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魔女の慟哭
真夜中、ビルの屋上で、強風にふかれ眠る少女と私の髪が舞う。私は迷っている。もう時間がほとんど残されていない。その事実には、もう50年も前から嫌という程に苦悩し続けているのに、結局慣れもしないで、もう終わりにしたかった。
ビルは私の持ち物で、屋上には誰も来ることがない。真っ暗な街を、狂気を帯びた光が照らしている。少女は12歳の誕生日を迎えたばかりだった。その柔らかな新芽のような生命を奪わなければ、たちまち私の命が奪われてしまうのだ。
眠る少女は、私の孫にあたる。その天使のような寝顔を悪魔に奪われるのは、誰のせいでもない、自分の責任なのだ。特注して作らせた”ある時”を毎月つげる腕時計が、あと10分だと警告しているけれど、少し昔話をしたい。ほんの数分で終わるから。
*
50年前の今日、私は自ら命を絶とうとした。理由はいくつもあるが、結局はこの世界に絶望していたのだと思う。あの時も同じように、怪しく光る摩天楼が東京の空を染めていた。私が人生を終える場所、その地面を走る豆粒のような車を見下ろすたび、足がすくんだ。
何十分も迷い、恐怖に逡巡したあと、私はそこから飛び降りることをやめた。ある男に止められたのだ。
「死ぬには若すぎる。何を苦悩するのか」
優しく問いかける紳士の瞳は、一切の光の反射を許さぬ漆黒で、見つめるだけで居ても立っても居られなくなる。いつの間にか、この世界の不条理や苦しみの根源にある富が憎くて憎くてたまらないのだということにとらわれて、頭から離れなくなってしまった。
「この摩天楼を支配する人たちが憎い」
そう呟いた私の髪を男は優しく撫でると、
「札束で床が落ちるほどの富を与えてやろう」
と言った。
家に帰った私は困惑した。部屋に置いてあったテレビ、ソファ、そのほか沢山の思い出達を飲み込むように札束が積まれていたからだ。天井にまで達するそれらは、乱暴に敷き詰められ、玄関から先には進めなかった。
少しの間呆然とすると、札束の壁に手を伸ばし、一枚を引き抜いた。紛れもなく、本物の1万円札だ。夢か現かわからぬまま、ふらふらとした足取りでコンビニへ行き、200mlの小さなウイスキーを買うと、公園でそのまま一気に飲み干してしまった。ずいぶん強い酒だったのに、酔えなかったことを覚えている。
それからすぐに私は大学をやめた。私は金に困らぬ人生を送るために勉強をしていたのだから、もう在籍する意味がなかったからだ。大学をやめたあと、すぐにニューヨークへ行った。使い切れぬ金の一部を持って、マンハッタンで一番高いホテルの最上階に泊まった。そして29日目の夜、私は初めて人の命を奪った。
相手はナイトクラブで出逢った男だった。21歳の白人で、長髪が美しい人だった。親が資産家で、アメリカに遊びに来ているのだと告げ、ホテルの最上階に泊まっているから来ないかと誘うと、彼は二つ返事でクラブをでようと言った。
強力な眠剤で眠る彼を、なんとかして床に置いた棺にいれると、ハンドルを10回まわした。なかで骨か何かが砕かれる音がして、吐きそうになったけれど、ごめんなさいと何度も言いながら、工程がおわったことを知らせる音がカチッと鳴ってレバーが跳ね上がる。天使のような絵が彫られたボタンを押すと、棺の横についた蛇口から、ピンクの美しい液体がこぼれ、あわてて小瓶で全部受け止めた。
それから毎月1度、と言っても摩天楼で男と契約した日から起算してだが、人を殺めていった。
男と交わした約束はとても簡単なものだった。12歳から22歳までの男女の命を、月に一度、ひとつ小瓶に詰め込むということだった。ピンク色の液体を詰め込んだ小瓶は時計が深夜12時をまわると男がどこからともなくあらわれて貰い受けていったが、12歳までの命は集められず、22歳までという制約の理由は訊くことさえできなかった。
長髪の美しい男の命を奪ってから次の一ヶ月はあっという間にやってきた。ありあまる富のことよりも、どうやって命を集めるかでいつも頭がいっぱいだった。そして、最初は罪悪感から、なるべく「奪ってもいい命」を選ぼうとしていた。そんなものはないはずなのに。
二人目も男だった。どうしようもない男で、私の髪を引っ張ったり、顔をぶったりするような人だったが、棺にいれるとどうしようもない悲しみに包まれてしまう。ハンドルをまわし、すりつぶす度、私の心は麻痺し、壊れていった。
それから長い月日が過ぎた。若かった私は、ついに老い、若い男を捕まえるというのが難しくなっていった。若い人の命というのは、ただ一人孤立して育まれているわけではない。突然いなくなれば当然探すだろうし、いつか私は逮捕される。そうして、私はある契約を交わすようになった。“何不自由のない暮らしを約束する代わりに、家族のうち、一人の命をもらう”という契約だ。
とてつもなく大きな街を山に建て、無数の貧困家庭をそのまま引き取った。自分の戸籍に彼ら彼女らをくわえ、裕福な暮らしを与える代わりに、時期がくればひとつの家庭でたったひとり、12歳になった子の命を貰い受けた。
*
「ああ、あの時。あの場所で飛び降りればよかったのね。この生命がなくなっていれば、たくさんの命を奪うことはなかった」
少女の手と、その手を握る老婆の手を見比べて、どちらが生きるべきなのか、そう考えると自然と言葉が漏れた。時計がハンドルをまわしはじめるようにと警告をしても、私は少女の手を握り続けた。しまいには、時間は過ぎてしまった。
けたたましくアラーム音が鳴り響くのも心地が良い。呆然としながら、奪わずに済んだ若い命を眺めていると、どこからか、あの時と同じように男が私の前にあらわれた。
「やっと決断できたね。君は今、死ぬには十分に老いた」
私は頷き、
「この子を、どうか魔女にはしないでおくれ」
そう言うと、男は笑ってみせた。
今度はためらうことなく人間の欲望を吸って煌めく摩天楼から身を投げた。
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