪い?」なんでそういう話になるのか?
「何も悪くありません」と、坂本は困惑して言った。
「ボーズ、おめえはおれが授業でドリフの話ばかりしてると思ってるんだろう。」身に覚えがあったので、私は何も言えなかった。
「アオバアに気に入られてるからって、いばるんじゃねえ。だいたい、おめえらはアオバアにチ〇チ〇を握らせただけじゃねえか!」
「ははは・・・」笑いに紛らせようとした。私たちは宴会場で、注目を集め始めていた。これ以上おしょうにエスカレートしてほしくなかった。だが、かえって火に油を注いでしまったようだ。
「おれを笑うんじゃねえ!」おしょうが爆発した。そして、急に意地悪い笑みを浮かべ、いやらしい口調でこう言ったのだ。
「おめえら、アオバアとやってるな。」一瞬意味が分からなかった。「おめえら、アオバアとやってるだろ。」
その瞬間、私はコップのビールを、おしょうの顔面にかけていた。
「てめえ、なにしやがる!」
「謝れ。アオバアに謝れ。俺たちに謝れ。」
「いきがるんじゃねえ」と言って、おしょうは私の左耳をつかんで、雑草をむしるように手前にねじった。想像以上に痛くて、思わずおしょうの前に倒れそうになった。足をふんばった瞬間、膝がお膳がぶつかって、おしょうに向かって料理がひっくり返った。
「あちい!」とおしょうが叫び、反射的に私の耳を強く引っ張った。私はたまらずおしょうを突き飛ばした。おしょうは向こう側にドシンと尻もちをついて、目を白黒させた。
即座にゴリ教頭がやって来た。私たちの間に割って入ると、おしょうを介抱し始めた。
私は今でも、これを正当防衛だと思っている。だが、突き飛ばしたのは事実だ。おしょうに謝るべきだった。
ある教員はこう言っていた。「ボーズがおしょうに向かって膳をひっくり返し、おしょうを突き飛ばした」と。
そうなのだ、被害者は尻を打って痛がっているおしょうのほうなのだ。
こうして忘年会は惨憺たるものとなった。アオバアがいなかったのが、せめのもの救いだ。私と坂本が部屋に下がると、お開きになった。
部屋に帰ってから、私は急に悔しくなってきた。おしょうに対してではない。自分に対して悔しかったのだ。
どうして突き飛ばしてしまったのか? どうして我慢できなかったのか?
それに引き換え、ワダテルは立派だった。彼は、同じような目に遭ったとき、我慢したではないか。
会場を出るときゴリ教頭が来て、「おしょうに謝るように」と言ったが、24歳の私にはそれができなかった。私は悔しい。自分の小ささが悔しい。どうして「すみませんでした」のひと言が言えなかったのか。
それに引き換え、ワダテルの父親は立派だった。すぐに謝りに来たではないか。非はこちらにあったというのに。
気がつくと、腹の中にどんよりした後味の悪さが残っていた。私はおしょうを傷つけると同時に、自分自身を傷つけていたらしい。
同じ職員室にいて、私とおしょうは口もきかなくなった。こういうことがあった場合、一方が転出するのが一般的な解決方法だった。そして、普通は勤務年数の長いほうが出るものだ。
ところがおしょうは、それを強く拒んでいるという。縁者の県会議員に働きかけているという噂もあった。私は転出することを覚悟した。
校長なのか、教育委員会なのか、県会議員なのか、誰が画策したのか分からないが、この問題はウルトラCの人事によって解決された。
なんと、おしょうは県の教育委員会に配属されることとなった。もちろん指導主事となる。実に不可思議ないきさつで、おしょうは出世コースに乗ったのだ。こういう人事なら、おしょうは応じないわけにはいかない。
おしょうは、進学校も中学校も定時制も経験していた。これは十分な経歴だった。41歳という年齢もちょうど良かった。
生徒会主催の送る会で、おしょうは胸を張って挨拶した。表情は明るかった。なぜかクリやんだけは、悲しそうな顔をしていた。
そして職員の私たちは、みんな同じ不安を抱いていた。生来の怠け者であるおしょうに、指導主事の仕事が務まるのだろうか? だらしないおしょうに、単身赴任での生活ができるのだろうか?
案の定、1年もたたずにおしょうは戻って来た。その後しばらくすると、海岸で、製塩のために海水を撒くおしょうの姿が見られるようになった。
その姿を見て、私は腹の底にふたたび、どんよりした冷たい鉛のようなものを感じた。
私がおしょうと和解するのは、これよりずっとあとのことである。