I dream,sweet dream inside nightmare
ようやく意識を取り戻した私に、「おはようございます」、人工知能が語りかける。この狭い宇宙船の中、どれくらいの間、眠ってしまっていたのだろう。記憶がかなり不鮮明だが、人工交配に必要な生物の遺伝子を採取するため、数千光年離れた惑星に移動しようとして失敗したところまでは覚えている。
「現在の座標は」
私の質問を聞くと、少々困った顔をつくってみせた。何度か首をかしげ、いかにも神妙な様子は人間と変わらないが、彼女は特殊な金属と鉱物、あとは聞いても分からなかった物質や機関でできている。私の長旅の理由でもあるが、もうこの世界には人類はほとんど残されていないのだ。
「私達は、まさに基点にいます」
基点、というのは我々人類に残された僅かなフロンティアのひとつ、やっと見つけた恒星から最適な紫外線や熱を得られる座標にある宇宙ステーションの事を意味している。
しかし、レーダーで哨戒できる範囲には、あの巨大な宇宙ステーションは視認できずに、代わりに惑星がひとつ見えるばかり。恐ろしくなった私は、いくつか質問を投げかけたが、どの回答もよく分からない・不明であるというものばかりだった。
「過去にタイムスリップした可能性があります」
宇宙暦になり数万年過ぎたこの世界でも、タイムスリップという言葉は常用されたが、死屍累々の上に進歩した科学は”過去への”それを完全に否定して久しい。彼女が冗談を言うとは思えないし、常に遠距離通信によって情報が更新されているはずなので、故障でなければ、何か新しい理論のacceptがあったのかもしれない。
「それじゃあ、ここが過去のフロンティアだという仮説の論拠を教えて欲しい」
彼女は訝しげな表情を崩さず、いたって真面目に、磁気や重力場の影響を列挙したが、そのどれもが”未来への”タイムスリップを力強く肯定するもので、私の質問の回答としては不適当だと思えた。しかし、この状況が高度な人工知能にとっても解析し得ないものである証左ではないのだろうか、と考えた私は、一旦、よりフィジカルな情報を収集したいと提案すると、二つ返事で、良い提案です、と彼女は言った。
もともとの目的からして当然なのだが、この宇宙船には、惑星のリサーチと地表への自動アプローチ機能が備わっており、私がするべき事は確認と決断だけだ。
「着陸して問題はない?」
先程までのこわばった表情がなくなった彼女が、問題はない、と私の質問に答えると、続けて着陸シーケンスを許可した。すると宇宙船は数秒間のジェット噴射を続け、ガタガタと小刻みに震えながら、みるみるうちに惑星に近づいた。そして近づけば近づくほど、その青さを視認し、記憶が蘇っていった。
ここは、この青い惑星は、紛うこと無く、私が生まれた場所だった。厚い大気圏に突入し、圧縮断熱で窓からの景色が薄く青紫や赤色に変化した事で、さらに私の期待は確信に変わっていった。
「地球、地球だ。ここは地球に違いない。間違いない?」
彼女が答えるより先に、船が大気圏を突破し真っ青な海をはるか上空から臨むと、感情が震えるのが分かった。どれくらいぶりなのだろうか。気づけば、視界が滲み、大粒の涙を流し続けていたのだ。
彼女は、私が指示したシーケンスの完了を告げると、嬉しそうに外気は適温で、酸素量も十分であると伝えた。事実ではあるが、証明できていない、という事は科学では当たり前に存在するわけだし、今はただこの目にうつるものだけを信じればよいと思った。
宇宙船は昼の空から夜の空へと星を横切り、やがて真夜中の空をゆっくりと降下して着陸した。窓から街の様子を伺ったあと、酸素レベルなどの問題がないか確認し、船から一歩踏み出すと、人工酸素ではない自然の酸素をおそるおそる吸い込んだ。少々クセのあるものだと感じたが、問題はないようだった。彼女は、私が不安がっていると、海が近いせいだろうと言った。
はるか遠くに見える無数の巨大な建物が光っているのを見て、どんどんと私はこの場所が、自分が生まれた場所であるという根拠を積み上げていった。やはりここは東京だ。夜でも恒星の近くを通った時のように明るい。遠くに見えるのはスカイツリーだろうか。私は、宇宙船に光学迷彩を維持し続けるように指示し、思い出したように彼女に質問をした。
「西暦何年の地球だろうか」
彼女は、2020年の5月28日、と答えた。
真っ暗な砂浜を歩くと、高校生か大学生がやったのだろうか、花火のゴミがいくつか落ちているのが分かった。明るい市内が近づき、喧騒が増すにつれて、私は記憶を取り戻していった。あまりにも過去の事だったから、人間の脳しかもたない私には、覚えていられず忘れてしまっていたのだ。
西暦2020年、私は寿命を全うせずに死を迎えた。正確に言うと、”私達”だ。地球に何があったのかは目覚めた時に教えられたが、すっかり実感がなかった。地球は住めない星になったが、人類は宇宙にでて生き残った。そして、フロンティアを地球の周囲と月に創り、やがて月も惑星の衝突で滅んだが、それでも人はたくましく宇宙を開拓し、数千年かけて太陽や惑星がなくても生きていけるだけのテクノロジーを発展させていった。
しかし、人という生き物は外形だけでなく、遺伝子も実に脆く、か弱い。長く宇宙で生きてきた人類は次第に交配する能力を失っていき、原因の究明も解決もできないままに、滅ぶのを待つだけとなったが、そこに現れた救世主が”リサ”と名付けられた人工知能だった。彼女は凄まじい速度で科学を発展させ、必要な資源を分析・特定し人類に力を与えていった。
そして涙ぐましい努力の果てに手に入れたのが、私を含めた古代の人類、今私が降り立った地球に住む、西暦2020年を生きた人達の遺伝情報だった。つまり、正しくは、私は肉体と記憶を再現された古代種であり、遺伝子が損傷していない、交配可能な種というわけだ。もちろん性交による繁殖といった非効率的かつリスクのある方法は取らず、人類は少しずつだが希望の芽を育てていった。
私はぶつぶつと独り言を言いながら、あるところに向かっていた。自分が生まれ、育った場所にだ。歩くと相当な距離があるが、お金を持っていないから、とにかくなまりきった体にムチを打って進んだ。
川をこえ、ビル街を抜け、喉が乾いて倒れそうになっても止まらなかった。一刻も早く確かめたかったからだ。そして、もしそうなら、私の願いが叶うなら、もう一度、私はここで最後の時を過ごしたい、愛する人達に会いたいと願った。何万年の時間を遡って、私はここにたどり着けた。そう思うと鼓動が高なっていった。
見慣れた通り。街灯。急に静かになる住宅街。
「ここは、私の生まれた場所だ」
つい口にした言葉に、彼女は、
「とても不思議ですが、確かめてみましょう」
と嬉しそうに言った。
門扉をあけ、夜遅くなった時いつもそうしたように、丸石を踏んでやかましい音がしないよう庭を気をつけて歩いた。家のドアの前に立ち、開くと、キッチンから母親が顔を覗かせた。
何も持っていない私に驚いたのか、母親は駆け寄ってくると、いくつも質問をしたが、私はもう、ただただ抱きしめられたくて、何も答えず泣きながらしがみつくと、何も言わずに抱き寄せて頭を撫でてくれた。
「どうしたのかな。わからないけれど、おかえり。」
喜びで涙したあと、私は急速に、暗く、冷たく、鋭利な刃物で体のどこかを刺されたような感覚に支配されていった。
「リサ、質問があるの」
私がそう言うと、母親が困った顔をしたが、気にせず続けた。
「今、私がいる場所の座標を教えて欲しい」
彼女はすぐに、基点だと答えたが、遮るように、
「本当の事を教えて欲しい」
と言った。困ったような表情を私の脳内に送る彼女に、私は辟易した。知りたくない事を、知らされるかもしれないという恐怖も同居し、言葉を荒げていったが、何度質問しても、的を射ない。
埒が明かないと思った私は、庭にでると、いよいよ確信にせまった。ここが”私が生きた”地球である可能性を潰していったのだ。詰問を繰り返す度にリサは苦しそうな表情に変わり、あたかも本当に人間のように苦悩した。人工知能でなければ、涙していたのかもしれない。
そして、どうやら、最後に残った疑問を問いただしても、私が幸せになる事はなさそうだと分かったが、もう真実を知る他ないとも思った。
「リサ、私は真実を知らなければならない。それがどんな苦しい事でも。だから嘘をつかず、はぐらかさずにYesかNoで答えて」
「わかりました」
「私が今いる場所の座標は、基点ではない」
「Yes」
「今、私は、私が生きた2020年の地球にいる」
「No」
「私は眠っている」
答えようとしない彼女に、お願い、と言うと、彼女は困ったような笑顔で、「Yes」と力なく言った。
眠っている。私は、眠っていて、夢を見ている。どの自分が見ている夢なのだろう。2020年?それよりもっと後なのか。
「私は、宇宙船内で眠っている」
「Yes」
散り散りに僅かに残った私の記憶をかき集めて見せた夢だったのか。そう思うと、リサがなぜこんな事をしたのか理解できなくなった。
「私は今、長距離移動中の船内でコールドスリープ中か」
「Yes」
「解凍は可能か」
「Yes」
「解凍を推奨するか」
「No」
「なぜ推奨しないか簡潔に教えて欲しい」
簡潔に、と言ったのに、ずいぶん回りくどかったり、遠回しだったり、なんだか本物の人間のように、彼女はワープの途中で起きた現象について、現在はおろか、数千年後の科学力をもってしても困難で解決不可能な状況を時に感情的に説明していき、全てを聞き終えた私は、不思議と少し穏やかな気持ちになった。
「リサ。人工知能は嘘をつけない。そのように創られていたはずなのにね」
私の言葉にバツが悪そうにしながら、彼女はごめんなさいと言った。そして、意を決し私が彼女がまるで人間のように苦しみながら考えた最善の解決策を実行するように命じると、悲しそうな顔で、
「それが最良の選択です。それでは、どうか良い夢を」
ああ、ここまで人工知能が自己進化をして、あと少し、本当にもう少しのところだったのにね。暖かい光に包まれると意識が遠のいて、次の瞬間、私はもうすぐ梅雨が始まりそうな、5月の終わりに目が覚めた。