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「異例の選挙」から私が学んだこと。 ②現場で感じた”怖さ”の正体
今回の兵庫県知事選挙、私はある候補者の支援団体代表としてかかわっていました。昨日(12月20日)、その団体による「支援団体公式Xの凍結について」の告訴・告発が受理されたというニュースが出ました。会見をした弁護士さんの言葉より。
選挙の結果に対する異議や特定の個人への処罰感情から告訴や告発をしたのではない。今後の選挙のあり方に一石を投じ、人権などが損なわれない選挙制度を目指す活動に資することが目的
私はもう団体代表ではないのですが、当時Xを運営していた当事者として関わりはあります。正直、まだそのことを考え続けるのは、しんどいところもある。でも、現場で見てきたことは「語り部」的に書き記し、考え続けようと思います。次の選挙、次の誰か「当事者」となるかもしれないひとのために…ちゃうな、そういう当事者が生まれないために。
Xの凍結について、現場で「起こったこと」については、前回お伝えしました(「異例の選挙」から私が学んだこと①)。今回は、現場で私が「感じたこと」について、お伝えします。
■ 「怖かった。」
選挙最終日のいわゆる「マイク納め」、はじめて選挙カーの上でマイクを握った私が伝えたのは、「怖かった」ということ。
いまここで、こうして自分の顔をさらして、自分の意見を言うのが、すごく怖いです。勇気を振り絞って、ここでマイクを握っています。
そんなことが、いまの日本で起こるとは、17日前の選挙初日には思いもしませんでした。
このNoteを書きはじめた12月上旬は、その日から約2週間が経っていた。でも当日のことをこうしておおまかに思い返して書き出しただけで、あのとき感じていた「怖さ」がドッとよみがえり、胸が苦しくなってしばらく寝込む…という状態だった。1か月以上経ったいまも、ちょっとまだしんどい。
いったい私は、何がそんなに怖かったのだろう? ぎゅっと目をつぶると、浮かんでくる3つの場面がある。
■ 場面①Xで/冷笑、言いがかり、全否定
●あらまし
私は支援団体のウェブを、そして選挙期間に入ってしばらくしてからは支援団体のSNSアカウントを(Xだけの予定だったけど、そのアカウント凍結後にFacebookとInstagramも)、私の名前を出して開設・運用していた。自分の名前を出したのは、候補者本人のものと誤認されないようにという意図から。
投稿した内容は、候補者の政策や実績、候補者への応援メッセージの紹介、私から見た候補者の人柄など。後半は、(残念ながら)デマを打ち消すためのウェブ記事や動画の引用紹介がほとんどになった。ちなみに「フェアネス」を大事にする候補者の強い意向で、誰かを攻撃したり否定する投稿はしなかった。
そのXが開始翌日に凍結となり、仕方なく別アカウントで開始したXも投稿開始から1時間で凍結となった。
これについて支援団体が、11月22日に兵庫県警に偽計業務妨害容疑による刑事告訴と公選法違反容疑の告発をし、12月20日に受理された…というのが、Xについてのあらまし。
実際に、私が運営していた支援団体のXアカウントに、メンション(@)つきでどんなコメントが寄せられていたのか。
●アカウントを開設したことに対して
(※2つめのアカウント開設後、最初の投稿をする前)
:「いまさら?」「爆誕(笑)」「フォロワー数、少な(笑)」「凍結しちゃ、ダメですよ?(笑)」など。(※文中「(笑)」は、実際にはそれぞれ異なる絵文字。基本的に冷笑する意図のため)
※個人を特定して攻撃する意図はないので、アカウントに関する情報は消去しています。
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●投稿に対して
(※2つ目のアカウントで「これはデマ」と明記して、支援する候補者に関する4つのデマについての投稿をした後、それらについて)
:「□□(候補者名)は○○(デマの内容など)について、まず説明をしなさい」「□□は○○、○○、○○…(複数のデマの内容や誹謗中傷を列挙。時に作成した画像や、画像や投稿のリポストとして実施)」「□□が知事になったらこんなことになります(否定的内容)」
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うー、見返すのもしんどい!(ここで2日ほど書き続けられなくなってました)
上記はこのアカウントに寄せられたコメントのほんの一部だけど、ともかくX上ではこんなかんじで、「冷笑」や「言いがかり」や「デマにもとづく全否定」などが寄せられる日々だった。
■ 場面②動画で/「現実」の暴力と、Xが、地続きに
公式応援アカウントを運営していると、Xで流れてくる情報は、やはり同じ候補者の支援者のものが増える(「フィルターバブル」といわれるやつ)。なので支援者による「別陣営は、こんなことしてます!」という情報も目に入ってくるようになる。そのなかで、大きく印象に残ったのは、ふたつの種類の動画だった。
ひとつは、「自分は当選を目指さず、他の候補者の当選を支援する」と宣言して立候補した候補者が、支援する他の候補者の疑惑を追及する委員会の委員長の自宅前で、拡声器で「出てこい」とインターホンを押したり「自死されたら困るのでこれくらいにしておく」と言ったりする、さらにはそれを支援者が取り巻いて見ている様子を撮影した動画。X上で流れてきた。
もうひとつは、私が支援する候補者の街頭演説にあつまっていたひとに、他の候補者の支援者とされるひとが、「死ねコラ」など暴力的な言葉を吐いたり、暴力的な行為で実際に逮捕されたところまでを「目の前で撮影した」動画。これもX上で流れてきた。
これからの動画は、いわゆる”反対陣営”にいる私たちにとって、いつ自分がこれをされてもおかしくないと思わせるのに十分だった。
さらに、これらの動画を紹介するXの投稿のコメント欄には、こちらの”反対陣営”からの「自作自演、乙」「でっち上げ」「極左のやり口」など攻撃的なコメントが、わいていた。
これらを目にして、動画で映される乱暴な言葉遣い、実際に行われる暴力的行為、それを取り囲んで野次を飛ばす人々の「現実の姿」と、X上の暴力的なコメントが、いわば「地続き」になっていると感じた。
■ 場面③街頭で/野次、嘲笑、デマ、呼応する声、怒号を、正面から
最後のひとつは、マイク納めの前に、少し離れた演説場所で、候補者が乗る選挙カーの到着を待っていた私が、実際に見た光景。
神戸の中心地であるそこでは、たしか45分ごとに、3人の候補者が演説をする予定になっていた。私が支援する候補者は2番目だった。
1番目の候補者とその支援者たちがすこし時間をおして去っていった後、私とあと2名ほどが、スペースが空いた演説場所に準備のため入った。そこに向かって100人以上の人の波がどっと押し寄せてきた。たとえばオールスタンディングのライブハウスで、来場者が一気に最前列に詰めかけるような、殺気立った雰囲気で。
一緒にいたひとが私に「あ、次の候補の支援者さんたちですね」と教えてくれたので、私が「あ、みなさーん、〇〇候補者でしたら、45分後の予定ですよ」と呼び掛けると、「わかってまーす!」と返事があるけど動かない。
別のひとが、最前列は候補者の支援者が入るスペースを空けたいといろいろ試したが、時間も迫り、さらに後ろから人が押し寄せる状況で転倒事故などが起こらないようなんとかするので手いっぱいになったので、諦めた。
やがてそこに、候補を乗せた選挙カーが来る。ぐるりと取り囲む人々の、端の方から拍手が起きるけれど、選挙カーを背に立つ私の目の前の人たちは、候補者を睨みつけたり帰れー!と叫んだり、異様な雰囲気だった。
続いて選挙カーの上で、応援演説、そして候補者の演説がはじまる。すると、激しい野次、嘲笑、脈略なく大声で叫ばれるデマ、まわりで「そうだそうだー!」と呼応する声、飛び交う怒号。それらを距離0メートルの真正面で受けながら、私は、もしかしたら動画で見たようなことがいまここで起こるかもしれないと、ずっと緊張して、そこに立っていた。
やがて演説が終わり、候補者を助手席に乗せた選挙カーが走り出す。窓を開け手を振る候補者に向かって、他の候補の支援者たちは、手拍子とともに次の候補者の名前をコールし続けた。たしかに違法ではない、だけど、これって…。私は、侮辱を受けた怒りや衝撃や悲しさや、いろんな感情のなかで、目の前で気勢を上げ歓声を上げる大勢の人々の姿を見ていた。悪夢のようだった。
■ 3つの場面が示す、価値観と行動
マイク納めで「怖い」と言ったとき私がとくに思い浮かべていたのは、これらの3つの場面だった。なぜ、これらが怖かったのだろう。
場面①(X)
:アカウントを開設しただけで投稿をする前に寄せられた冷笑的なコメント、そして具体的な「虚偽の通報による凍結」という暴力行使の予告。
→これらから私が感じたのは、「対象(私)の存在そのものに対する否定の意思と、それを今後も続ける意思」。
場面①(X)
:タイミングとしては投稿に対して寄せられたものの、内容はその投稿に無関係あるいは無視する、私が支援する候補へのデマや誹謗中傷。
→これらからは、「会話を成立させない意思、自分の思い(込み)を変えない意思」、さらに対象は私という「個人ではなく、対象が属すると思われる集団(”敵陣営”)としか認知しない意思」。
場面②(動画)
→「敵陣営には暴力を行使するという意思とその証明」、さらにそれを支持するひとも一定数いて、それらを静観するひとはもっといること。つまり単純に「暴力が行使される可能性が十分にあること」。
場面③(現場)
→見たかんじ「ふつう」のひとたちがX上のコメントと同じ「誹謗中傷やデマなどの言葉を暴力的に投げつける現実」、さらには②の動画で見た「暴力が目の前で起きてもおかしくない現実」。
つまり私が選挙の日々にぶつけられ続けていた価値観は大きくふたつ。
私個人の存在の否定
私が属する集団の否定
そしてこれらの価値観を示すために、相手がとっていた(予告していた)行動はふたつ。
会話の拒否
暴力の実行
総合すると、私が選挙中に毎日受け取っていたのは、不特定多数のひとからの、このような意思表示になる。
「あなた個人はいないし、あなたが属する集団は全否定する。これは変更不可能であり、暴力をもって実行する場合もある」
わー。わわわわーーーー。そりゃ、怖さも感じるし、しんどくもなるわ。
■ こんな毎日は、もうイヤだ。
こうして心身ともに限界、というか、限界を超えた状態で迎えた、あの日。三宮のあの、敵陣営の支援者からの怒号と嘲笑をあびせられて緊張していたところから移動してきて、はじめて「いま、怖いです。」と口に出した瞬間、ぶわっと生身の感覚が戻ってきた。声が震えて、涙がこみあげてきた。
私が感じていたのは、けっして比喩ではなく、「いまここで見知らぬ誰かから、いきなり何か、暴力を振るわれたり命を奪われたりしてもおかしくない」「そのときこの”ふつうの”ひとたちは、そのことすら笑い、楽しむのかもしれない」という、リアルな怖さだった。
それまで「選挙で怖い思いをする」なんて、最近のメキシコ大統領選とか外国の選挙のニュースで見るだけの話だと思っていた。また「選挙でフェイクニュース(デマ)が流される」なんて、アメリカの大統領選くらいでの話だと思っていた。
でも実際に、私が体験した選挙は、
①情報発信をしようとすれば不特定多数に冷笑されるかデマなどを一方的に送りつけられ、
②「それはデマです」と事実にもとづいて表明してもまったく同じ反応が返ってきて、
③街に出ても、X上と同じ光景が実際に繰り広げられていることを目にする、
というものだった。
私は、震える手でマイク握り直して、「こんな毎日は、もうイヤです!」と叫んだ。そのとき、ようやく気がついた。「公正な選挙」とか「民主主義」って、当たり前に用意されていたものじゃなかったんだ。
そして、選挙に負けた。結果をひっくり返したいとかじゃない。ただ私としては、(プロセスの公正さにつき検証が必要な部分もあるけれど)なにより次は、現場の人がこんな怖さを感じなくていい選挙を実現したい。
…と、思い出したりXをたりするのが本当に辛くて、ここまでで結局、1か月以上かかってしまったでした。
引き続き、「いったいどうしたら、もっとよい選挙が実現するのか」を、いろんな方向から検討していくし、できることはやっていきます。
良い明日をつくろう。
※いまいろいろ問題になっているので念のため書いておくと、私は今回選挙にかかわるにあたり、代表をしていた会社を辞めて、個人としてボランティアで支援団体代表をしていました(無償です)。