【小説】 旅草 —空に浮かぶ街 福楽実 後半
前半
十九頁
「色」
「ん、なんだ?」
「どうして、笑顔が嫌いになると思います?」
「アイツのことか」
「私は、悲しかったり苦しかったりする時ほど、笑ってる顔が描きたくなります。下絵も書かず、何も意識せずに、ただ一枚の白紙を笑顔で埋めて行くと、少しでも穏やかな気分になって行きます。それほど力を持つものなのに、どうして」
「アイツの場合、闇の力が大きく関わってくるだろうな」
「闇の力が?」
色に続いて、玉兎様も説明する。
「闇の力を得た者は、狂大な力を得る代わりに心が闇に囚われ、多大な心労を常時背負っている」
「故に、闇の奴らは捻くれモンばっかだ。そんな奴らの言うことなんか、気にしたってしょうがない」
「そうですか……でも、旅草って、戦うものなのでしょうか。私はただ、平穏な旅がしたいのですが……」
「そもそも世界が不穏だらけだ。平穏もクソもねぇ」
「そんな、悲しい……」
うだうだとため息をつく私に、埜良さんの堪忍の緒が切れた。
「もー! 恵虹、そんなウダウダ考えてないで、目の前のものに当たって砕けろだ!」
葉緒ちゃんも言った。
「恵虹さん、戦うのが嫌なら、戦わないで解決するようなやり方でやればいいと思います。恵虹さんらしいやり方で」
「私らしいやり方……」
その時、島の方から、舞林さんが飛んできた。
「おーい! おーい! リン!」
「舞林さん」
「わあ、舞林さんだー」
「みんなー! 上見てみてー! リン!」
言われた通りに見上げてみると、各層の風樹の透明な壁に多くの民たちが集まっていた。皆が恵虹たちに注目して、何やら叫んだり、目を閉じて祈りを捧げたりしている民もいた。
「みんな『がんばって』って、応援しているんだよ。風樹の壁は分厚いし、距離もあるから全然聞こえてないけど、みんな期待を寄せているんだ。突然現れた、自分たちを希望へと導いてくれる英雄たちに。リン!」
聞こえはしない。でも、彼らの熱意は、この目が焼けてしまうほど鮮烈に伝わった。
私は彼らを見て、頭に浮かんだ言葉をぽつり呟いた。
「民草」
民草のために、我が力を振るうこと。これこそ、我が身の最大の幸である。
ひと昔前に生きた、とある偉人が残した言葉。伝記で読んだこの言葉を今思い出した。
心の中で、私の想いが固まった。
「確かに。そうですね! ありがとうございます、葉緒ちゃん!」
場所は変わって、福楽実城。王座に腰を下ろす刃賀は、機嫌が良い。
「貴様もわかっておるな。我輩に歯向かう馬鹿共は、皆死刑だ」
浮かれる刃賀に、三つ編みの青年は呆れた様子でため息をついた。
「驕るでない。其方らごときに負けるようであれば、僕が相手をしてやる価値もないという意味だ」
青年がそう言うと、刃賀が顔をしかめた。
二十頁
「貴様は誰の味方だ?」
「誰の味方につくつもりもない。僕は僕だ。だが、少なくとも其方が彼に敵うことなど、万に一つとして有り得ない。その理由は、其方には到底理解できないことだ」
そう言って、青年は刃賀の前から消え去った。
翌日、国の運命をかけた勝負の時が訪れた。恵虹たち旅草は、この三日間で、策も十分に練り、万全の状態で臨んだ。
風樹の第八層左にある闘技場。その客席には、国中の民たちが集まっていた。その中には、幽閉を一時解除されている、元国王一家の姿もあった。
『さあ、ついにやって参りましたー! 我が国『福楽実』の運命をかけた三本勝負ー!! 黒鬼族対、旅草の英雄たち。我々が行く先は光か、さらなる闇か、これいかに!! リン!』
実況席に座り、この場を仕切っているのは、舞林だ。弟二人も両端に座っている。
『さっそく始めてもいいかな? リン?』
「僕に聞かないでよ」
「いいんじゃない?」
すると、実況席に蝙蝠が舞い降りてきて、舞林たちに言った。
「いいよ、始めちゃって」
『じゃあ、始めっ! リン!』
その前に、枢基が勝負の形式と規則を皆に話す。
『一回戦目は単純な一騎討ち、二回戦目は二対二の提携戦、三回戦目は建前では一騎討ちですが、一人補助も可として、実質は二対二の対決です。
勝負の規則としましては、許可された以外の人数が闘技の舞台に立つことを禁じること、それ以外からの援助や妨害行為を禁じること、必要以上の武器や道具などを持ち込まないこと、勝負相手を死なせないこと。これらの違反が見られた場合、即失格となります』
「不正はダメ絶対」
『不正じゃなくとも、勝負である限り勝敗は必ずつくもの。旅草たちが勝てば『福楽実』は刃賀殿の支配から解放されて自由になることができます。しかし、彼らが負ければ、彼らと僕ら三人は打ち首となり、支配から逃れることも出来ません』
『僕らの命とこの国の未来のためにも、旅草さんたちには絶対に勝ってもらいたい!』
「偏向実況」
「僕らの英雄、がんばれー!」
『それでは勝負と行きましょう! 第一回戦は、一騎討ち! 我らの英雄旅草側からは、雷の力を司る守り神、埜良ちゃんだ!』
闘技場舞台の鉄檻が上げられた。そこから埜良が出てきた。
『対する黒鬼側からは、刃賀殿のご子息、下團殿だ!』
埜良の相手として出てきた若い男は、権力者の親の恩恵をものの見事に受けている臭いがプンプンだ。
二人は対峙した。
二十一頁
「なんだ、僕ちんの相手は、こんな辛子娘か。舐められたものだな」
「舐めてんのはそっちでしょ、気持ちいいくらいのぼんぼんが相手なんて、瞬きしてる間に勝負が終わっちゃうわ」
『両者バチバチに燃えております。それでは、第一勝負、開始っ!』
戦いの火蓋が切って落とされた。
【黒曜岩の壁】
開幕早々、下團はすぐ目の先に、真っ黒な大きな岩を生み出した。直後、埜良が雷光の速さで近づき、岩を蹴った。
「無駄だ。この岩は、とても頑丈になるよう創造したからな。兎人の蹴りだって通さない」
『下團殿は、防御に徹する策のよう。埜良ちゃんの雷の速さで、この大岩を突破できるか!』
「がんばれ、埜良ちゃん!」
「萌右、お前は応援に徹するつもりだろう」
(岩の色は漆黒。闇に通ずるこの僕ちんならば、漆黒の向こうを覗くことなど可能に決まっている)
下團は漆黒の岩を|透視《と
うし》し、埜良の様子を確認する。
【黒曜雨】
下團は、埜良の背後に複数の先が刃物のように鋭利な石を出現させ、その背中目掛けて飛ばした。
危険を察知した埜良は、すぐに横へと躱した。躱した先へも同様の数を飛ばし、それを何度も繰り返して、埜良を追い詰める。
『下團殿、己は防御に徹しつつ、相手の隙をつくという、なんとも卑劣な……』
『しかし、理にかなった戦法です(偏向実況ダメ絶対)』
「埜良ちゃん……」
埜良は、岩のない横の身へ回り込むが、下團は一瞬で残りの三方向にも同じような岩を現し、四方の守りを完璧に固めることに成功した。これで下團は、攻撃に集中することが可能になった。
「はっはー、見たか。これで僕に手を出すことなど出来やしない。見たか、辛子娘!」
ただ四方を岩で囲っただけで調子をこく下團に、その上空でじわじわと雷雲を創っていた埜良は、ドンと背中の太鼓を叩いた。
大岩で囲まれた狭い面積の地に、ピカッ! ドカン! と雷が落とされた。
【落雷】
下團が創った、四方を囲う大岩は消滅した。神の力を持つ者が気絶した時、その者が力で創ったものは消滅する。同志なんかが引き継いだりしない限りは。
『おーっと! ここで埜楽ちゃんの雷の力が炸裂!! 大岩が消え、下團殿は倒れて動かない!!』
二十二頁
「勝負はついたな」
蝙蝠が言った。
『ということで、三本勝負の第一回戦、勝者は埜良ちゃん!!』
会場は歓声に包まれた。埜良は下團に言った。
「知ってる? 雷って、空から落ちてくるものなんだぜ?」
『下團殿の盲点を突いた、アッパレの一撃! 最高だよ、埜良ちゃん リン!』
埜良は、自分に降りかかる数々の歓声に、両手を大きく振って応えた。
「さて、もう次に行ってもいいかな リン!」
「いいんじゃない?」
『それでは、次の戦いに参りたいと思います。第二回戦は二対二の提携戦! 我らが旅草側からは、月の神様の愛娘、葉緒ちゃん! と、霊人族で、音の神様を信仰する、琵琶弾きの歌龍くん!』
入場口から出てきた葉緒は、やけに上機嫌だった。るんるんの笑顔で観客にも元気いっぱいに手を振った。まるで皆のアイドルのように。
それとは対照的に、歌龍は観客の数とその熱に圧倒されたのか、臆した顔で膝もプルプル震えていた。
なかなか前に進めない歌龍の手を、葉緒が引っ張って連れていく。
『対する黒鬼側からは、この二名!』
葉緒たちの向かい側から出てきたのは、ゴリゴリにゴツい筋肉達磨ども。
『刃賀殿の右と左、右の腕が太い方が拳魔殿、左の足が太い方が葦卑子殿だ!』
「紹介の仕方、ちょっと雑じゃない?」
「というか、この試合勝てるかな……? 体格差が……半端ないけど」
山のような大男二人を相手にして、無論ガクガクに震える歌龍に対して、葉緒は未だ、るんるん笑顔を絶やしていない。
黒鬼の一人が葉緒に尋ねた。
「怖くないのか」
「うん、今の葉緒は最強なんだよ! 玉兎様が腕によりをかけて作ってくれたお弁当をさっき食べたから!」
『かわいー!』
「おい。……にしても、すごい度胸だな」
「かっこいいなぁ」
葉緒の純粋無垢な答えに、二人の黒鬼どもは嘲笑う。
「弁当だと?」
「それを食って、百人力ってか? くだらねぇ」
馬鹿にされた葉緒は「なによ」と頬を膨らました。
二十三頁
『それでは、第二勝負、開始っ!』
始まった玉響、先手を打ったのは歌龍。琵琶を奏で、皆の視線を引きつける。
【惑い歌〜金縛り〜】
おどろおどろしい曲を奏で、人を呪うような気味悪い歌を歌う。
「な、なんだこれ」
「動かねぇ」
『なんと、歌龍くんが奏でる不穏な歌の影響か、拳魔殿と葦卑子殿が動かなくなってしまった〜』
「歌で敵を制するとは、珍しい発想ね、お兄様」
「そうだな、空姫。彼は音の神を信じていると言っていたが、おそらくは、響芸出身の者だろう」
「昔、音の信者と話をした時に聞いたことがある。御守りを叩いて、音のさらなる力を得た時、異次元の世界が開かれると」
「お父様、異次元の世界というのは……」
「勿論、私はそれを見たことがない故、詳しくは知らないが、その者の話では、その世界には無数の歌が貯蔵されており、欲したイメージにぴったりな歌が流れてくると」
「それは凄い」
「歌に秘められた効果によって、戦況を変化させる。それが、音の信者の戦い方。
その者も琵琶弾きだったが、琵琶を弾く上に歌も歌えば、効果は二倍だ」
【鏡花水月〜乱れ咲〜】
葉緒は周囲に何体もの自分の分身を創り出した。そして、固まる黒鬼二人の周りをぐるぐると駆け回る。
「歌龍くん」
葉緒が叫ぶと、歌龍の琵琶を弾く手が止まった。
【おいしさ満天! 天満つさんさん!】
たくさん増やした葉緒たち全員の手から、浄化の光が放たれる。
「先ほどの無礼をお詫びしたい」
「悪いことをした」
これほどの月光を浴びた黒鬼どもは、すっかり心が浄化され、葉緒の前にひれ伏して謝罪した。
『おっと、拳魔殿、葦卑子殿、二人揃って葉緒ちゃんにひれ伏した〜!』
「これは、勝負がついたと言っていいだろう」
『拳魔殿、葦卑子殿、戦意喪失につき、第二回戦、勝者は葉緒ちゃん、歌龍くんだ〜! リン!』
葉緒と歌龍は喜んで、互いの手に軽く触れた。
二十四頁
『さあ、いよいよ、第三回戦! 最後の勝負となりました! その内容は一対一の一騎討ちですが、両者にはそれぞれ一人の補助をつけることが可能です。我らが旅草側からは、この方! なんと色の力を司る! 空をも彩る旅草、恵虹さん! その補助には、歌龍くんがつきます リン』
入場口から出てきた恵虹は【お色直し】をして、真っ白な姿になっていたが、ところどころに紫を入れていて、三つ編みのアイツを模しているようだ。
『対する黒鬼側からは、全ての元凶、黒鬼たちを統べ、僕らを支配する刃賀殿! 補助には、刃賀殿の側近、緑鬼の曙夜御前!』
『両陣営の大将が相対する、この勝負の勝敗で、福楽実の未来が決まります……』
「恵虹さん、頑張ってー!!」
萌右助に続いて、観客の皆が精一杯の声援を恵虹に送った。
すると、恵虹の髪が空色に染まった。舞林の眼の色と同じだ。
『ご安心ください。皆様の未来は、希望で満ち溢れています。私の名は、恵虹。希望の色を恵む者です』
「フン、つまらん。“希望” なんてものは、この世に存在しない。この世に存在するのは、闇と絶望だけだ。貴様らは何を夢見ている!?」
『あ、そうそう。この勝負はあくまで一騎討ちなので、補助の方々には手を出さないように! リン! それでは、第三回戦、開始っ!」
【暗黒濃霧】
先手を打ったのは、刃賀。舞台上を真っ暗闇にする。
【虹の帳】
暗闇を跳ね返すように、舞台上だけでなく、闘技場全体を虹色で囲み、どこもかしこも虹だらけ。
会場中がどよめいた。「虹だ!」「虹色だ!」と叫び、息を呑む者も多くいた。
刃賀も、虹の壮大な力に圧倒されつつも、「くだらん」と歯を食いしばり、刀を構え、恵虹目掛けて突進する。だが、刀を振りかざした頃には、恵虹の姿はそこになかった。
やつの三つ目が感知し、雷の力で刃賀とは真逆の方向に進んだのだ。
「歌龍さん、音楽を!」
「はいよっ!」
恵虹の命を受けて、歌龍は琵琶を奏で、歌を歌った。
【現し絵〜鯉登り〜】
歌龍の音楽に合わせて、恵虹は虹の流水を発生させ、ぐるりぐるりと舞台上を囲う、大きな螺旋を描いた。
この螺旋を見た刃賀は「なんだこれは」と慄き、身構えた。
間も無くして、この螺旋の虹に一体の鯉が現れた。大きさは恵虹と同等だが、見た目はただの錦鯉だ。
二十五頁
恵虹は鯉にまたがり、共に螺旋の虹を登っていく。やつの顔は生
き生きしていた。そしてやつは、好物の肉まんを現し、食《く》いながら、純白な髪のその一部を歌龍と同じ青緑に変え、刃賀に向けて叫んだ。
「かかってきなさい、刃賀殿!!」
見事なアオりっぷりだ。
刃賀も刃賀で、やつの口車に乗っかり、憤慨した。
「舐めるなよ!! クソ童がァ!!!」
刃賀は次々に攻撃を繰り出した。だが、全てを尽く弾かれ、やつらは止まらない。
グッと歯を食いしばり、後ろを振り返って、補助役の曙夜に怒鳴った。
「曙夜!! 何をしている!? 貴様も攻撃をせぬか!!!」
虚ろな顔で二人の戦いを見ていた、闇の力を持つ、緑鬼の娘。刃賀の怒鳴り声に、娘は顔を下に向けた。それから、ギロリと般若のような厳しい形相で、刃賀を睨んだ。
「絶対いやだ」
そう言って曙夜は、自らの闇の力で、刃賀を拘束した。
『おっと! まさかの仲間割れ!? 曙夜御前が刃賀殿を拘束!!」
手足と口も塞がれて、刃賀は怒鳴ることすらできない。刃賀を拘束した曙夜は、何か思いを託すように、恵虹をじっと見た。
その有様を不思議そうに見ていた恵虹は、にこっと笑って曙夜に手を振った。
「行きますよ」
そうつぶやいて、鯉の泳ぐスピードを一気に早めた。
そして、虹の螺旋の頂上まで辿り着くと、そのままの勢いで、宙へ飛び出した。
すると鯉は、龍へと変化した。
「鯉が龍になった——」
外野で見ていた連中は、呆然と口を開けていた。
「これはまさに、秋の大国で行われる『鯉登り』だ」
龍は、鯉の何倍もの大きさになった。虹の螺旋は消え、代わりに龍が空中でトグロを巻いていた。恵虹はその龍頭に座り、拘束されている刃賀を見下ろした。
「これで終わりです!」
【虹の後光】
三百六十度を囲う【虹の帳】から、虹色の光が放射線状に放たれ、その全てが身動きの取れない刃賀に命中した。虹色には、厄除けと幸運をもたらす力を持っている。
そんな平和と希望の力をとくと味わった闇使いは、その眩しさに耐えきれず、気を失った。
全ての【現し絵】を削除して、恵虹は一言を放つ。
「人生は、楽しんだ者が勝ちなのです」
『刃賀殿、戦闘不能。よって、第三回戦、勝者、恵虹さん!!』
客席からは今まで以上に熱狂的な歓声が湧き上がった。
「……やったな……恵虹……」
歌龍がなぜか重い足取りで恵虹に近づいた。
「歌龍さん。……どうしました?」
「いや……ホント……カッコよかった……ぜ——」
言葉を残して倒れる歌龍を、恵虹が慌てて受け止めた。
二十六頁
「歌龍さん、大丈夫ですか!? 歌龍さん!?」
応答がない。歌龍は、刃賀と同様に気を失った。
「……あれっ? 私、歌龍さんには当ててませんよね?」
「馬鹿め」
「あっ、色。歌龍さん、どうして気絶してるのでしょう」
「そりゃあ、おめぇの虹のせいだろ」
「でも、【虹の後光】は歌龍さんには狙っていませんし、【帳】単体ではそこまで強くもしてません。歌龍さんは、闇の力ではありませんからそこまで影響はないはずですが……」
「闇の信者でなくとも、こういう陽気な力が不得意なやつもいるもんだ」
「えぇ! ウソぉ!!」
「この子の場合は、歌よ」
そう言って現れたのは、音の神、沙楽様だ。
「なんだ、沙楽か」
「千呂流(歌龍)は、根暗な子で、陽気な歌とか苦手なんだけど、それでも気負いがちで、つい無茶しちゃうのよ。今回だって、『チョーゼツ明るくてキラキラした歌』を所望してたし♪」
原因が判明した恵虹は、悲しげな顔で、ぎゅっと歌龍を抱きしめた。
「ごめんなさい、歌龍さん。無理をさせてしまいましたね……
『「福楽実」の命運をかけた三本勝負!! 勝ったのは——旅草の皆さんです!!』
こうして『福楽実』は、刃賀ら黒鬼どもの支配から解放された。以前に国を治めていた国王、天伸とその家族が王家の権威を取り戻し、福楽実城に戻った。
散々国に横暴を働いた刃賀ら黒鬼どもは、天伸の命により、牢屋に入れられた。
国王は、国民一同と恵虹ら旅草たちを風樹の第十層の福楽実城前に招いた。
王は民の前に立ち、口を開いた。
「まずは、恵虹、葉緒、埜良、歌龍。この国を救ってくれてありがとう。舞林、枢基、萌右助も、国のために動いてくれてありがとう。特に、舞林には我々王家は命を救われた。本当にありがとう。
そして、国民の皆々。不甲斐無い国王のせいで、この国は長きに渡って、闇に囚われてしまった。これは王である私に責任がある。すまなかった。つらく苦しい日々をよくぞ今日まで生き延びてくれた!」
謝罪と感謝の意を込めて、国王は民衆に向けて、深々と頭を下げた。
国王に対して、民たちは叫んだ。
「顔をお上げください、国王様!」「確かに毎日は大変でしたが、辛くはありませんでした!」「それどころか、楽しくもありました!」「舞林が、いつも僕らを笑わせてくれたから」「いつでも陽気に振舞う、舞林くんに、いつも元気をもらっていました」
「ありがとう、舞林!」「ありがとう!」
口々に舞林を称え、感謝する民たちに、当人は甚だ驚いている様子だ。
王も首を縦に振って、口を開いた。
「復帰して早々だが、私は王の座から降りようと思う」
「えっ、どうしてですか?」
「私はかつて大敗北を喫し、国を国民を守るという、王としての責務を果たせなかった愚王がどうしてこうものうのうと王位に戻って来られる? 諸外国にも示しがつかん。
何より、私よりもこの国の王となるにふさわしい者がいる。舞林、其方にこの国の王を任せたい」
二十七頁
「え、ええっ!!」
これには舞林はもちろん、弟二人も思わず叫んだ。
「な……なぜ私ごときが」
「其方はこれまでずっと、皆を笑顔にし続け、闇中にあったこの国を明るく照らし続けた。恵虹たちをこの国に呼んだのも、其方だとな。
其方はこの国の英雄だ。ぜひとも、福楽実の王となってもらいたい」
「しっ、しかし、私一人で国をうまく治められるとは思えません」
「分かっておる。そこで、枢基と萌右助にも共に王となり、舞林を支えてもらいたいと考えている」
「僕らもですか?」「三人も王様がいていいのですか?」
「別に、国王は一人でなければいけないという決まりもない。それに、たった一人に任せるよりも三人で治めた方が国は安定するものだ。それぞれ価値観や思考も違う、其方ら三兄弟ならな」
「……それでも、私たちはしがない農民。大した知恵も教養もございません」
「そんなもの、あとから身につけて行けばいい。国を治める王として、何よりも大事なものは、国とその民を想う、仁の心だ。其方らにはそれがある。
王の素質は十分だ」
ここまでを聞いて、舞林の目からは涙が溢れた。
国民たちからも舞林たちを推す声がたくさん聞こえた。
「舞林さん……」
恵虹もつられて泣いていた。
「なんで恵虹が泣いてるの?」
軽くため息をついて、埜良が言った。
「泣いてなどおりません!」
しかし、溢れ出る涙を、葉緒から渡された手拭いで拭った。
舞林は、国民たちからの声援と弟たちからの合意を経て、福楽実を治める王となることを決意した。
民衆の方を向き、宣言した。
「わかりました。この風前舞林、枢基、萌右助は、福楽実国の王となり、国民の皆様を明るい未来に導くことを誓います!」
こうして、舞林、枢基、萌右助の三兄弟は、福楽実の若き三人の王となった。
早速、戴冠式が行われたのち、国を上げて祭りが催された。
刃賀が国民から搾り取った挙句、大量に持て余していた食料を使った、城の料理人たちのお手製の料理を民の皆に振る舞った。調理には葉緒も加わり、葉緒が作った料理を食べた者たちは、心が浄化されていた。
舞林は、自らの空気の力と恵虹の色の力を合わせて創った櫓の上に乗って、何やらヘンテコな踊りを踊っていた。地元の連中にとっては、馴染みある踊りらしい。萌右助を筆頭に、一緒になって踊るやつらもいた。
民らと一緒になって踊る兄弟二人に、枢基は「おい国王」と呆れていた。
埜良も一緒に踊って楽しみ、歌龍は雰囲気に合わせて楽しげな音楽を奏でていた。
二十八頁
その傍ら、葉緒が料理を振る舞っている屋台のすぐ側で、恵虹が肉まんを頬張っていた。やつの隣にいる白雲丸にのせられた大皿の上には、月見団子の如く、たくさんの肉まんが積み上げられていた。
無我夢中で肉まんを頬張るやつの眼は、肉まんでキラッキラだ。
「あ、色にも何か持って行きましょうか?」
恵虹は、葉緒と月夜の二人に言った。
「いいですね。せっかくのお祭りですもの。色様にも楽しんでいただきたいですよね」
葉緒は喜んで言った。
「色のことですから、私の様子ついでにお祭りの様子も覗いているとは思いますが、こんな美味しそうな料理を前にして、何も食べないのはもったいないです」
「果たして、食《た》べるだろうか」
「わたし、色様の分も作りますね」
「いや、俺はいらねーよ」
仕方なく、俺は頭だけで現れてやった。
「あ、色」
「色様」
「色様、何か食べますか?」
「肉まん食べます?」
「いらねーよ。俺のことは気にすんな」
「色様、人間たちの和に入って共に楽しむというのも、一興かと」
「そうですよ、せっかくのお祭りですよ。今、この時を、もっと楽しまないと」
「それを言うならお前は踊りに行かねーのか?」
「私は遠慮しておきます」
恵虹はそう言って、また肉まんを頬張った。
「今、お時間頂いてもよろしいでしょうか?」
突然、何者かから声をかけられた。私たちは反応し、そちらを向くと、奇妙な容姿の男性が立っていた。
まず目につくのは、背中から生えている猛禽類の立派な翼。それから、鋭い爪を持つ足。しかし、ひざから上は人体という、鳥人そのものである。
髪の色は、胡桃の樹皮で染めたかのような黄褐色で、秋の海には珍しい短髪、額を晒していた。その上、後ろに垂らした短い毛束の一部は赤色に染められていた。格好からしても、流行の最先端を行っていた。
肌の色は淡い柿色、身長は葉緒ちゃんより少し高いくらいの小柄、長く尖った耳からして、人類としての種族は兎人族であろう。
彼は真っ先に挨拶、自己紹介を行った。
「こんにちは。僕の名は姓を佐鳥、諱を楊平、字を知隼と申します。出身は、秋大陸、黒槌の山中にある里の鳥里というところで、鳥の神を信仰しております。お見知りおきを」
これを聞いて、私はハッとした。彼は、世界を股にかける新聞記者であり、歴史学者でもある。彼が書いた数々の歴史本はとてもわかりやすく、学びにもなった故、私も好んで読んでいた。
どれほど本を読もうとも、著者の顔は見えない故に分からなかったが、まさかこんな若々しい姿をしていたとは衝撃の事実であった。兎人族は、三百年も生きる長寿の種族で、知隼殿も歳二百を超えているはず。
戸惑いを抑え、私も彼に自己紹介をする。
「初めまして、私は……」
「知ってるよ。恵虹くんでしょ? 君の描く絵は、世界を股にかけるほどの人気だからね」
「私自身はまだかけれていませんが……」
「恵虹さんって、そんなに凄い絵師さんだったのですね」
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「そうだよ。君の作品を見ていると、君の人となりがよく分かるよ。肉まんが好物だったり、己斐戸の「鯉登り」に感銘を受けていたり、人物画、特に服飾に拘った絵もよく描いていたよね」
(凄い、私のことよく知っているんだな。……まるでどっかの超能力者みたい)
そう思うと、顔だけの色がじっと私を睨んだ。
「男女を問わず、時にその垣根を越えたコーディネートで、服飾界隈をいつも驚かせていたよ。そんな面白い子が、まさか色彩宇宙様の庇護下にあって、さらに旅草だと知った。僕は君への興味が尽きないよ」
「知りすぎじゃねぇか?」
色が文句を垂らした。不満は抱いていないが、私も同じようなことを思った。
「最後ら辺は、今さっき知った事だけどね」
彼は、観察力や推察力にも優れているようだ。
「ところで、知隼殿、私に何か用ですか?」
「そうそう、ぜひ君にも来てもらいたい事があってね。君も気になっているであろう、彼女のことさ」
知隼殿と私の二人で、福楽実城へ向かった。それに気づいた三王の皆さんも祭りを抜け出した。
彼のいう「彼女」とは、刃賀の側近にいた、緑鬼の少女のことだった。
舞林さん曰く、彼女は闇の市場に売り出され、刃賀に買われた奴隷だそうだ。
舞林さんに紹介されると、彼女——名をあけぼのさん。三本勝負の時に呼ばれていた曙夜という名は、刃賀につけられていたものである。あけぼのさんは、厚くかかった前髪を上げた。
額には、ぱっちりとした目があった。その目を見た私は、おぞましい嫌悪感に苛まれた。
「もう……大丈夫ですから。無理しないでください」
「無理してるつもりはないです。わたしに恐れるものは、もう何もないので」
切ない彼女の一言に、胸がズキズキ痛い。
「恵虹さん? わたしに触れてみてください」
「え?」
一瞬、戸惑いを覚えたが、彼女の意図はすぐに分かった。
私は了承し、目線を合わせて彼女の頬にそっと触れた。
そして二つの目を閉じて、私の前髪の奥に潜む、第三の目を開いた。
「恵虹さんもまさか……」
「しっ。あんまり声に出していいもんじゃないんだ」
あけぼのさんがこれまで辿ってきた過去は、決して良いものではない。三つ目の持つ、他人や物の過去を覗ける力、自他の危険な未来を予知できる力、第三者の視界を借りる事ができる力を欲して、闇の市場で売られていた彼女を買った。
三つ目なんて貴重な存在を得ることができたのだから、大切に扱うべきなのに、奴らはあけぼのさんを粗末に扱った。
時に暴力を振るったり、暗い場所に閉じ込めたり、こんな奴ら、神様に罰せられればいいのに、奴らの信じる神は闇の神。どんな悪事を働こうとも、呆気なく許される。
憎たらしい話だ。
だから闇の市場なんてものが存在するんだ。
三十頁
あけぼのさんが市場に出回ったのは、今から四年前。うららかな陽気の下、幼い女の子と一緒にお花を摘んでいたところを黒鬼どもに拐われた。それ以前は、父、母、祖母、妹と五人で暮らし、長閑で幸せな日々を送っていた。
もし拐われていなかったら、彼女は今も春のうららかな場所で、家族や友人と暮らしていただろう。悲しみがつのるばかりだ。
私は、第三の目を閉じて、二つの目を開けた。
「舞林さん、……あけぼのさんには、彼女の安否を案ずる家族がいます。彼女を故郷へ送り届けてあげてください」
舞林さんの目をじっと見て言った。
「僕らは、彼女にはまだここにいて欲しいと思うんです。故郷に帰したい思いもありますが、帰したところでまた拐われるかもしれない」
「あけぼのさんの持つ闇の力は強力ですし、自分を守る程度であれば大丈夫かと」
「それが、闇の力はあの方に吸い取られてしまいまして、全く使えない状態なんです」
「あの方?」
「三つ編みの彼だよ」
アイツが!?
「あの者は、あけぼのさんだけでなく、刃賀殿や全ての黒鬼の者たちの闇の力を吸い取ってしまった。今の彼らに、悪意は全く見られません」
「おなかの底からわき出る悪意や、重苦しさはほとんど感じられなくなったかわりに、闇の力も失われた。ただ髪と目の色が真っ黒なだけの、ただそれだけの者」
「うう……分からない。彼は何のために吸い取ったのだろう。皆を救うため? それとも、自分を強化するため?」
そのどちらでもありそうだ。
「僕は、彼の身が心配だよ。いくら彼が若いとはいえ、そんなにも闇を抱えたら寿命がごっそり削れてしまうよ。ただでさえ、闇の力を得た者は短命なのに」
ここで、改めて舞林さんはあけぼのさんに向けて言った。
「……正直なところ、あけぼのさんにこの国にいて欲しい理由は、今後も君の力を借りたいからなんだ。これから『福楽実』や国民の皆に降りかかる危険の予測ができれば、それを防ぐことができる。
もちろん、ここにいれば絶対安全だとは言えない。僕らだって全然強くないし、また誰かが攻めてきた時に対処できるわけでもない。だから、君の力が必要だと思ったんだ。
もう君に辛い思いはさせない。これから毎日は楽しいものにして見せるし、何があっても君を守り抜く。
だからお願い——」
「僕ら福楽実に、力を貸して!」
真摯に真っ直ぐに想いをぶつける舞林さんに、あけぼのさんは最初驚き目を見開いていたが、やがてその眼から、ぽろりと涙が零れた。
「……わたしでよければ」
この一言に、舞林さん、枢基さん、萌右助さんの三王の顔は、ぱあっと晴れた。
三十一頁
「ありがとう! これからよろしくね! リン!」
「国民には、祭りの後で伝えよう」
「僕たち皆で、福楽実を立派にしていくぞー!」
考え方はバラバラな三人だけれど、この三人が力を合わせて進んで行けば、福楽実の国は着実に成長を遂げて行くだろう。
涙を流しながら、あけぼのさんは言った。
「お礼を言いたいのは、わたしの方です。こんなわたしをそこまで真っ直ぐに必要としてくれてありがとう。恵虹さんも、わたしのためにそこまで泣いてくれてありがとう。なんだか心が救われたわ」
「べつにあけぼのさんのためじゃないです!」
そこへ、知隼殿が口を開いた。
「前途ある若き王様さんたちに、僕から一言。未来を良くしたいのなら、まず歴史をよく勉強することだよ。歴史は常に繰り返すから。
過去に起きた問題を過去の人がどうやって乗り越えたのか、悲惨な結果になってしまった人たちはどうしてそうなったのか、無事に乗り越えられた人たちのその秘訣は何か、そういうのを知ることで、これから似たような問題が降りかかっても、対策が打てるってものさ。
勉強には、ぜひ僕の歴史書を読んでよ。言葉覚えたての幼子でも分かりやすいのもいっぱいあるからさ」
これを言い残して、彼は部屋を去って行った。私もその後を追うように、部屋を後にした。
翌日、恵虹ら旅草は、新たな旅へと赴くため、福楽実に別れを告げる。
国を救ってくれた礼として、たくさんの水や食料などが贈られた。
「ありがとう!」「僕らの英雄ー!」
船の前に集まる民たちがこんな言葉をいっぱい飛ばした。
「それでは、出航です!」
舵を切り、大海原に乗り出した。
恵虹も、群衆に向けていっぱいに手を振った。
船が福楽実の島からかなり遠ざかった頃、遠い遠い上の方から声が聞こえた。
『おーい! おーい! みんなー! 上を見て! リン!』
舞林の声だ。見上げると、十層もある巨大な風樹の上に、舞林、枢基、萌右助、あけぼのの四人が乗っていた。その距離はあまりにかけ離れており、やつらは米粒程度の大きさだが、特に舞林は分かりやすい。
見上げていた恵虹たちは、やがて目や口を大きく開けていった。
やつらの目の先には、福楽実の樹を囲うように、大きく立派な虹がかかっていた。
『虹だ!』