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「だからこの人が好きなんだ。」②慈憲一さん(naddist/”灘区民”)
ナダタマ主宰●naddist note主筆●摩耶山リュックサックマーケット世話人●水道筋シークレットサービス●坂バス無駄乗りの会●東神戸マラソン発起人●六甲縦走キャノンボール運営●灘百選の会事務局長●摩耶山再生の会事務局長●灘大学学生課●マヤ遺跡ガイドウォーク案内人●西灘文化会館管理人●となりの人間国宝さん
慈(うつみ)さんのことを書こうと思うと、いつも、ちょっとわらける。ひとつも的を得ない肩書き。モジャモジャの天パ。だいたい名字が「慈(うつみ)」ってキラキラネームだし。
山なんてまったく興味がなかった麻雀打ちでバンドマンの私が、登山部や下山部をつくり、薪ストー部で薪を割りはじめたりしたのは、ただ、この慈さんといっぱい喋りたかっただけでした。
神戸のまちづくり系会議にいた、見た目パンチあるのに伏し目がちの男性が、遠慮がちに「あの、”まちづくり”って言うの、やめません? ……なんか偉そうちゃいます?」と言った。かなりの爆弾発言、なのにちゃんと周りを笑かしながら。すご!!
会議終わりにそそくさと帰ろうとするのをつかまえて、「今度はじめての山登りイベントするのでガイドしてください」と口から出まかせで頼み込んだ。六甲山の隣にある、お寺しかない地味な摩耶山のことなんて、興味どころか存在すら知らなかったのに。
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当時の私は、学びのイベント&セミナーやさん。移住してきた神戸で、”まちづくり”とか”賑わいづくり”とか、地域に貢献したいでっす!と鼻息荒く企画しては、集客に一喜一憂していた。
そして慈さんは、地味な摩耶山を「マヤ遺跡」や「冥土かふぇ」などの企画で盛り上げ、坂バスという公共交通整備の道筋までつけた、まちづくり界隈のレジェンド。
なのに「”まちづくり”って言葉がほんま嫌い。お前は神か、って。まちなんて、勝手にできよる。なんなら”まちおでき”ですわ」とか言い放つ。私は敬意を込めて彼を「ゲリラ兄さん」(略して”ゲリ兄”)と呼ぶようになり、迷ったらゲリ兄のところを訪ねるようになった。
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ゲリ兄のスタートは、阪神・淡路大震災後に戻ってきた故郷の神戸市灘区。疲れ果て険悪な雰囲気になりがちなまちのひとたちを、まずは笑かすために、フリーペーパーをつくったのだという。特集は”穴”、灘区内のトンネルの大特集。こんな時こそ穴開きー。Yes, it's アナーキー!!
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たぶん、それからずっと変わらないのだろう。まず笑かす。大上段に構えない。正義を語らない。婦人会には敬意を払う。でもどんな偉い人相手でも、空気を読まずに言うべきことはしっかり言う。ただし言ったらすぐ謝る。
私は相当に浮かれポンチで、つい主語を「私たち」とか「社会」とか大きくしてしまうし、すぐ正義やソーシャル・グッドに酔いかけるし、空気読んでいい子にしたくなるし、たいしたことじゃないのに「私が頭下げる筋合いない!」とか思ってしまう。
でもそれでは社会は変えられないんだよ、まわりがまず楽しくならないと本当の革命は起こせないんだよと、ゲリ兄が、山道を先導するそのモジャモジャの後ろ姿で教えてくれた。
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今月も、ちょっと自分が勘違いしかかってるなと思ったので、ゲリ兄に会いに行った。
ゲリ兄は相変わらずちょっと笑かした後で、「だいじょうぶ? また無理しとんちゃう?」と気遣ってくれて、キズシや茄子の漬物の最後の1切れを、「食べ、食べ。」とゆずってくれた。
水道筋(商店街)を出るときには、すっかり優しいきもちになっていた。
「誰の上に立つこともなく自分を正しい側に置くこともない」とか、「隣人を気遣い気遣われる」とか、「毎日のすべてのしょうもないことを慈しむ」とか。
阪神淡路大震災の後のアレやコレを、灘のまちから離れず生きてきたゲリ兄のやさしさに触れるたび、忘れてしまいそうな何かを思い出すのだけど、それが人間性といわれるやつなんじゃないかなと思った。
ゲリ兄のおかげで、今日もなんとかぎりぎり人間なのかもしれない。
Gracias!
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