「だからこの人が好きなんだ。」③尹雄大さん(もの書き&インタビュアー)
えっと。この人の前で何かを話し出そうとすると、急に恥ずかしくなる。なのでいま、書き進められなくてすごく困っている。尹(ゆん)さんの前で言葉を出そうとした瞬間、こう囁く声がするのだ。「いま私が話すことばは100%、ちゃんと私の言葉になってるか?」
大好きだったウェブ「考える高校生のためのサイト Mammo tv」で連載をしていた尹(ゆん)さんから、まさかインタビューのオファーが届いたのは2015年。ちょうど私がリベルタ学舎を1年で経営破綻させ、拠点を失ってゲリラ事業活動に入ったタイミングだった。
いまか! 「こんな現状なので…」と泣く泣くお断りしたら、すぐ電話で「そんな状況の湯川さんの言葉だから、届くと思っています」と伝えてくれた。本当にうれしかった。このときの記事、というか「眼差し」が、どん底にいた私を前に向かせてくれる大きな大きなきっかけになった。
そうか、私、このままでいいのか。ここからで、いいのか。
当時、借金をして会社をつぶしていちばん大切なひとたちに迷惑をかけて離婚にも向かっていた私は、すごくよく喋った。手元には、誇れる何もなかった。だから喋るしかなかった。
「〇〇したい未来」や、「きっとできるはずの自分」。自分で自分の言葉を信じ込ませるように、北海道の原野を売るかのごとく必死に語り続けていたと思う。とにかく少しでも自分を良く見せたい思いでいっぱいだった。
尹さんは、大げさに共感したりせず、ふんふん、と聞いていた。私が「騙せた手応え」のようなものを確認したくていったん話しやめても、とくに反応しない。耐えきれずに次の話を始める。自分の言葉がどんどん宙に浮いていくのを感じる。そのうちなんだか恥ずかしくなって、「ふつうの温度」で話していた。
翌年、「喋らないインタビュアー」尹さんに相談して、「エンデの『モモ』に学ぶ聴く力」というワークショップをしてもらった。聴く力、私が学びたい! と思って。
これで私に「聴く力」がついたかどうかはわからない。つか、たぶんついていない。ごめんなさい。けど、「自分の言葉が、いまの自分自身から、浮いちゃってるんじゃないか」「だれかの”聴く”を邪魔しちゃってるんじゃないか」と意識するようにはなった。
「聴く」プロの尹さんは、実は武術家でもある。そのせいか尹さんと喋っていると、スケスケメガネとか通り過ぎて、私の内臓とか、私の(私すら知らない)前の世代から受け継いできた文化のようなものとかまで、じっと観察されている気がする。
じじつ、尹さんは、喋るはずのない「土地の記憶」まで聴いたりしている…たぶん。尹さんが語ってくれた戦前戦後の神戸は、いままで読んだどの資料よりも、匂いも手触りもあった。いま三宮を歩いていても、ふと立ちのぼる。尹さんが全国を渡りながら住んでいるのも、土地の記憶と話しているんだろうなぁ、と思う。
私はお調子者で、すぐ言葉が身体から離陸する。そんな自分の言葉の薄っぺらさを確かめるように、今日も尹たんに、しょうもないメッセージを送る。尹たんは大げさに共感したりしないけど、言葉がウソじゃないときは…いや、ウソでもそれが必要なときには、「私が私の声を聴くようになる」かたちで、聴いてくれる。
すごいな。私にはできない。
尹たん、ありがとう。次はどこ住むの?
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