勝海舟の住まい 赤坂の話がしたい 7
いきなり、勝海舟!
小学校1年生で読んだ伝記には、でたらめな親父の小吉と、滅法出来のいい麟太郎が出てきて、塾の行き返りに犬に睾丸をかまれて死にそうになったり、蘭学を学びに赤坂に来て、それから赤坂で新居を持ち、その家に龍馬が来たりしたりていたことを、7歳だった僕はよく覚えている。
この流れで大学では日本史学専攻に進んだわけで、麟太郎くんは大きな影響を僕に与えている。
なのに、いきなり勝海舟!
それも、初対面のカズマから。
福岡から赤坂に持ってきた中公新書『勝海舟』の地図には、右の中ほどに「氷川明神」とあり、すぐ左横にBと示されている。あとで確認したが、ここがカズマに案内された勝海舟邸だ。「維新の動乱期のほとんどをここですごした」と説明がある。
カラーの地図は、人文社『切絵図・現代図で歩く 江戸東京散歩』。⑨とある場所に、はっきり「勝麟太郎」と書いてある。
ここですよ、ここ。
興奮してあまりよく覚えていないのだけど、はす向かいの建物を指したカズマから、「ここは火付盗賊改、長谷川平蔵の生まれた場所です」と言われたことは覚えている。
そして、連れていかれたのが、「赤べこ」という店だった。
昭和の定食屋というたたずまいだが、かなり騒がしい。店に入ると、カズマは、「町会に入りたい、という人です」と僕を紹介した。
途端に、「おー!」という歓声が上がった。こういう場所は普通、完全アウェイな感じで、お互いおずおず探りを入れていくものなのだが、すでにみんな酒が入っていた。30人くらいいたのだろうか? あちこちから「ここに座れ」と声がかかった。
(2020年5月23日 FB投稿)