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カンベン先生 最後のあがき7(タイム、タイム!)

 前回は、2024年現在陸上部で指導している牛島のことを書いた。先日行われた新人戦の県大会では、自己記録を更新できなかったものの、準決勝まで進むことができた。私は満足している。
 ところで、私は初任校では男子バレーボール部を持った。バレーボールのことなどまるで分からず、失敗ばかりしていた。
 今回はそのときのことを書く。1989年の4月、ちょうど消費税3%が始まったばかりのときから話は始まる。

タイム、タイム!

 今から35年前の平成元年に、私は教員人生を出発した。22歳だった。
 当時は、希望に燃えた新任者を、強制的に辺鄙な場所の高校か、夜間定時制か、指導困難校か、特別支援学校に行かせたものだ。
 私の場合は、半島の先にある高校の、夜間定時制だった。便宜上、半島高校定時制と呼ぼう。

 私が初めて半島高校定時制の職員室に入ったとき、ゴリラに似た教頭がいた。皆は愛情を込めて、ゴリ教頭と呼んでいることを、あとで知った。
 定時制は17時30分から始まり、21時までに45分授業を4時間行う。部活ができるのはそのあとわずか45分ほどだ。生徒は1年から4年まで1クラスずつで、それぞれ20名ほどしかいない。
 「菅野先生には、バレーボール部の顧問をやっていただきたいのです。」教員になったばかりの私に、ゴリ教頭はこちらが恐縮するほど丁寧な言葉遣いで話した。ただし、顔はゴリラであったが。
 「分かりました」と、私は言った。「でも、バレーのことは何も知りません。どうやって指導すればいいのでしょう?」
 「練習の流れはできています。技術指導は必要ないでしょう。『自分も仲間に入れてくれ』というスタンスでやってください。」
 「気持ちが楽になりました。やってみます。」

 その数日後から授業が始まり、バレー部も初めて集まった。私はジャージを着て、買ったばかりの膝サポーターをつけて、体育館に出た。
 部員は、男子5人、女子1人の、計6人だった。
 「私は1年目で分からないことばかりです。バレーのこともあまり知りません。みなさんと一緒に活動しながら覚えていきます。ぜひ仲間に入れてください。そして、いろいろと教えてください。」
 部長は4年生の和田ミツオで、ワダミツと呼ばれていた。ワダミツは部員となにやら相談していたが、私にこう言った。
 「先生、バレーで一番大事なことはレシーブをしっかりすることです。だから、まずレシーブを覚えてください。ぼくらがスパイクを打つので、先生はぼくらの打つボールを受けてください。」
 「よし、レシーブだな。任せておけ!」
 こんなに早く仲間に入れてもらえるとは! 私ははりきってコートに入った。

 生徒6人がボールを持ってネットの反対側へ行き、女子部員のミキがセッターになってボールをあげた。5人がスパイクを、私に向かって次々と打ち始めた。私はコートの真ん中でうろうろするばかりだった。想像以上にボールが速い。
 顔面に当たりそうなボールが来たとき、私は思わず避けてしまった。
 「先生、逃げちゃダメですよ!」
 「じゃあ、どうすればいいんだ?」
 「顔で受けるに決まってるでしょ!」
 「本当か? おれには、できそうもないぞ。」
 そう言っている間にも、ボールはバシバシ飛んでくる。レシーブなんてほとんどできない。そのうちに、ワダミツとミキが目くばせしたように見えたので、不意に疑問が湧いた。
 「タイム、タイム!」と、私は両手でTの字を作ってアピールした。
 「何だ、先生?」
 「あのな、なんだか不公平な気がしてきたぞ。どうしてスパイクは5人もいるのに、レシーブはおれひとりなんだ?」
 「当たり前でしょう! この練習は先生に覚えてもらうためにやってるんですから。先生、がんばってください。」
 「そうか、すまなかった。」
 そしてさらに15分ほど、私はおもちゃにされたのだ。その当時の私は、これが生徒による新米教員へのイジメだなんて、思いもよらなかった。それほどウブだった。ようやく終わったとき、私は彼らにお礼さえ言ったのだ。
 「みんな、ありがとう。バレーって、たいへんだねえ。」

 ところが、次の練習からはイスが用意された。私は座って見ているだけでいいと言われた。もの足りなかったが、私は従った。
 まだ4月の初めだというのに、もう定時制大会の案内が来ていた。練習のあとワダミツが来て、私に言った。
 「先生、選手が足りません。」
 「6人いるじゃないか。」
 「ミキは女ですよ。入れるわけにはいきません。」
 「あんなにうまくても出られないのか?」ミキはバレーボールの経験者だったため、ワダミツの次にうまかった。
 「当たり前でしょ」と、ワダミツはムッとして言った。そして、私に部員集めをしてくれと頼んだ。
 「甘えるな」と、私は言った。「仲間集めは一番大事な仕事じゃないか。君たちでやりなさい。」
 「どうやって集めたらいいですか?」
 「自分で考えなさい。ワダミツに任せる。2週間で集まらなければ大会の申し込みに間に合わない。なんとかしろ。」
 そうは言ったが、私は1年の授業中、さりげなくバレー部の勧誘をしていた。しかし、まったく手応えがない。時間だけが過ぎていった。その間も、バレー部は懸命に練習を続けていた。
 部員6人のうち、ワダミツを含めた3人が4年生だ。このままでは、彼らの最後の大会が無くなってしまう。なんとかならないものか?

 10日ほどのち、2人の1年生が見学に来て、そのまま入部した。ワダミツが勧誘したと言う。2人とも動きが良い。
 「彼らを口説くのには、頭を使いましたよ。」
 「よくやった、ワダミツ。どうやって口説いたんだ?」
 「大会のあと、管野先生がラーメンを奢ってくれると言いました。」
 「はあ?」私は驚いた。
 「先生は、ぼくに任せるって、言いましたよね。」
 「分かった。でも、二度とその手は使うな。それは反則だからな。」

 大会の直前、教員チームと練習試合をやって、バレー部が僅差で勝った。他の生徒も見に来て試合は盛り上がり、チームに弾みがついた。
 この試合を組んでくれたのはゴリ教頭だった。彼は心配して、時々部活を見に来ていたのだ。実は、2回目の練習から急にイスが出てきたのも、ゴリ教頭が裏で手を回してくれたおかげだったのだ。

 そして、大会当日。
 出場校はわずか3チームだった。2ゲーム先取の総当たり戦で、優勝チームだけが県大会に進むことができると言う。
 1試合目の対S校戦は順調に勝った。問題は2試合目の対K校戦だった。K高校は毎回優勝して県大会に進んでいる。
 試合が始まる前、私はワダミツにこう言われていた。
 「先生は監督ですが、ベンチに座っていればいいです。余計なことはしないでください。ただし、我々がピンチになったらタイムをとってください。先生にできるのは、そのぐらいですから。」
 「よし、タイムだな。任せておけ!」

 1ゲーム目は接戦の末、なんと我がチームが取った。喜びは大きかった。
 しかし2ゲーム目に入ると、あっさり3点差をつけられた。
 「タイム、タイム!」と、私は必死でタイムを取り、「落ち着こう、集中しよう」と、ありきたりのことを言って、ひとりでジタバタした。
 しかし試合は、そのままズルズルいってしまい、6点差になった。
 「タイム、タイム!」と、必死で叫んでチームを呼び、また同じことを言った。完全に流れは相手のものだ。たとえこのゲームを取られるにしても、次につながるゲームにしなければ。
 そのあと挽回して、相手に詰め寄ったが、再び引き離されてしまった。
 「タイム、タイム!」と私が叫んだとき、横でミキが「え?」という顔をした。私がいくらアピールしても、主審も副審も反応しない。
 「おい、タイムだ!」と、私は怒鳴った。
 「あんた、ふざけてんのか!」と、K校の監督が怒った。
 主審が「まあまあ」と取りなしてくれて、タイムは1ゲームに2回までだと教えてくれた。そうだったのか!
 そのとき私は、穴に入りたいほど恥ずかしかった。それは本当だ。だがそのあと相手が2ゲーム目を取りそうになったときには、すっかり気が動転して、「タイム、タイム!」とやってしまい・・・
 「あんた、本当はふざけてるだろ!」今度は、あの温厚な主審が怒鳴ったのだ。私は凍りついて、返す言葉もなかった。

 そういうわけで、2ゲーム目は取られ、3ゲーム目もあっさり大差をつけられ、タイムも取れないうちに負けてしまった。
 駅前のラーメン屋に寄ってみんなに奢った。8人でラーメンを食ったが、お葬式のようだった。

 大会から1週間ほどした夜、ワダミツら4年生が、職員住宅にやって来た。全日本バレーの中継を録画したビデオを持っていた。
 「先生が頼りないから、おれたちが教えてやらなくちゃな」と言って、ビデオを見ながら、彼らが解説してくれたのだ。その夜は遅くなって、結局3人は私の部屋に泊まって行った。
 こういうことは、今では完全にアウトだが、当時は大目に見られていた。そして、私にとってそれは、かけがえのない時間だった。
 「それにしても、まさか4回もタイムを取るとはね」とワダミツ。
 「もう言わないでくれ。」
 「主審がなぜ怒ったのか、先生は分かってないだろ。」
 「うん。なぜだ?」
 「そうしなきゃ、相手の監督が切れちゃうからだよ。K校の監督は切れやすいからね。そうならないように、主審が先に切れてみせたんだよ。」
 「本当か?」
 「主審は良い人だよ。あのあと、よく頑張ったねって言ってくれたし。」
 「君たちにはすまなかった。」
 「いいよ。おれたちが一番辛かったのはね、試合に出られないかもしれないって思いながら練習してるときだった。出られて本当に良かったよ。ありがとう。」
 ああ、この言葉が私を救ってくれたのだ!

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