〈雑記〉ちげーよ! 気持ちくないって! お前、そういうことするのな!
はい。こんにちは。
言葉は変化するものらしいですね。いや、「らしい」というか、三十代半ばを超えると如実に自分の肌感と異なる言葉に出会うようになりました。
ということで、この記事は僕が自分の肌感を基準にして言葉を挙げ、理由とともに説明してみようという文章になります。念のため誤解なきよう補足しておくと、言葉の変化を否定しているわけではないということです。
ただ、「僕は使わないなあ」というレベルで許容できない言葉として捉えているものを厳選して紹介することとします。
※以下の考察は、大半の部分が僕の個人的な考察であり推論の域を出ません。あしからず。
1.〜のな(動詞の原形+のな)
(用例1)
「だ、だって、クラスのみんなの前だと恥ずかしいじゃん──」
「お前、俺以外の男の前じゃ恥ずかしがったりしおらしい態度とったりするのな」
(用例2)
「だって、違うじゃん。私は──」
俺の前で彼女が泣くのはいつぶりだろうか。いや、初めてのことかもしれない。
「洋子って、他人のことでそんなに本気になって泣けるのな」
(意味)
理解と確認を表すときに使用されると思われる。※「〜のにな」(願望)とは異なる。
(個人的解説)
用例で記載したとおり、アニメとか漫画なんかで時々見かけます。特に学園系の主人公(男)が、ヒロイン(サブヒロイン)含めて、ある程度の仲のよい対象に使っている印象があります。※初出展を調べるほど暇じゃないので調べてませんが。
また使用される場合は基本的には口語である認識です。フランクな地の文や、アニメなどの心情台詞としては出会ったことがないと思います。あくまで、目の前に口語の対象者がおり、声を発する時のみで使われているのではないでしょうか。
おそらくですが、変化する前の言葉は「〜のだな」でしょう。口語変化として「〜んだな」でも良いと思います。つまり、
【「泣くのだな」or「泣くんだね」
→「泣くのな」】
という変化であると僕は認識しています。
原形を分解して本来の意味を探ります(※僕は言語学には詳しくないのですべて予想ですが)。
【動詞 + の だ な】
「動詞+の」=(動詞)をすること
「だ」=断定を表す
「な」=終助詞=独り言風にする。心の声を発言した形にする。
つまり、会話の相手に対して、(動詞)することを断定しつつ、独り言や心の声として発言している口語ではないかと思います。これにより、相手に弁明の余地をある程度与えることができる効果がある言い回しだと言えるのではないでしょうか。
では、「〜のな」はどうでしょう。
【動詞 + の な】
「動詞+の」=(動詞)をすること
「な」=終助詞=独り言風にする。心の声を発言した形にする。
「だ」=断定 が抜ける効果により、表現として柔らかくなっているのかもしれません。そもそも「〜な」がある時点で、相手に対しては相当量の余地は与えていると思いますが、更に柔らかくなっているんですかね。
ここで気づいたのですが、断定の「だ」が抜けることにより、「である」という表現が欠落するわけですから、〜すること+な(終助詞)となり、僕はなんとなく文法的な不完全さを感じます。これが僕の違和感の正体かと思います。
また、「動詞+のだな」から「動詞+んだな」に変化した時点で、口語的には既に柔らかくなっている印象があります。それをわざわざ、元の形から「だ」を抜いた形「のな」にする理由が僕には理解不能です。
なんなら、言葉として発した時の、口の形の動きを考えてみてください。「〜のだな」は確かにめんどくさい発音ですが、「〜んだな」としただけで十分発音しやすいです。
なのに、あえて「〜のな」って、めちゃくちゃ違和感があるんですが、僕だけでしょうか。わざわざ口の形の変化が大きい「〜のな」とする理由が不明です。
なんなら、こっちまで腑抜けてしまうよな欠落感に襲われるだけなんですよね、僕にとっては。
はい。
専門外なのでこれ以上議論を深めることはできないので、「〜のな」はここまでです。
ところで、なぜ「動詞+のな」という表現が生まれたのでしょうか。言葉として分解してみたものの、単純な欠落と退行であり、発生原因が不明すぎます。なので、もう完全なメモとして発生原因の予測を記載しておきます。
・元々は打ち間違い等のしょうもないミス
・カッコつけたいがために、なんか柔らかく言おうとした結果で発生した。そしたら、意味もなんとか伝わるので誤用とされなくなった。
・文法的には不完全な印象を受けるが、特に口語であるから許された。
・実は主人公の粗野な物言いであるが、柔らかくなっている印象だけに引っ張られを適切に感じられた。
いや、まあ、よくわかりません。
誰か初出展っぽい時期が分かる方は教えてください。※妻曰く、2008年の『街へいこうよ どうぶつの森』の狼のチーフ等の一人称が「俺」のキャラクターが使用しているらしいです。
個人的には絶対に小説の台詞でも使いませんね。それに、そもそも「〜のな」って言いそうな人物を書かないと思います。
2.ちげーよ
(用例1)
「もしかして、まだ母ちゃんと風呂入ってんの?」
「は? ちげーよ!」
(用例2)
「これがほしかったんだろ?」
「ちげー! それじゃねえ!」
(意味)
異なっている、間違っていることなどを宣言している。主に強い否定の際に使われる……気がします。
(個人的解説)
初出展はいつ頃なんですかね。僕が中学生の頃──二十年程度前には存在していた気がします。同級生がここぞとばかりに、得意げに、「俺にとっては〈ちげー〉って言うのが普通だぜ?」みたいな雰囲気を出しながら使っていた記憶があります。
さて、「違う」については言語学での研究があるようです。
それは「違う」は動詞に分類されているものの、他の動詞とは異なる性質を持つと理解できるというものです。もう少し説明すると、動詞「走る」「歌う」のように「動きを表す」ものではなく、「違う」は静止している状態を表して使われるため、動詞にも関わらず形容詞的な理解ができるという点です。
したがって、文法的破格が出現し、「違う」が形容詞型で活用して使用されることが許容されていっている状況のようです。
例は以下です。
・従来の動詞としての五段活用
→「それ、違わない?」
・形容詞型の活用
→「それ、違くない?」
おそらくですが、後者の表現を見聞きしたことがあるのではないでしょうか。他の形容詞型の活用としては、「違かった」「違ければ」のような形も挙げられるでしょう。正直、僕は後者のような形容詞型の活用には違和感があるのですが、若者言葉として許容されつつあるようです。
さて、やっとここで「ちげー」に繋がる話が登場します。
「違う」の連体活用について
・従来の動詞としての五段活用
→「違う人」
・形容詞型の活用を適用したとき
→「違い人」
ううーん。違和感がありますよね。通常の形容詞だと「おもしろい人」「かっこいい人」となり違和感がないんですが、「違い人」という表現は見聞きしたことがない気がします。
そこで、口語的な若者言葉を使ってもう少し粗野な言い方にします。
・「おもしれー人」
・「かっけー人」
・「ちげー人」
あれ? なんだか聞いたことのある表現になりましたね(なんなら少し腹たちますが)。形容詞の連体形を粗野にすると、「ちげー」が登場するのです。
まとめると、「ちげー」の発生経緯は以下のように整理できるのではないでしょうか。
①動詞「違う」が他の動詞とは異なる性質を持っており形容詞的な理解ができる。
②「違う」を形容詞的に活用させることが許容されてきた。
③形容詞の連体形の活用「違い人」には違和感がある。
④しかし、若者言葉として形容詞的に変化させ「ちげー人」となり許容された。
⑤「ちげー」だけが独り歩きし、単独での使用が許容され始めた。
ここからは僕の違和感の正体です。
「ちげー」の原型は動詞の「ちがう」ですよね? 一方で、「おもしれー」の原型は形容詞の「おもしろい」なんですよ。
だから、この二つの言葉について、変化前の原型と変化後を並べると──
・「ちがう」→「ちげー」
・「おもしろい」→「おもしれー」
となり、「いや、そうはならんやろ」という違和感が「ちげー」にはあるんです。まあ、実際に「ちげー」を使っている人は形容詞的な意味で「ちげー!」って言ってるんだと思います。
また推測が入りますが、「ちげーよ!」と言っている場合に、実は以降に言葉が省略されているんではないでしょうか。
「ちげー(ことだ)!」「ちげー(人だ)!」みたいな省略です。この考察が正しければ、連体形に活用した「ちげー」が成り立ちます。
だって動詞として言うなら「違う!」と言えばいいわけで、形容詞的に言っているから「違い(ことだ)!」→「ちげー(ことだ)!」となるのでしょう。
まあ、実際に口語で使用される場合はもっと安直に使用されているんだろうと、僕は思うんですけどね。だって、中学の同級生が「ちげーちげーちげーちげー」って言うの、めっちゃ鬱陶しかったですもん。
ちなみに、名探偵コナンの有名な台詞、「バーロー」とは違いますよね。この場合は「ばかやろう」が言いやすく変化して「バーロー」となっているので、僕は許容できます。
なぜ僕が「バーロー」を許容できて、「ちげー」が許容できないのかは、口を動かせば分かります。
「ばかやろう」ってめっちゃ速く言ってみてください。「バーロー!」になるでしょう? だって母音としては違和感がないんですもの。「ば(a)か(a)や(a)ろ(o)う(u)」ですから、子音が略されていって「バー(a)ロー(o(u))」となり得ます。
でも、「ちがう」をめっちゃ速く言ってみてくださいよ。母音は「ちが(a)う(u)」なんですから、何をどうこねくり回しても「ちげー(e)」になんてならないですよ。
じゃあ、もう普通に「違う!」って言えよってなるんです。だから、「ちげー」って言われるとびひゃー!! ってなります。
3.気持ちくない
(用例1)
※マッサージをしながら
「なあ、ここが良いんだろ?」
「ん──気持ちい」
(用例2)
※マッサージをしながら
「お。もっとそこ、それ続けてくれ」
「いいよ、気持ちくなって!」
(意味)
気持ちが良い。気持ちが良くない。
(個人的解説)
単純なパターンですが、出会った際に常に「うぎゃあ!」ってなってたので挙げました。
一応解説してみます。
①「気持ちが良い」…主語と述語がある。
②「気持ちがいい」…ひらがなになる。
③「気持ちいい」…「が」が略された。
④「気持ちい」…???
なんですかこれ、形容詞になってませんか? いや、明らかに形容詞として認識されてますよね。
だって、また形容詞的な活用しちゃうんですもんこれ。「気持ちくない」「気持ちかった」とか、見かけたことありませんかね。
つまり今回は、元は二語文であった「気持ちがいい」が、単語「気持ちい」と形容詞的な扱いをされるに至っているということではないでしょうか。
いやいやいやいや、あなたは許容できますか? 僕は許容できません。僕は。
特に「気持ちい」については、楽をした方向性が間違っているという感覚を強く受けてしまうんですよね。しかも、楽をするって言っても、「いい」を「い」として短くしていますが、省略としても弱く、更には「最後が「い」だから形容詞!」みないな安直さが僕はたまらなく許容できません。
なんなら、マッサージ“等”の最中みたいなムーディーな場面で聞かされたら、僕は一気に興ざめしてしまうんじゃないかと思います。
おわりに
いや、いいんですよ。言葉は変化するんでしょう? それは構いません。僕が許容できないだけであって、許容できる人の割合が増えていく度に、新しい言葉は社会的な受け入れ体制が整うのですから。
それに僕は「言葉は心なので大切に扱いたいのです♡」みたいな清い心を持っているわけじゃないので、別に変わったら変わったで、それでいいんです。いいんですよ、もう。
実際、今回挙げた三つの表現はマンガやアニメ等で不特定多数に向けて発信されているわけですから。
もちろん、この約五千字の文章中にもあなたが許容できない表現が存在することは否定できません。僕らは、完全なる証明を持っていなければ、何も否定できないんです。権利とかどうとかじゃなくて、完全なる否定には完全なる証明や論拠が必要でしょう。
はい。
なんかよくわからんくなってきました。とにかく、全てを否定するのはちげーよ! ってことですね。否定されれば、気持ちくない人もいるわけで。時には否定されることで泣いちゃう人もいるのな、と思います。
うわあ、ぞっとした。
おしまい。またね。