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掃除をする理由

実家の掃除をすることになりました

先日、実家の母が倒れた。

あ、母は定期的に倒れるのでその話をしたいのではない。

父と弟が同居しているので、私自身は特に急いでいく必要はなかった。
弟は料理ができるし、運転なら父ができる。
ただ、掃除は母の仕事だったのだろう。父も弟も掃除をしているところを見たことはない。

ちょうど冬休みに入ったので娘たちを連れて帰省しようと思ったが、迷惑だろうかと相談した。
すると「掃除してないのでやってほしい」とのこと。

おー、そうか。
気がつかず申し訳ない。
やるやる。行きます。

そんな感じで16歳と10歳の娘を連れて実家に帰った。

やっていなかったわけではなくて

実家と言っても住んだことはない。
私が一人暮らしをしてから両親は田舎に引っ込んだ。
今の家が建っている土地で私は産まれたが、家は20年ほど前に建て替えてある。2LDKの隠居仕様だ。
弟は築50年を超え風が吹けば飛びそうな離れに住んでいる。

箱火鉢で暖を取る実家は、ススが舞い照明の傘も床も黒っぽい。
母が倒れる前から、いやそれどころか何年も前から、巾木の上に積もるホコリやスイッチ下の手垢は気になっていた。

気になるのに何もしなかったわけではない。

帰るたびに家中をクイックルワイパーで掃除して回るのだが、まぁとにかくホコリがすごいのだ。
さほど広くはない平屋だが、一部屋の半分でクイックルワイパー両面が真っ黒になる。ベッドや火鉢の下まで掃除するのは私だけのようで、うず高く積み重なったホコリは、数か月に一度帰るだけの私では取り切れなかった。
結果、気になる巾木や壁の手垢までは手が回らずに数年が過ぎていた。

不思議なのは、押し入れやキッチンの戸棚はわりとキレイなことが多かった。母、押し入れの中に頭を突っこんで整えるのは好きらしい。
「転勤のたびに押し入れの奥まで掃除できるのはよかったよ」といつも言っていた母らしい。

私は汚部屋住人だった

私はというと、片付けと掃除の違いを理解せずに大人になった。

実家住まいのときは万年床、学習机は常にモノがこんもりと積もっていた。

ベッドが導入されてからも床の散らかり方は変わらず、飛び石のようにモノをまたいでベッドに行く。
脱ぎ捨てた洋服や外したアクセサリー、読みかけの本、どこからか取ってきたパンフレットで、部屋の床が見えることはなかった。

当然、掃除はできなかった。
掃除の前にゴミを処分し片付けなければならないのだが、そんな細分化もわからなかった。部屋をきれいにするということは、ごみ処分、物の整理、片付け、掃除というすべてのことが大きな壁になってそそり立っていて、どこから手を付けていいか分からない。

それが親と同居していた独身時代の私だった。

ホットカーペットを敷くために

実家には片道2時間を運転していく。
帰ってきたとき散らかっているのもイヤだし、夫は仕事なので、自宅もそこそこ片付けてから出発。
実家についたころにはすでに疲れていた。

それでもその日のうちにクイックルワイパーはかけた。

余談だが、昔の家と違って気密性が高い実家で炭を焚くと酸素が薄くなりがち。そう気づく前まで私はいつも頭痛と吐き気にさいなまれ、寒い別室で寝込んでいた。
最近では火鉢のせいだとわかったので、あちこち窓やドアを開け換気扇を回して対策。父は私の後ろからドアを閉めて回ったり「そこ閉めて」「換気扇消して」と注文がうるさかった。冬場私が実家に滞在していると、父が閉め私が開けのいたちごっこが繰り広げられる。

火鉢がありエアコンをつけても私が部屋のドアを開け放つため寒い。押し入れに片付けてあったホットカーペットを出すことにした。
でも汚い床に敷きたくはない。
敷いたあとテレビやソファの下からホコリが飛んでくるのも視界に入るのもイヤだ。

ホットカーペットを敷く前に、再度家具の下までクイックルワイパーをかけ、ウエットシートを何度も取り替えながらゴシゴシと床を磨いた。たった3畳分のスペースだが、15分は磨いていたと思う。それくらい汚れていた。
2年半前に虹の橋を渡った愛犬がつけたであろう汚れも、まだあった。

次女の掃除法

娘たちにも手伝わせた。

10歳の次女にはとにかく家じゅうクイックルワイパーしてこいと言った。
一通りやるだけで3回はシートを交換するだろうし20分以上かかるだろうと思っていたら、ものの10分もしないうちに「終わった」と言ってきた。

「ぜーったいまだある。ホコリを探し出してやりなさい」
と一緒に見て回った。
棚の向こう側、鏡の下、クローゼットの前。
私に言わせると「どこを掃除した!?」と言いたいような状況だった。

ムリもない。家ではやらせていないもの。
とはいえ次女は、自宅では言われたことはすぐに動く感心な子、ということになっている。
考えずに点数稼ぎでやってるみたいだな。それも可愛いからいいんだが。

長女の掃除法

かたや自宅では何を言っても何時間も動かない16歳の長女。

こちらは私より10㎝背が高いので高い所を担当させた。
さすが高校生でもあるし、スイッチが入れば気の利く子だから、わりとしっかり磨いてくれた。

とはいえこちらもやはり普段は全く掃除も片付けもしない。
おやつのゴミも出しっぱなしで、いつも私が片付ける。
学習机はゴミと教科書と脱ぎ捨てた服がこんもり積もって、まるでウン十年前の自分の机を見ているようだ。

そんなだから気づかない場所も多く、「終わったよ」と言ってきたがあっちもこっちもやっていなかった。ちなみに拭いたところはきっちりきれいになっていた。

やればできるな、この子は。
誰かがやってくれると思うからしないだけだな。
普段まったく動かない長女なのに、なんかそんな安心感みたいなものを感じた。

手垢から伝わってくること

壁の手垢は長女といっしょに拭いた。

トイレやリビング、玄関のスイッチ下が汚れているのは気づいていたが、玄関スイッチから少し離れた角っこがえらく汚れているのにはこのとき初めて気づいた。常に視界には入っている場所なのに、意識しないと気づかないものだ。

そしてこの場所は、よく体調を崩す母が支えを求めてここに手を置くのだろう。さらりと触れた汚れというより、しっかり抑えつけたような汚れのつき方だった。

そういう目で見ると、母が支えを求めそうな他の場所の汚れに気がついた。そして、昔からそうだったけれども母は常にふらついているんだなと思った。78歳になった今ではなおさらだろう。
もっと気をつけてあげるべきなんだな。

そんな話を長女としていた。

同じことを5回させた意味

2泊3日の滞在中、次女には合計5回同じところを掃除させた。
初日に私が一度やったところを、二日目に2回やらせ、3日目にはドライシートで1回、ウェットシートで2回。
それだけ毎日ホコリがたまるんだよ、ということを体で覚えさせたかった。
「お母さんもほぼ毎日やってるんだよ」と言いたかったが、逆効果だと思ったので言わなかった。
けれどもたぶん、ほとんど感じてないだろう。

それでもいいんだ。20年後かもしれないが、いずれ感じる。

掃除しても、景色はあまり変わらない

気になっていたところは終わり、ぐるりと見渡した。

…変わんねー笑

これだけやったが、景色はほとんど変わらなかった。
そういえばほんの少し、壁のクスミが薄くなったかな?床のツヤが戻ったかな?という程度。
きっと父はなにも気づかない。

そう。
掃除ってすごく地味で。
ぱっと見には何も変わらないんだ。

母はこう言った。
「掃除って自己満足だよね」

あぁ、だから母はよく模様替えをするのかな。
ぱっと見でわかるように。
自分にも、父にも。

ホコリはあると不快だが、なくなっても何も感じない

手垢はあるほうが不自然。
あると「汚いな」と思うが、なくなったらなにも感じない。
つまり壁はきれいなのがデフォルト。

巾木に積もったホコリは、たぶん誰の目にも映っていなかった。母の目には映っていたのかな?映っていたとしても直接はなんの影響もないから無視していたのかもしれない。
でも何年も気になっていたものがなくなって、そこからホコリが滑り落ちてくる心配も減って、いちばんスッキリしたのは私。

テレビの下、箱火鉢の下、ソファの下、ベッドの下、家具の隙間、クローゼットの奥、ドアの端っこ。
全部ホコリを落とした。
表面だけ掃除したのでは、すぐにこの辺からまた不快なホコリが出てくるんだ。せっかく掃除したのに!と腹が立つので必ずまずこの辺りからやる。見える所だけやってもすぐ散らかるのはここをしないからだ。

元汚部屋住人だからこそ、一度の掃除でできるだけキレイをキープしたい。
めんどくさいことは大嫌いだ。
だから積もったホコリも見えないホコリも取り除きたい。また出てこられるとイヤだから。

掃除って自己満足なのか?

掃除って自己満足だよね。

そういった母の言葉がやけに気になった。

たしかに私は昔よりずいぶんとマメに掃除するようになったけど、これって自己満足なのかな?

いや、それは違う。
これは断言できる。

巾木に積もっているホコリも、家具の奥に隠れているホコリも、そこに住んでいる人やその場所の掃除を担う中心人物には視えているんだ。見えているんじゃない。視えているんだ。

そうやってホコリは人のエネルギーを奪う。
見ないフリをしていても、視えているから心のエネルギーは奪われる。

長女のように見えても視えてもいなくても、ハウスダストアレルギーで体が教えてくれる人もいる。
母と弟の喘息は、部屋のホコリも関係しているのではないだろうか。

私が掃除をするのは、ホコリに私のエネルギーを奪われないためだ。
人が生きていればホコリは立つ。当たり前だ。
でも仕方ないからと放っておいたらどんどん積もってこびりついて取れなくなる。
奥のほうに隠れてしまったホコリは、不意に出てきて「さっき掃除したのに!」と苛立たせる。

そんなのがイヤだから掃除するんだ。

もちろん、もと汚部屋住人の私には完璧に掃除することなんて難しくて、「あー、こんなところも汚れるのか」といまだに発見して途方に暮れる。

それでも、大切な自分の、大切な家族の、大切なエネルギーを、ホコリなんぞに持って行かれるのはイヤなので掃除をする。

自己満足ではないと思うんだけどな。

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