【小説】 旅草 —呪いと狂気の夢の国 千輪桜 後半
十三頁
「だって、僕は今、無性に君を消したい気分だから」
(全く意味なかった!? むしろ、より悪い方向へ進んでしまった気がする!)
心を潔白にするつもりが、より深い闇を引き起こしてしまったようだ。私はすぐに【純白の帳】を解除した。
もう夜玄に、色効果の技は通用しないだろう。【帳】だって弾かれてしまう。
仕方がなく私は、彩色の杖を頭上に掲げた。
【お色直しです!】
……。しかし、なにも起こらない。
「忘れたか? ここは夢の中。神も宇宙も入ってこられない。彼らも一緒に眠ったりしない限りはな。無論、君が夢世界で大変なことになっていると気づかない限りは、君が安らかに眠っていると信じて疑わないだろう。そして、一生目覚めず冷たくなっていくなんてこともあるものだ」
色なら絶対に気づいて、駆けつけてくれるはず。
「さて、どうして君を消そうか。せっかくここは、千輪桜なんだ。——桜姫でいこうかしら。うふふ。かわいいかわいひめぎみにけされること、こうえいにおもいなさい♡
……これまで、ためにためにためてきた、ぞうおにけんお、いかりくるしみかなしみねたみそねみ。
そのすべてをそそいで——」
【魔王!!!!】
「よっしゃー!! アタシの復活だー! イェイ、イェーイ!」
街のとある建物の中。思いの外、室内は空っぽだった。
なにもない空間に、赤紫の男が発砲し、もこもこの寝具を出現させて、そこに埜良と蓮を寝かせた。葉緒が微量だが回復の力をかけると、埜良は目覚めた。
そして、めっちゃ元気になった。
「埜良ちゃん、もうそんなに元気になったの?」
さすがの葉緒も驚いていた。
「うん、ピンピンだよ!」
「の、埜良。わりぃな、俺の頭が悪かったせいで……」
「歌龍」
埜良は俺の謝罪をさえぎって言った。
「!?」
「アンタのおかげで危機を脱出できたよ。さすが歌龍は、やればできる男だ!」
なぜか埜良は俺を称えた。
「で、でもよ、お前も一緒に巻き込んじまった」
「そう、己を責めるな。やむを得ない事情があったのだろう……」
俺ら三人から、少し離れたところに腰を降ろしている男が言った。
「そういや、誰だアンタ」
埜良は男に尋ねた。
「あ、そういえば……」
「王子様だよ」
『王子様?』
「うん。葉緒が危ないときにね、助けてくれたんだよ。まるで本に出てくる王子様みたいじゃない?」
そう話す葉緒の顔は、とてもキラキラときめいていた。
「は、葉緒?」
そんな葉緒を見た埜良は、きょとんと何か衝撃を受けたようだ。
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「俺は別に、王子ってわけじゃねっけど、夢中の戦士、アイムだ」
「夢中の戦士?」
「俺やお前たちのいるこの世界は『夢世界』という別世界だ。夢中の戦士は、夢世界の治安を維持する部隊。夢中に連れ込まれた者を助け、夢中で勝手に暴れる奴らを成敗する」
「アンタのその、赤紫は、何の神様を信じてるんだ?」
「夢の神、夢主獏だ。夢の力を司り、夢世界を管轄する夢主獏の力を得た者は、夢世界に限り、想像したものを何でも具現化することができる」
「色の力みたいですね」
「夢世界に限るがな。逆に、夢以外の力を持つ者は、夢世界じゃ全力を出すことができない。色もそうだが、お前たちの持つ力もだ。夢世界は、眠る者のみが誘われる。お前たちの神も同時に眠って、この世界にいるのなら話は別だが」
「じゃあ、変身できねーのか」
「そんな状態で、また蓮並のヤバイ奴に襲われたら……」
「安心しろ。だから俺がいる」
「ひゃ〜王子様〜♡」
「葉緒!!」
「俺は、心を仕留める恋の狙撃手だ」
「は? 何言ってんの?」
冷たく言い放つ埜良。 アイムは、手に持つ銃で、埜良の胸のど真ん中を撃ち抜いた。
「……っ!! 埜良!!」
「埜良ちゃん!!」
「おい、何やってんだよ!?」
「見ていろ」
『?』
俺と葉緒は、アイムに言われた通り、埜良をじっと見た。そういや、撃たれたはずのところに、穴は空いていない。
「——きゃ〜アイム様〜♡」
「の、埜良!!?」
なんつーことだ。さっきまで不満気だった埜良が、この一瞬でがらりと変わった。瞳をキラキラ輝かせていた。
「これは軽度のものだが、強力になると、俺の顔も拝めなくなり、気を失ったりもする」
「アンタそれ、言ってて恥ずかしくねーの?」
「ちなみに、対象は老若男女を問わない。お前も、俺の虜になってみるか?」
「断固断る」
聞いてるこっちが恥ずかしくなるぜ……。
「話も聞いたし、いこっか」
「? どこにだ?」
「恵虹のトコだよ」
「恵虹さんも、この世界にいるの?」
「十中八九ね。色もいないとなると、寂しくて泣いてそうだし、嫌な予感もするし」
埜良は、話の最後辺りで、ちらっと蓮を見た。ヤツはまだ、起きないようだ。
その時、ドーン、と、遠くの方で、何かが破壊されたような音が響いた。
「!? 何だ!?」
「——まさか」
埜良は、急いで建物を後にする。
「ああ、埜良!」
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俺もその後を追う。
「あの、アイム様」
「……早く追わないのか?」
「その前に一つ言いたくて。アイム様は、とてもお優しい方ですね。人を傷つけない戦い方をされていて、恵虹さんが好きな人です」
「……お前の淡黄の髪、月の|力か?」
「は、はい!」
「月の神、月夜は、兎が好きだってな」
「そうです! 自身でもうさぎちゃんになって、とってもかわいいんですよ!」
「そうか。俺も好きだ、兎」
「——」
「戦法については気にするな。俺の拘りだ」
「葉緒〜、早く行くよ〜」
桜姫の背後に現れたのは、音虫の演奏中に現れたあの巨大な魔物だった。ただ、その魔力は、あの時の比にならない。
【百手鉄裁!!!!】
魔物の両肩や背中から生える数多の腕が、私目掛けて飛んできた。
これは駄目だ。避けきれない。
そのまま私は、大きな拳の餌食となった。
拳の威力は凄まじいもので、私を越して、建物の壁を破壊した。その先は外。高い高い塔の最上階から、私は落ちた。
【現し絵、白雲丸!!】
途中で白雲丸を現し、拾ってもらった。硬い地面に叩きつけられずに済んだ。
「ご主人、大丈夫か!?」
「はい、白雲丸のおかげです。助かりました」
すぐに桜姫の方に目を向けると、また新たに、無数の拳を放ってきた。
「避けて!」
「アイアイ!!」
白雲丸は、迫り来る大きな拳を、糸針を縫うように、スイスイとかわしていった。
【夜霧!!】
濃藍色の濃霧を辺りに蔓延させた。色の力では、唯一、黒は使えない。闇の力に通じるからか、不吉な色として、色が嫌っているのだ。
夜空のような色に紛れて、危険なこの場から脱出する。
——きえた。いや、とうめいになっているだけね。
【黒風】
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強い向かい風が吹いてきた。先に進めないほどの。
ガッと体を掴まれ、白雲丸から引き剥がされた。
「ご主人!!」
透明を見破られてしまったらしい。見ると、白レンガの地面から魔物の腕が生えていた。
「あたりのようね。だめじゃない、いくらおじけづいたからって、にげだしちゃ。あたしがあなたをけせないじゃない?」
彼女の狂気ぶりは身震いするほどだ。それに、周辺にびっしりと生えて咲いている、黒い秋桜たち。風もないのに踊るように揺れる、空を読まない呑気さが、より狂気染みている。
「でも、みえないってややこしいわね。……まあ、いいや。ぜんぶこわしちゃえば」
桜姫は、掌を上に掲げて、唱えた。
【破壊の波動】
すると突然、花たちが声を発し、歌い始めた。
『ラララ 破壊だ 破壊だ ラララ〜 破壊だ 破壊だ ラララララ〜
みんな粉々 みんなバラバラ みんなみんな ラララララ〜』
「怖っ! 頭おかしいんじゃないの!?」
「いいじゃない。きょうきこそが、ゆめでしょう?」
はあ?
このまま捕まっているのが、とてつもなく嫌になった私は、強引に抜け出そうとしたが、大きな魔物の拳はびくともしない。
桜姫の掌の上に発生した、謎の黒い球体が、みるみるうちに大きくなって行く。
「もうそろそろ、いいかしら。じゃあ、さよなら」
【雷虎の爪!!】
【黄灼の花雨!】
危ないと思った時、二つの光が桜姫を襲った。一つは、雷光。もう一つは、花弁のような形の淡黄の光の粒。
二つの光にあてられた桜姫は、気を失い、地に落ちた。魔物も球体も一瞬で消えた。私を掴んでいた腕も消え、落下するも白雲丸に拾われた。
それぞれの光の主が誰だかすぐに分かった。
「恵虹ー!」
「恵虹さーん!」
「埜良さん、|葉緒ちゃん」
二人は、羊と獏が合体したような不思議な動物に乗ってやってきた。
「お二人とも、この世界に来ていたのですね」
「歌龍も一緒に来てるよ。今はいないけど」
「あとね、夢の王子さまも一緒なんですよ!」
「夢の王子様?」
「夢中の戦士って言ってた」
夢中の戦士……。ということは、ここは、かの噂の “夢世界” か。本を読んで、その存在を知ってから、度々憧れていた。“地上世界” とは違う “別世界”。
「箱斗!」
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いつの間にか目覚めていた、桜姫が叫んだ。
「かしこまりました」
【災いの箱〜導き〜】
突然、葉緒ちゃん、埜良さんの背後に、黒い箱が現れた。私と埜良さんがこの世界に来るきっかけとなったあの箱だ。
「わあああっ!」
「恵虹さん!!」
二人は、開いた箱に吸い込まれていく。
「葉緒ちゃん! 埜良さん!」
二人に手を伸ばす私は、横から大きな何かに薙ぎ払われ、|白雲丸から落下した。
「ご主人!!」
「恵虹!!」
「恵虹さーん!!」
必死に叫ぶ二人だったが、乗っていた動物を置き去りに、呆気なく吸い込まれてしまった。
二頭の動物は、メェと鳴いてどこかへ行ってしまった。葉緒ちゃんが言っていた、夢の王子様のところだろうか。
私は、白レンガの地面に仰向けになり、絶望と嫌悪の情に浸っていた。
「ご主人、大丈夫?」
「やっかいばらいができたわ。かのじょたちはてごわいわね。とくに、月姫ちゃん。闇奈緒さまがけいかいするのもわかるわ。
それにくらべて、あなたはどうかしら? 色彩宇宙のちからをてにしておきながら、あたしにおされっぱなしじゃない。
せたけも、としも、あなたのほうがうえでしょう? ほんらい、あなたがあのこたちをまもるたちばでなきゃダメなのに、ぎゃくにたすけられてどうするの? みっともないわね。
あなたがみっともなくあたしにおされているのは、あなたがあたしをけすきも、きずつけるきもないからよ。そのあまったれたかんがえをあらためないかぎり、あなたはあたしにやられるだけよ。
あなたがつきるば、あのこたちもおなじことよ」
彼女の言うことは、どれも核心を突いていて心が痛い。
正面から戦っても、勝てる保証はない。正直なところ、骨身を削るような戦いなどしたくない。もっと平穏な旅がしたかったのですが……。でも……。
「……私も丁度そのようなことを考えていました。ですから、もう逃げることはしません。其方が全ての元凶でしょう? 其方を倒さねば、この悪夢から覚めそうにありません。
例え、色がいなくとも、私一人しかいなくとも、目の前に現れた障壁は、自分の力で乗り越えなければ、強くなることはできない。
強くなければ、自分の望みを叶えることなど出来はしない。
だから私は、私のやり方で、其方を倒す!!」
「かかってきなさい……」
【魔王!!!】
桜姫は再び、魔物を召喚した。
そして、次々に攻撃を繰り出して来た。
私は、白雲丸に乗り、それらをかわして反撃に転ずる機会を窺った。
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また恵虹とはぐれちまった。やっと会えたのに。色もいない中で、一人で大丈夫か。
「危ない!!」
葉緒のそんな叫びが聞こえたかと思えば、あっという間に押し倒されていた。
【月光、最強の壁!】
葉緒は、月の力で壁を創り、迫り来る何かを弾いた。
「さすがは、兎ちゃんね。危険察知能力が高い。ついでに、月の力だから、ウチの方が不利ね」
現れたのは、一人の女。他の仲間たちと同様に黒鬼で、こいつは一つ目だ。一番の特徴は、髪束の先に、大きく凶暴な口が生えていた。闇の力で生成したのだろう。
「ウチの名は、口奈。お口が好きなの。何だかゾクゾクして、惹かれない?」
女は豊満で艶やかだが、面構えや口ぶりなんかが不気味だ。
アタシたちは立ち上がって、身構えた。
「あらあら。そんなに怯えちゃって、可愛いわね。そんな可愛い子たち、食べたくて食べたくて、ウズウズしちゃう。桜姫に感謝ね!!」
そう言って、女は巨大化させた口々を放っていく。
【枝垂れ口!!】
まるで、何発も何発も連続で拳を繰り出しているかのように。
もちろん、繰り出しているのは口だ。歯の一本一本が槍のように鋭利で、アレに噛まれりゃ、ひとたまりもない。
葉緒……埜良……無事かなぁ?
俺は逃げ出した。あいつらと一緒に行ったって、足手まといになるだけだ。それなら、こうして一人蹲っている方が幾らか役に立つだろう。
厳密に言えば、俺一人だけでなく、移動のために乗っていた、メークとかいう謎の動物も一緒だが。
俺はなんて役立たずなヤツなんだ。何もしない方が人の役に立つくらいだ。
「俺のどこが龍だ。この虫ケラ! クズ野郎! ゴミ野郎!」
俺は男で、歳も上なはずだけど。
「おやおや、こんなところにいましたか」
え!?
後ろから声がした。振り向くと、そこにいたのは、黒鬼のジジイ。見るからに危険な香りがプンプンだ。
「……俺に何の用だ」
「そうですねぇ。元来、貴方を葬る理由はどこにもない……が、強いて言うならば、貴方のお仲間方が皆、これから葬られるというのに、貴方だけを取り残すというのも哀れなことでしょう。
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故に、この闇小路箱斗が、貴方も一緒に葬って差し上げましょうということでございます」
なんつう勝手な理由だよ……。
「さてさて、貴方の運試しをして差し上げるとしましょうかねぇ」
【災いの箱〜三箱一択〜】
パン、パン、パン。ジジイが手を三回叩くと、真っ黒な箱が三つ出てきた。箱はジジイの前でくるくる回っている。
「さて、どんな災いが出てくるかのぅ。そぉ〜れいっ!!」
パン!
三つの箱のうちの一つが開いた。
【物の怪の災い】
箱から出てきたのは、謎の黒い生命体。白く眩しく光る二つの丸は、どうやら眼らしい。
「イ゛ノチ゛ヲク゛レ……イ゛ノチ゛ヲク゛レ……」
物の怪はそう唱えて俺に迫ってくる。
命をくれ? アイツに取り憑かれでもすれば、俺は命を取られんのかな?
こんな危機に瀕しても、逃げる気にならなかった。だって、俺なんて——。
「おい! 諦めるな!」
ハッと気づいた。訳も分からないが。
束の間、物の怪は消滅した。代わりに俺の目の前に現れたのは、アイムだった。
「お前、若ェくせに、何生きるのを諦めようとしてる?」
「……だって」
「己を蔑もうと勝手だが、命を軽んじることだけはするな。あの爺は俺がやる。お前はメークに乗って、どっか逃げてろ」
「逃げる……」
「逃げることは恥じゃない。生きてさえいれば、それでいいんだ」
俺は何の抵抗も出来ずに、メークに跨った。
「メェェェェ」
メークは俺を乗せて、空を駆けた。
「そうはさせませぬぞ!」
【災いの箱!!】
パン!
【落石の災い】
箱からはでっかい岩が幾つも飛び出し、俺に迫ってきた。
【爆ぜし恋情】
アイムの銃撃で全ての岩が爆ぜ、俺には小石が降り注ぐだけにとどまった。
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メークは止まらず、空を駆けた。
箱ジジイとアイムから離れた、とある屋根の上。メークから降りた俺は、途方に暮れた。
「はあ……どうしよう……」
「千呂流」
「! 沙楽様!」
「お待たせ」
「どうしてここに」
「はいっ、あなたの望みはこれでしょう? あと、これも」
そう言って、沙楽様から授けられたのは、琵琶と御守りだった。
「これで皆を助けてちょうだい」
「……分かりました」
【沙楽様! この俺に力をくれ!】
御守りを空高く掲げ、パン! と挟んで合掌する。
眩しい光が俺を包み、そこから|開放されると、俺は格好が変わっていた。
出来た! 変身が! これで俺は無敵だ。
早速、琵琶を構えた。
頭ん中に、一つの歌が流れてきた。
俺は、琵琶の弦を弾いた。
お口のお姉さんは、まったく容赦をしてくれない。少しでも気を抜いたら、やられてしまう。
葉緒も埜良ちゃんも、よけるので精一杯だった。
「避けてるばっかりじゃあ、うちは倒せないわよ! うふふ、いつまで持つかしらね。ああ、早くその身体を喰らいたい!」
怖いことをいうなー。でもこのままじゃあ、ほんとうに髪の毛のお口に食べられてしまう。
「……ううっ……」
すると、埜良ちゃんが、地面にひざをついた。
「埜良ちゃん!」
振り返ってそばに近づくと、埜良ちゃんは、つらそうな顔をしていた。
そっか、ずっと強くいたんだね。
「あら、早速ボロが出たわね。もう終わりね!」
「……葉緒! 逃げて!」
黒い髪の毛のお口の、鋭いギザギザが葉緒たちに迫ってきていた。
すると、歌龍くんの歌声と、琵琶の音色が聴こえてきた。
「何だ……この歌は……」
お姉さんは、顔をしかめて攻撃をゆるめた。
今だ! と思った。
【光輪!】
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パンと手を叩いて、お姉さんの体と暴れん坊の髪束たちを、実体化させた光の輪で拘束した。
俺は陽気な歌は得意じゃないが、暗い陰気な歌は大得意だ。
そうよ。“音楽” は楽しむもの。自分の好きな歌を奏てね。この世はね、楽しんだ者が最強なの。
千呂流が奏でる音楽は、この街中に響いた。
「……なにこのおもたいうた」
桜姫は顔を歪めた。
「あれ? 闇なのですから、こういう暗い歌は好きなのでは?」
「このうたはきらいよ」
歌龍さんの歌声、とても活き活きしています。福楽実の戦いの時とは打って変わって。
その時、彩色の杖がブルっと揺れた。これはもしや……。
【お色直しです!】
白い光に包まれた。そして、見事変身することができた。
ということは、色が “夢世界” に来たと言うことだ。これで、色の力の全力が出せる。
玉兎様、葉緒ちゃん、あなたがたの力をお借りします。
【月の力、月華爛漫】
眩しく美しい月の光を桜姫に放った。
桜姫は、顔を両手で覆い、体を小さく丸め、呻き声を発した。
効果は抜群のようだ。やはり、闇の力には月の力が相性良いのだな。
そして、仕舞いには気を失った。
周囲を見ると、ビッシリ生えていた黒い秋桜が全て消え去っていた。
「……あの小僧の歌か。やはり、彼奴も消しておかなければ……」
突然響いてきた琵琶の音や、頭巾のあいつの歌声に、箱爺は少し気後れした。
その微かな隙も俺は逃さない。
「俺に惚れて、邪悪な心を打ち消せ!」
【恋々一閃】
「お見事よ、千呂流」
「これで少しは皆の役に立てたかな」
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「少しどころじゃないわ。あなたの歌で、皆が敵を打ち負かしたのよ♪」
千呂流は、嬉しそうに、でもややばつが悪そうに、軽く琵琶を鳴らした。
勝った。これで、私たちは夢世界から出られるか。
ただ、「本当にこれで良かったのだろうか」と疑問が残った。いくら正体が夜玄だったとしても、こんな幼く可愛い女の子を苦しめるのは、私も心が痛い。やはり戦いは好きじゃない。
歌龍さんの暗い歌にも苦い顔をしていたが、光や陽気な感じが苦手なのだろう。闇を司り、闇に生きる者だからか。
歌龍さんや皆のもとへ合流したい気持ちもあるが、彼女をこのまま置いていくのも気が憚った。
結局、私は、場所を離れず、桜姫の隣に腰を下ろした。
そのまま何もしなかった。光に眩んだその顔を、ただ見ていた。
頭を撫でたり、懐に持ってきて抱きしめたりも何もしない。ただ、じっと見ていた。この方がいいと思った。
「どうしてどこにもいかないの?」
気づいた桜姫が尋ねた。
「なんとなくです」
私は泰然と言った。
「つきひめちゃんは」
「埜良さんもいると思うので大丈夫でしょう」
すると、桜姫は、夜玄に変化した。
「君、ちょっと変だよ」
「よく言われます」
「まあでも、悪い気はしない」
「そうだ、早く現実世界に戻りたいのですが」
「もちろん、僕の力で戻せるよ。君たちとは十分遊んだし、いいよ返して——」
——ダメに決まってるだろ。抹殺しろ。
言葉が途切れたかと思えば、夜玄は胸を押さえて呻き声を上げた。地面に這うようにして蹲った。
「夜玄!」
「ダメ……ハナれて……」
「どうしました? 何が……!!
「ああ゛!! ああ゛!!」
呻き声はやがて、狂気に満ちた笑い声に変わった。
「さァ……ヤろうか」
【闇黒領域】
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その時、おびただしい程の黒い靄が、夜玄を中心に発生した。ただでさえ暗くて不気味な雰囲気だった街中が、さらに深い闇に覆われた。
嫌な予感しかしない私は、夜玄から距離を取った。
【万有引力】
為す術もなく強力な引力に乗せられ、あっという間に夜玄に衝突した。夜玄は私を締め付けるように強く抱きしめた。
夜玄の放つ引力は非常に強力で、金縛りに遭ったかのように体が動かない。
ゴゴゴゴ。硬く大きなものが崩れたような轟音が、そこかしこから聞こえてきた。微かにきゃあという悲鳴も聞こえた。
「君はこれで終わりだ」
だって、【万有引力】で引いたのは、君だけじゃないからね。ほら、根元からボキッといって、僕目掛けて倒れてくる塔だって。ま、君は僕に埋もれて見えないだろうけど。
さァ、オヤスミィ ♪ 永久にさァ。
【白光】
【宙韻縹渺】
色の声が聞こえた。すると、強力な引力が消えた。ようやく顔をあげることができると、そこは闇の国ではなく、快晴の大海原の上。
『え?』
夜玄ともども驚いた。そして、私たちは宙に浮いていた。それも束の間、落下した。
『わあっ!』
落下の最中、何を見たのか夜玄はフフと笑い、こう言った。
「この戦い、君たちの勝ちだね」
「え?」
「じゃ、さよなら」
そう言って、夜玄は手を解いた。
「夜玄……」
瞬間、夜玄の胴体に細い滝が落ちてきた。いや、故意に放たれたのだ。細くともその力は強烈らしく、夜玄は為す術もなく海に落ちた。
私はというと、夜玄が落とされるのと同時に、何かの上に乗った。白いもこもこ、白雲丸か。
「怪我はないか?」
全然違う。別の雲のようだ。
そんなこと、今はどうでもいい。
「夜玄!!!」
私は、夜玄が落ちた地点を目視し、彩色の杖を手に持ち、雲から飛び降りた。
気づけば私は、船の寝床の中にいた。起き上がって横を見ると、葉緒ちゃん、埜良さん、歌龍さんもちょうど目覚めたようだ。
埜良さんと二人きりで話したあの夜から現在に至るまでの記憶はとんと消えていた。煙に巻かれたような、すっきりしない感覚だ。
ただ、一つ、大きなものを失ったような喪失感だけが残っていた。