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【小説】 旅草 ——恵虹の故郷 猫石
一頁
私には、決して人に晒すことが出来ない秘密があった。私の厚い前髪の、その向こうにあるもの。
私が戸を開け、外に出ると、甲板では葉緒ちゃん、埜良さん、葉緒ちゃんの腕の中にいる玉兎様が、色と何やら話していた。
色のやつの一言が、私の耳を真一文字に貫いた。
「恵のやつな、あいつ三つ目なんだ」
「三つ目!?」
「三つ目?」
「色!!!」
私は、急いで彼らのところに駆け寄り、色のほお目掛けて掌を振り下ろす。だが、色はそれをするりと躱した。
「何勝手に話してるんだ! 極秘機密だってことは知ってるでしょう!?」
「こいつらは、一緒に旅する仲間なんだろ? 話す義理があると思うぜ」
もっともな言い分だが、それでも、人にこの秘密を知られるのは、怖い。次の言葉は見つからないまま、私は、再び船内に入った。
「恵虹!」「恵虹さん!!」
「葉緒、埜良、もう少し話を聞いてくれ」
「いいのか? 恵虹は嫌がってたけど」
「それでもお前たちには、ちゃんと知ってもらう必要がある」
恵虹のやつが中に籠もった後でも、俺は二人に、三つ目のことを話した。
「あと、葉緒、ただ人に見せるだけじゃあ、爆破なんて起きん」
「え!?」
「あれは、恵が吐いた嘘だが、まあ、あながち間違ってもいねーな」
「どういうこと?」
葉緒のこの疑問には、月夜が説明した。
「三つ目の出生率は著しく低い。一年に一人か二人、生まれない年だってある。三つ目の秘めたる超能力に加えて、この希少性、裏の市場に売り出されば高値がつく」
『裏の市場……』
「鬼族じゃあ一つ目なんて珍しくないが、三つ目は鬼以外の霊人、兎人なんかにも現れることがある。
無論、そいつらは鬼の三つ目以上に珍しく見られる。恵のやつは霊人の三つ目、そんなやつが闇の市場に売り出されば、バカみてーな価値がつく」
「そっか、恵虹がそんな価値のあるやつだって知れ渡れば、あいつを狙った大事件が起きるかもしれないってことか」
「だから恵虹さん、前髪長くて、……爆弾なんて」
二頁
「色の……馬鹿野郎」
ここは、船内の奥の奥に設けた、書斎兼私の部屋。壁一面を覆う本棚には、故郷から持ってきた本を沢山置いている。あとは、技術者である父から贈られた、猫の電話機と置き時計、ささやかな趣味の琴も置いている。
それから、羽毛布団のようにふかふかなソファと同等にふかふかな座布団。私は今、そのふかふか同士の中にうつ伏せになって、自らの腕を枕にして埋もれていた。
私の三つ目に秘めたる力というのは、普通目に見ることの|出来ないものが見れる力。それは未来、過去、自分の記憶に残っている人や動物の視界を見ることが出来る、とても凄い力だ。
でも、何でも完璧という訳でもない、逆にこれら以外の、二つ目で見ている景色は見ることが出来ない。目を開けることは出来てもそれはただのハリボテで、視野が広がるなんてことはないし、二つの目を開けながら、三つ目の力を発動するのは至難千万。太陽を直視したように、三つ全ての目が眩んでしまう。
三つ目の力は完璧無敵な力ではない。しかし、三つ目でない者にとっては羨ましく思うだろう。
あるいは、気味悪く思うだろう。普通、人の目は二つだ。鬼であれば一つ目も沢山いるが、霊人は二つ目のみ。この絶対の常識を万が一壊す者が誕生したと知れば、湧いてくる感情は恐怖一択。未知なる存在、得体の知れない異形、もしや自分たちに不幸をもたらすのではないかという不安。そんな恐怖心を動機に異形の者を排除する。
私はまさに、万が一で誕生してしまった異形であり、例に漏れず、周りの人たちからは距離を置かれていた。
もちろん、三つ目は生まれた時から、常に隠している。それでも私は、価値観なんかが周りとは違っていた。「変わっている」と周りから囁かれた。直接言われたことも多々あった。
「ねぇ、なんで匡ちゃんは男の子なのに、女の子のかっこうをしているの?」
「あいつ、男のくせに、なんで女みたいな格好してんだろーな?」
「気色悪い」
「なんでお前、父ちゃんと母ちゃんを、父とか母とか呼んでんの? おかしくね?」
だめなの? なんでそんなにいけないの? 別にいいでしょ?
私って、変な人間?
いつも家にいない父が、久々に帰ってきた時に、私は父に言った。
「私って、変な人間ですか? みんな私のこと、変だって」
すると父は、にっこり笑って言った。
「それは誉れなことですね」
「へ?」
「周りから変だと言われるほどの異彩を放つ者は、物語の英雄のように、より輝いて見えるものです」
このやりとりを聞いていた母からも、
「そうよ、アンタはアンタらしくしていればいいんだから」
三頁
と言われたことを信じ、私は私の道を堂々と貫くと決意を固めた。その硬さは鋼のように硬いとは言い切れないが、迷うことはない。
それでも、独自の道を貫く私を、周りの人たちは怪しく思った。大人も、子どもも。
私が生まれ育った故郷の名は、猫石。二つの立派な岩山の麓にある、猫の神様が治める地であり、ほとんどの建物は石でできている。まさに猫と石の町である。この地に生まれたものは皆、猫と会話をすることができ、猫と友達になることもできる。
町の図書館では、複数の子どもたちが本棚の影に隠れて、こそこそと何かを覗いていた。
「いたぞ、ようかいだ」
「あいつ、男のくせに女みてーなカッコーしてやがって」
「しかも、いつも一人で、本なんてよんでてさ」
「なにかんがえてるかわかんねー」
「きみがわるい」
彼らの目線の先にいるのは私だ。私は字の読み方を覚えた頃から、本を読むのに夢中で、八歳のこの頃は、空想物語の児童文学作品を読むのが好きだった。
「こら、お前たち」
私を覗く子どもたちに注意しに来たのは、この図書館の館長、広樹さんだ。
「ここは、本を読む場所だよ。読書の邪魔をする子はお呼びじゃない」
優しく嗜める広樹さんに、子どもたちは不満顔になった。
「だって、あいつ、ようかいなんだぜ」
「匡ちゃんは立派な人間だし、そんな言い訳で、人の読書を邪魔していい理由にゃあなんないよ。読むつもりもないなら帰りな」
言い淀んだ子どもたちは、ちぇっ、と口を尖らせて、図書館《としょかん》を出て行った。広樹さんは、町でも珍しい、私を守ってくれる存在だ。少しも怪しむことなく、優しく接してくれるから、この図書館は居心地が良い。
時刻が午後の五時を回ると、図書館は閉館する。閉館の音楽が流れると、本をたたんで、元の棚に戻す。三つ目の力を使えば、この本を何処の棚から持ってきたかが、正確に分かる。
広樹さんや司書さんたちに挨拶をして、図書館を後にする。
図書館から出ると、そこには母がいた。
「匡!」
と軽く手を振った。辺りが暗いせいで顔は見えづらいが、母だということは分かるので、私は嬉しくなって、「母!」と駆け寄る。
私の父は、技術者の仕事に励むため、青い海を横断し、猫石がある秋の大国・黒槌の対極にある夏の大国の都市で、多くの時を過ごしている。
あまり一緒に過ごす時間がないのは悲しいが、父が帰ってきた時には、向こうで人気の本や道具、美味しい食べ物などのお土産をたくさん持ってきてくれる。それはとっても楽しみであった。
普段は、母と二人で手を繋いで、黄昏道を歩く日々。見上げれば、青紫色と橙色の空があった。この空の色合いを見ると、かぼちゃの煮物を思い出して、食べたくなってしまう故、私はこの空を、心の中でかぼちゃ空と呼んでいる。
四頁
かぼちゃ空が星月夜となる頃に、家につく。猫石の家は、ほとんどが石造りの家で、塗料を塗るか敢えて塗らないかなどの工夫で、他の家との見分けをつけている。我が家は、石レンガの整った家で塗料は塗っていないが、十分他との差がついている。
家に帰れば、母が腕によりをかけた夕食が待っている。定食屋の料理人である母の料理はとっても美味しい。毎日朝昼晩のご飯を食べる度に、舌が幸せになっていた。
波風立たない平凡な生活を送っていた。良いことばかりじゃないけれど、悪いことばかりでもない。幸せかと問われれば、十分幸せであるとの答えが出るだろう。
でもある日。この日を境に、私の運命の船は大胆に舵を切った。
私がいつものように図書館に行くと、そこには見知らぬ人たちがいた。
淡い黄色の髪、真っ白な肌色の、耳の尖った男性二人と、黒髪の女性一人の三人。彼らは、広樹さんと何か話していた。見知らぬ人たちに戸惑って、ぼーっと彼らを見ていると、広樹さんが私に気づいた。
「おや、匡ちゃん。いいとこに来たね。なんと、この町にお客さんが来たよ」
「お客さん!?」
何の変哲もないこの町に……いや、変哲はあるものの、大した娯楽施設なんてないただの住宅地に、お客さんなんてそう来るものじゃない。
突然のお客さんに驚く私だったが、彼らの方も私を見て驚いていた。特に女性は、私に近づいてきて、屈んだ。
「あなた、男の子? 女の子?」
「え?」
突然尋ねられて、私は戸惑った。返答にも困った。一応、私は男の身であるから、そう答えるのが正しいだろうが、女だと答えても別に良かった。どっちだって良いのだから、どっちか答えろと言われると困ってしまう。
ハッ、と、そこで私は良い質問を思いついた。
「あなたは、どっちだと思いますか?」
思いがけない質問だったのか、お客さんの三人は目を丸くした。
「……女の子」
「なら、それでいいですよ」」
『え!?』
広樹さんは笑った。
「確かに、匡ちゃんみたいな子は珍しいけれど、一人や二人くらい、そういう子がいた方が世の中は面白いでしょう」
広樹さんの言葉に、男性二人は「それもそうですね」と笑った。
でも女性は、まだ不満顔が晴れていなかった。
黄色髪の男性二人は、兄弟で、兄の方は鍋三郎殿、弟の方は銀翔殿と言った。この二人は、冬の国にある村から夏の海、春の海の地域をいろいろ巡って、猫石に辿り着いたと話していた。当時の私はそのまま流していたが、今になって思い出してみれば、何故猫石を訪れたのだろうか。猫と石しかないあの町にだ。三人の誰かが、無類の猫好きか、石の愛好家か、だったのだろうか。
そんな様子は見られなかったけど。
五頁
後一人の黒髪の女性は、蝶華御前。鍋三郎殿、銀翔殿の二人とは、彼らの旅の最中に出会い、二人の優しさに惹かれ、旅の同行を決めたと話した。
彼らは私に、お近づきの印として、とある本を贈った。それこそが、私の人生に大きな影響を与えた一冊、『飯次郎の旅』という名の紀行文である。飯次郎殿は、鍋三郎殿、銀翔殿兄弟の祖父上に当たる存在で、彼の旅の記録を書物にし、彼が訪れた町の図書館や民たちに配り渡った。それが彼ら兄弟の旅の目的だった。
しかし三人は、当分の間、猫石の町に住まうと言った。私がその訳を聞くと「神のお告げさ」と言った。彼らの髪の淡い黄色は、月の神様を信仰している証。月の神様からのお告げということだ。
つまりは、玉兎様の指示によって、猫石を訪れたということだが。何か事情があったのだろうか。
そして、三人は一年弱の長期間、家を借りて、猫石の町で暮らした。町の人たちは、異国からの余所者と、彼らを疎外視していたが、私は積極的に彼らのもとを訪れて、会話を重ねた。彼らのこれまでの旅の話も沢山聞いた。『飯次郎の旅』の書を読んで、旅というものに強い憧れを抱くようになった故でもある。
鍋三郎殿はその字の通り、鍋料理を得意としていた。何でも、冬地域は秋地域の朝晩と比にならない程寒いらしく、そんな中で食べるポカポカ鍋は、格別に美味しいらしい。
秋ではそこまで寒くならないが、私にもその鍋を振る舞ってくれた。鶏つくねが入っていたり、少し辛みのあるキムチ鍋や、多種類の香辛料を用いて作るカリという料理の鍋。どれもとっても美味しかった。
彼らが暮らしはじめてから暫くして、銀翔殿と蝶華御前は結婚し、子を授かった。子どもが生まれたのは、六月の中旬。変わらず秋の陽気が漂う朝、太陽も見守る晴天の中で、うるわしき姫君が誕生した。その子は「葉緒姫」と名付けられた。そう、葉緒ちゃんである。
人類であれば、例え異種族同士でも男女が契りを結び、子を授かることができる。生まれた子どもは、両親のどちらかの遺伝子を受け継ぎ、どちらかの種族に生まれる。
生まれたその日に彼女と対面し、抱かせてもらった。
自分に妹が誕生したように思えて、安らかに眠るその顔を見ていると、愛おしさが溢れて溢れて、大海原の上で大の字になっているような気分になった。
愛おしさのあまり「葉緒ちゃん」と、ついうっかり、口から溢れてしまう。その日を境に、寝ても覚めても葉緒ちゃんのことばかり。学校の授業中も、ついついうわの空になって、葉緒ちゃんの可愛さばかりを思い出してしまう。彼女の愛おしさからか、言葉の語呂の良さからか、彼女から遠く離れた場所にいても「葉緒ちゃん」とついつい口に出してしまう。
そして、まとまった空き時間ができると、すぐさま彼女のもとへ飛んでいった。この頃はまだ、空を飛ぶ術は持ち得ていないものの、気持ちの上では、鷹や鳶、龍のように大空を羽ばたいていた。
葉緒ちゃんに会えば、私の幸福度は兎が飛び跳ねるように爆増し、彼女のほおをつんつんすれば、更に上がりて、私のほおも目尻もたゆんでしまう。
六頁
時折、家からとある書物を持ってきて、その書の教えをまだ赤子の葉緒ちゃんに説いた。それは、何千年もの大昔に生きた、伝説の思想家、英聖の教えをまとめた教本である。私も幼い頃、父からこの書の教えを説かれたものだ。
英聖の教えは、人として基本的ながら、とても大切なもの。私はまだ生まれて間もない赤子の葉緒ちゃんに、英聖の教えをいくつも説いた。
それらの教えを説けば、彼女は心の優しい、立派な人物へと成長すると信じていた。
「いいですか、葉緒ちゃん。どれだけの知識を蓄え、群を抜いた才能があっても、人を思う仁の心がなければ、尊い人とは言えません。絶対に欠かしてはいけないことなのです」
「あー……」
また、私の大好物である、肉まんを持ってきたりもした。肉まんは、母がよく作ってくれるのだが、葉緒ちゃんのぶんも作ってくださいと頼んだら「まだ、赤ちゃんだからダメだよ」と断られた。仕方なく、私が食べる分だけ持ってきた。
「葉緒ちゃんも食べますか、肉まん。とっても美味しいですよ」
「……」
「肉まんなんて、まだ早いわ」と蝶華御前に笑われ、仕方なく私一人で肉まんを食べた。
それほどまでに、葉緒ちゃんを愛おしく思っていた私。しかし、彼女と会える時間はそう長くは続かず、彼女が生まれて数ヶ月が経った十一月二十三日。私が十回目の誕生日を迎えた日だった。この日、鍋三郎殿ら四人家族は、猫石を離れて、旅を再開する。
そしてその日は、秋の国、黒槌の一大行事「鯉登り」が行われる。体長三メートルの巨大な海鯉の群れが海から泳いできて、川を登っていくという迫力満点なお祭りである。最後に待ち構える滝を登り切って、大空に跳ね上がった時、鯉は龍と化して、天空の国へと飛んでいくという、ロマン溢れる結末を迎えることもある。
私は実際に、滝を登り切った鯉が龍になって、空に飛び立って行く光景を何度か見ている。
というのも、「鯉登り」は黒槌的にも、世界的にも、大切な行事らしく、黒槌の住民皆に龍になるため奮闘する鯉たちを応援してもらうためにも、この日は、仕事も学校も、その多くが休日となる。
とはいっても、「鯉登り」が開催される己斐戸市の登龍川へ行くには、結構な時間と体力を消費することになる。
何より、この行事は世界的にも重要であり、死に物狂《ものぐる》いで川を登る鯉たち、同志たちが次々に脱落して行く中でも、へこたれずに登って行って、見事龍になれた時の感動は、多くの人々に勇気と希望をもたらす。国や地域を問わず、世界中の民たちからも、愛される行事であり、種族人種を問わず、多くの人たちが川に集まってくる。
そこにはいろんな人たちがいる。
同じ人間である私にすら恐怖心を抱く彼らは、当然そんなところに行こうともしない。「鯉登り」の休日は、彼らにとっては、ただの休日である。
私は、自分の誕生日ということもあって、毎年のように行っている。母《はは》と一緒に、時に父とも一緒に。
でも今年は、蝶華御前と葉緒ちゃんも一緒だ。鍋三郎殿と銀翔殿は、出航の準備に掛かって、「鯉登り」が終わった頃に、二人を拾って、出航するという計画だった。
七頁
この年の「鯉登り」の会場も、とても賑わっていた。滝落つる登龍川のその周辺。ズラリと屋台が並ぶお祭り騒ぎっぷりで、民草たちは、食べ物を片手に行き交っていた。
私とは違う、別の種族も沢山いた。
限りなく真っ黒な肌に、金色の目玉と牛の如く曲がった鋭い角の黒鬼族。
トウモロコシの実の如く真っ黄色な肌の黄鬼族。
瑠璃の宝石のような深い青色の肌の青鬼族。
トマトを思わせる真っ赤な肌の赤鬼族。空豆の如く優しい緑色の肌の緑鬼族。
耳が尖がっている兎人族、立派な髭を蓄えているのに、行き交う他の人たちよりも随分と背の低い土中人族の人たちも見かけた。
同じ人間族でも、肌の色が黒糖パンの如く濃かったり、肉まんの生地のように白い人もいた。
本当に多種多様な民たちがそれぞれ楽しそうにしていて、その賑わい様を見渡すのも、このお祭りの一つの醍醐味とも言える。
登龍川の辺りには、神の力の一つ、地の力で作られた、岩の特設観覧席が設けられていた。これは一種の舞台なのである。
私たちも特設観覧席で、屋台で買った食べ物を食べていた。私はりんご飴を舐めながら、心を弾ませていた。
その年は、一体の鯉が、見事、滝を登り切り、龍と化して、空の彼方へ飛んで行った。
そして、別れの時迫る。登龍川に沿って、海まで歩いた。
青い海に浮かぶ、一隻の木造船。船の上でこちらに手を振る鍋三郎殿と銀翔殿。彼らの横には、見知らぬ黒鬼の男が薄ら微笑んで、二人と何かを話していた。
男は肌だけでなく、髪も瞳の色も真っ黒に染まっていて、そこには艶も光も一切なかった。
名は、烏羽子と言い、鍋三郎殿と銀翔殿が私たちを待っている時に声をかけられ、旅の同行を志願されたという。
その男の顔を見てすぐ、私の三つ目がパッと開いた。
見知らぬ島で、無惨に倒れている鍋三郎殿、銀翔殿、蝶華御前、森の中で空を切る葉緒ちゃん。
これは三つ目が持つ力の一つ、未来予知だ。自分や身近の大切に思う人たちに、事の大小を問わず危険が迫ると、その危険が起きてしまった未来が、玉響の間、視界に映し出される。予知した未来は必ず起こる。
つまり彼らは……彼らとは……この船出を最後に、もう会うことは叶わないだろう。
いやだ。
八頁
去りゆく蝶華御前の背中に、青ざめた私は叫んだ。
「待って、行かないで!!」
走って無理にでも引き戻そうと動く私を母が引き留めた。
「匡!」
抱きしめて押さえる母の腕の中で、必死にもがく。目に涙を溜めて、前へ前へと突き進んで、私を閉じ込める母の手をこじ開けようと必死だった。
「行ってはいけません! 危険です! 行ってしまえば、みんな……!!」
その時だった。私の周囲ががらりと変わった。緑一色の世界に私はいた。母も蝶華御前も、葉緒ちゃんも、海も船も何もない。ただ、緑の世界であった。森の中にいるような、鬱蒼とした緑色だ。
ここはどこだ? そう思った時には緑の世界は消え、興奮も涙も治って、私はその場に突っ立っていた。
振り向いた蝶華御前は、名残惜しそうな顔を見せつつ、微笑んで「またね」と手を振った。
またもや涙が滲んだ。その「また」は訪れるだろうか。
船を見送ると、母はひっそりと私に尋ねた。
「何か見たの?」
私は重々しく「はい」と答えた。
すると母は言った。
「帰り、肉まん買っていこっか」
この一言に、私の心は少し軽くなった。
「はいっ」
「鯉登り」の会場にまだ残っていた屋台で買った肉まんを食べながら、帰りの電車を待っていた。
家に帰ると、父が夏の国から帰ってきていた。父は、猫石の地を治める猫の神様を信仰しているので、頭部に猫耳が生えている。人間の耳も残っているため、耳が四個あるが、機能しているのは猫耳の方だという。ここから更に、猫、ネコ科の動物になることもできる。
久々に父の顔を見ることができた喜びは、計り知れない。残酷な未来を見てしまったあとだったから、尚更だ。
夕食を食べた後の夜。外に出て、星が瞬く空を眺めていたら、ほのかに光る真っ白な蝶が、星の前を横切った。はらはらと鱗粉を落として行く、その美しさに視線を奪われ、飛び行く蝶の後を追った。
蝶の行く先は、家の裏の猫御山を少し登ったところにある、猫の神様を祀る社だった。ここは家から近いし、規模の小さい社ということもあって、人も滅多に来ない故、落ち込んだ時などによく訪れていた。
社に着くと、蝶の姿はなく、社の屋根に見慣れない猫がいた。ここは猫の神様を祀る社だということもあり、猫がよく集まるが、見ない顔だった。
その猫を見て数秒、私は顔をしかめた。三日月の如く笑う口、全体的に人を馬鹿にしているようなその顔が、小憎たらしかった。
小憎たらしい顔を除けば、さっきの蝶の如く淡く光る白い毛並み、額にかなり成長している竹の子のように、ピンと鋭く伸びた角は美しい。
九頁
猫は私を見下ろして言った。
「喜べ、小僧。俺がお前の守護になってやる」
突然の一言に、私は戸惑った。
「……え?」
「喜べ、小僧」
猫は再び言った。そこを二回言ったってしょうがない。
私は慌てて言った。
「待ってください。あなたは何者ですか?」
猫は名乗った。
「俺は色。神より偉大な、宇宙猫だ」
「神より偉大な、そら猫?」
私は思わず鸚鵡返しをしてしまった。
「この世を創造する【色の力】を持つ、最強の猫だ」
話すことが壮大過ぎて、理解が追いつかない。本当に何者だ?
猫の言うことが本物ならば、世界を創れる力をもつ凄い猫が、私の守護につくと言うことだ。想像がつかない。
「どうしてですか? なんで私に……」
「決まっている。お前に俺が目をかけてやるくらいの価値があるってことだ」
「目をかける価値?」
「ああ、それにお前は三つ目だしな」
反射的に、額に隠れる第三の目を両手で覆った。
「隠したって無駄だ、馬鹿め。お前が生まれた時からずっと見てたんだ」
「生まれてからずっと!?」
「ああ、三つ目のやつでさえ、一年で多くて二人、零の年だってざらだ。三つ目のやつは大抵が鬼なんだが、そんな中、霊人であるお前が誕生した。こりゃあ、またとない好機だ」
何故か期待されていた。しかし、彼の言葉は私には重く感じた。
「どうして私に? 私なんて……ただの妖怪です」
「そりゃあ、おめーみてーな珍種はそういねぇかんな」
「おい!」
ド直球に言いやがった。あいつには配慮という概念がないらしい。
「だからだよ。この俺が、そこらのゴロつきに少しでも目をやると思うか? お前が珍妙で、可能性を感じるやつだから、俺の力を与えてやろうってんだ」
「あなたの力?」
「【色の力】だ。これがあれば、お前はうんと強くなることができる」
色の言葉に、私はハッと目を開いた。その力があれば、彼らを助けることができるだろう。
私はまっすぐ、色を見た。
「色さん、わかりました。未熟者の私ですが、色の力を私に」
色はすぐに応えた。
「ならば、これを受け取れい!」
そう叫ぶなり、色は私に白い光を飛ばした。私がその光を掴むと、光は細長い棒になり、先端には筆のような、万年筆の先のようなものがついていた。
十頁
色がその棒の説明をする。
「そいつは【彩色の杖】と言って、色の力を発揮させるのに持ってこいの道具だ」
詳細の説明と、軽く力の使い方を教わった後、早速私は、乗ることができる雲を生み出して、それに乗って、夜の空に飛び上がった。
「おい、待て! どこに行く!」
彼らの悲惨な結末を私が変える。その一心だった。
その時だった。両目が閉ざされて、額の第三の目が開いた。視界の左側に映るのは、酷い姿で倒れている私だった。
雲の動きが止まった。私の意思が止まったからだ。このまま行けば、私はやられてしまう。しかし、行かなければ、葉緒ちゃんたちに悲惨な末路が待っている。私は彼らを助けたい一心で、再び雲を進めた。
【青の帳】
すると目の前が、青一色の世界になった。夜空よりも幾分と明度の高い青だったため、少々眩しかった。
昼間、鍋三郎殿らが出航する際には、緑一色の世界に閉じ込められた。それと同じ手の技だ。
緑の世界にいた時は、自然豊かなところにいるような安らぎを感じたが、今回の青の|世界は、こもった熱が一気に冷やされる、濃厚な冷静さを感じた。
突然、猛烈な眠気に襲われた。そして、強制的に目蓋が閉ざされた。
今晩の月は三日月の形をしていた。それは色の口の形にそっくりで、夜空がニヤニヤと笑ってるように思えた。きっと私を嗤っているのだろう。大切なもの、守りたいものを何一つ救うことのできない、弱く惨めな私を。
私は社前の地面に、仰向けになって倒れていた。そんな私の視界を、色が覗き込んで言った。
「馬鹿野郎め。死ぬと分かっていながら、行こうとする阿呆がどこにいる」
色の顔は、ほとんど見えなかった。溢れる涙で滲んで、ぼやけてしまうから。
「だって……だって……」
これ以上言葉は出なかった。ただ、涙と悔しさが、絶えず込み上げてくる。色以外、誰もいない竹林の中で、声を上げて泣いた。
「匡」
間も無くして、父と母がやってきた。父は猫耳であるため、人間よりもずっと優れた聴覚で、家から聞きつけてきたのだろう。
私は身を起こした。
父は私の側に来て、ぎゅうと抱きしめた。母は、空いた背中を優しくさすった。
父は言った。
「事情は利々さんから聞きました。とても悔しい思いをしましたね。私も側にいてやれなくてごめんなさい。
十一頁
ですが、匡、あなたは決して弱い子ではありません」
そして、母が言った。
「自分じゃない誰かのために、思いっきり悔しがれて泣ける子なんて、そういないよ。
あんたは良い子だね」
二人の言葉に、また大粒の涙が溢れた。さっきまでとは違う意味の。
しばらく経って涙も落ち着くと、父、母、色とともに家に戻った。
「ところで匡、髪の色が変わってますが……」
父に言われるまで、自身の容姿のことなど微塵も気にしていなかった故、言われた時にはハッと驚いた。
「瞳の色もね」と母も言った。
自分自身の姿は見えないので、戸惑う私の前に、宙に浮く色が現れた。
「ほいさ」と謎の掛け声を発しながら、顔より下に楕円状の鏡を現した。
そこに映る私を見て、天地がひっくり返ったかと思った。
長く真っ直ぐな黒髪が、淡い紫色に染まっていた。同じく黒い瞳は、髪色より数段暗い紫色に染まっていた。
驚きを通り越して呆然とする私に、父が説明した。
「髪の色や目の色が変わるのは、神様の特別な力を賜っている証拠です」
「では、やっぱり色さんも神様なのですか?」
これに色は、なぜか反発《はんぱつ》した。
「馬鹿野郎め。俺を神扱いすんじゃねぇ。俺は神より偉大な宇宙猫だって言っただろ?
俺の【色の力】を授かったからな。その紫は、お前の魂の色だ。その辺の神に祈りゃあ、みんな同じ色に染まるが【色】はひとりひとり違う」
この時私は、不服を募らせていた。
「何が神扱いすんなだ。神は偉大な存在なんですよ」
「ンなもん、俺からしたら格下だ。この世で最も偉大なやつは、この俺なんだぜ」
べー、と舌を出し、私もろとも、この世の全てを侮蔑した。この天上天下唯我独尊猫め。
「お前ごとき、下の下の虫ケラに過ぎん」
とどめの一撃。腹が立った私は、上目で色を睨んだ。
やつは変わらず、ニヤニヤと憎たらしい笑みを浮かべている。
私は、彩色の杖を構え、色に飛びかかった。
「こんの……三日猫があ!!」
思いっきり叫んで、泥のような紫色の塊を色に放った。余裕で躱された。すばしっこく躱して、逃げていくやつを一目散に追いかけていった。
私の魂の色と言われた紫色は、高貴な色、赤と青のどちらの要素も持つ神秘的な色、人の繋がりを象徴する色と、様々な解釈がされている。私にも通じる要素が見つかり、紫の色をとても気に入った。
しかし、気がかり事は全くないわけではなかった。この一晩で変わってしまった髪、これを周りの人たちはどう見るか、想像するのは容易かった。
十二頁
でも、そんなことは小さなことに思えた。周りの目を気にして、輝かしく魅力的な自分を殺してしまう方が嫌だった。
案の定、外を歩けば町の人たちの注目をかっさらい、学校にいけば化け物を見るような目でジロジロ見られた。私は心を強く持って、堂々とその道を歩いた。
その後、海に出た彼らの安否を色に尋ねたが「お前がそれを知ってどうする?」と言って教えてくれなかった。さらに「どうしても知りたきゃ、自分で調べに行くんだな。せっかくそれが容易い力を授かったんだからな」
私は彼らと別れた海岸に行き、船が進んで行った方向に青い鳥を飛ばした。それで三つ目の持つ、第三者の視点を借りる力を使って、青い鳥の視点で、葉緒ちゃんたちを探す。
そして、神月の島で見つけた。見知らぬ女性が、身を丸くしてお包みに巻かれている葉緒ちゃんを抱いていた。その女性とは、玉兎様である。
彼女は葉緒ちゃんをぎゅっと抱きしめ、涙を流しながら、何かを言っていた。
鍋三郎殿、銀翔殿、蝶華御前の三人はどこにいるのだろうと思った。けれど、二人を見ていると嫌な予感がしてしまって、これ以上知るのが怖くなった。
ただ少なくとも、葉緒ちゃんは無事だということは確かだ。早く会いに行きたいが、まだ歳十の子ども。もし、葉緒ちゃんを連れ帰ったりして、また同じような危険が迫った時に対処ができない。
だから、何が起きても葉緒ちゃんを守れるように、強い私になって、葉緒ちゃんと一緒に旅に出よう。飯次郎殿のように。
出発の時は、葉緒ちゃんが当時の飯次郎殿と同じ、年十六になった時だ。それまでにたくさん特訓しよう。
それから十六年、色の協力のもと、強く賢くなるための猛特訓をした。自らの身体能力をあげるため、山中を駆けたり、武術を習った。身体的な特訓だけでなく、図書館に通いつめて勉学に励んだ。特に色に関する知識を重点的に学んだ。
絵描きもその辺りから始めた。それは一趣味として、気分転換がてら行った。もともとうっすら興味があったファッションを勉強し、気に入ったコーデや自ら考えたコーデ を思うままに描いた。
成年に達し、「恵虹」の字を持った頃には、絵師の職を持ち、小説の表紙や挿絵、雑誌や広告に掲載するための絵などを描いた。個人の画集を幾つも出版したり、秋大国の都市部で展覧会を開いたりもした。
こうして、金銭を蓄え冒険の準備も着々と進めて今、ようやく海に出た。
コン、コン。
書斎の戸が叩かれて、そおっと開かれた。葉緒ちゃんと埜良さんが入って来た。
私は身を起こして、彼女たちの方を向いた。
「恵虹さん、大丈夫ですか?」
「あ……、はい。ごめんなさい、取り乱してしまい……」
「そんくらい知られたくないことだったんだろ? それを急にバラされたら誰だってそうなるよ」
十三頁
「葉緒たちは絶対に誰にも話しませんから、安心してください。それより恵虹さん」
葉緒ちゃんが抱えていたのは蒸籠。見た瞬間にピンと来た。これはまさか……!!!!
蓋を開ければ、聖なる湯気が立ち上り、そこには純白の女神が姿を現した。
「肉まんだーーーー!!」
全く、大袈裟すぎだ。なんで肉まんが女神なんだ。
私からすれば女神そのものなんです!
「色様が恵虹さんは肉まんが大好物だとおっしゃったので、作りました。肉まんは小さいころから作ってましたから得意なんです」
「葉緒ちゃんも好きなのですね」
「……好きは好きですが、わたしは甘い果物の方が好きです」
「そうですか」
そこまで好きというわけでもないのに、「得意」になるほど作ってきたということか。一体、なぜ?
すると葉緒ちゃんは、私のすぐ隣に座って言った。
「あのね。毎晩眠るとね、夢のなかで恵虹さんみたいな長い髪の男の子がでてきて、素敵な言葉を教えてくれたり、肉まんをわけてくれたりするんです」
「まるで昔の私のようですね」
「肉まんって、夢にでてくるまで全然知らない言葉だったんですけど、その子がとっても美味しそうに食べていたので、食べたいなって思って、起きてイチバンに『肉まん作りたい』って言ったんです」
「それはさぞかし驚かれたでしょうね……」
「驚いたよ、アタシも玉兎も。『どこで覚えたんだー』って」
「其方がまだ赤子の葉緒に肉まんを与えようとしたのは見ていたが、まさかそれを思い出していたとは。おそらくは、夢の神の仕業だろうな」
「というかわたし、恵虹さんに会ってたのですね」
「私の地元で生まれましたから。短い期間でしたが」
「じゃあ、恵虹さんは葉緒にとって、お兄ちゃんのような存在でしょうか? いや、お姉ちゃん? なんと呼べばいいですか?」
「恵虹とお呼びください」
「いいんじゃない? 二人がそう思えば兄妹でさ」
そうでしょうか。
私は、葉緒ちゃんが作ってくれた、蒸籠一杯の大きな肉まんを両手に持ち、口いっぱいに頬張った。
白い皮と中から溢れ出てきた肉の旨味に浸る心地たるや、極楽である。
こうして、私たち旅草の冒険が幕を開けた。
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