150円のスイートピーが変えてくれた世界
花を飾ることで、人生が変わったと思っている。
冷たい壁の1K
そのころ私は、家賃2万円の築40年6畳1K に住んでいた。
正社員でもなくパート掛け持ちのフリーター。
最低賃金だったので月収11万。保証もなく時間もなく、恋人もおらずなんの楽しみもなく、仕事終わりには首を90度うなだれてトボトボとバス停からの5分を歩いていた。
室内までコンクリ吹き付けの部屋は、ほっと一息ついて壁に寄りかかるとびっくりするくらい冷たかった。
150円のスイートピー
そんな生活が1年ほど続いたころ。
いつも通るお花屋さんの店先に、スイートピーを見つけた。
”150円”とある。
11万から家賃も光熱費も食費も借金返済までしていたけれど、150円なら買える。
でもすぐには手が出なかった。
150円とはいえ、すぐ枯れるよ?
私は植物を扱うのは得意じゃない。たった3日くらいで枯れるならお金出すのももったいないし、そもそもこのスイートピーが可哀想じゃない?
てか花瓶あったっけ?
もしも花のある生活がクセになって、もう少しいい花、もう少し…となったら月にいくらくらいかかるんだろう?
店先で150円のスイートピーを前に、ぐるぐる考えたことを覚えている。
テレビの前の幸せ
結局150円のスイートピーを一本買って帰り、家にある空き瓶かコップかに活け、テレビの前に飾った。
朝起きると、時間を確認するためもありテレビをつける。
するとスイートピーが目に入る。
これがなんとも幸せで。
スイートピーのふんわり優しい形もよかったのかもしれない。
当時なんの楽しみも希望も感じられなかった私に、ほんのりとそこだけが明るく見えた。
150円のスイートピーは、思いのほか長生きした。
きっと3日で枯れると思ったのに、10日近くそこにいて楽しませてくれた。
それから私は、ほぼ毎週花を買ってくるようになった。
冬場は花が長持ちするんだと知ったのはそのときだ。
朝7時半から12時間ほどは仕事で不在。その間エアコンはつけないからなのかもしれない。
ときには奮発して500円のアレンジメントを買った。
逆に夏はすぐに水が濁るし花も持たないから、買う回数は減った。それでもほんのりとした幸せのためにときどき飾った。
もう一つの彩り
花を飾るようになったのとどちらが先か忘れたが、なんの楽しみもなかった生活に『映画』という彩りが加わった。
映画と言っても映画館に行くお金はない。
近所のレンタルビデオ屋で旧作をたしか4本。これで1000円だったと記憶している。
たぶん、一人暮らしにも慣れて時間を持て余すようになったのだろう。
恋人はいないし、休みも急にできるから予定は立てられないし、出かける足もお金もない。ならちょっと散歩に出るか、と出かけたときにレンタルビデオ屋が目に入ったんだと思う。
朝7時半から夜7時半までは仕事で出かけているし、帰宅してからも家事やらなんやらしていたら10時。それから1時間ほど映画を見て寝る。2時間見ちゃうことも多かったが、なんか楽しかった。
日曜日はお休みのことも多かったので、一週間で4本ちょうど見終わるくらい。
映画ってどんなに無名でもハズレってないんだなーとそのころ思った。
何もない、自分の足で立つ暮らし
日曜の昼間、レンタルビデオ屋に歩く往復20分も楽しかった。
ただ風が吹き草木が揺れているのを見て心地いいなと深呼吸をしたし、タンポポやスミレを見つけると自然と笑顔になった。ネコがいたら座り込んでしばらく遊んだ。
空が青くて太陽が木々を照らすだけで、こんなに幸せなんだなーって感じられるようになっていた。
30歳になってすぐに始めた極貧一人暮らし。あと数か月で32歳になろうとしていた。
相変わらずお金も時間も保証もなく壁は冷たいが、それでも不幸じゃなかった。むしろ日々をニヤニヤ笑いながら過ごしていた。
30歳まで実家で親に守られて暮らしていたからか、自分の足で立っていることが誇らしかった。
暮らしは変われど
あの150円のスイートピーがやってきてから、おそらく1年ほど。
数年来の友人と映画の話がきっかけで付き合いはじめ、1か月で結婚が決まった。2か月目には式場を押さえ、5か月目には結納、6か月目には二人で暮らす部屋を借りて引っ越すことになった。
それからもう18年、今もやはり花を飾っている。
そしていつも、あの150円のスイートピーを思い出す。