障害受容とオランダの話
今回のお話は「障害受容」についてです。
障害受容とは、文字通り「障害を受け容れる」ということ。
病気やケガなどで身体や高次脳機能に障害を負ったりした場合に、その方が「障害を受け容れて」、ポジティブに自分自身に向き合えている状態を指す言葉になります。
しかし医療や福祉現場では「あの人は障害を受容していない(ダメな患者だ)」というネガティブな意味合いで使われているのが実際です。
医療者として「障害受容」に向き合える自信がない
私は「発達の遅れや障害をもつお子さん」を育てるご家族と関わっていますが、正直いってご家族の障害受容にキチンと支援が出来ていたか、自信がありません。多分、出来ていなかったと思う。
「あなた、お子さんの障害を受け容れていますか?」
なんて、私には聞けなかったんですよね。
その答えを聞く勇気がなかったし、上手く返せる自信がなかったから。
いつ歩けるようになるか、いつ”普通”になるか
そんな質問が来るたびに、うまく心を支えられない自分を悔いるしかなかった。
「少しずつ成長してますよ」なんて、多分そんな言葉が欲しかったんじゃないハズだから。
そこで、今回は改めて「障害受容」について私の考えをまとめてみようと思います。
砕け散った花瓶を元に戻し続けること
キッカケになったのはこちらのTweet
脊髄損傷で麻痺を負った当事者の方の言葉です。
印象的なのは「元に戻す」ことをやめ、「新しい花瓶をつくった」というフレーズです。
後天的に障害を負った方は今までの自分を失い、定型発達に沿わないお子さんを産んだご家族は、理想の子育て像を失う
それぞれ、置かれた状況は違いますが「大切に抱いていた花瓶」が割れてしまったことには変わりないんです。
この”価値の転換”に重要な意味が込められているはず。
コーンの障害受容プロセス
こちらはリハビリ業界でよく使われるコーンの障害受容までのプロセスです。
例えば出生時に子どもが何かしらの障害を抱えていることがわかったご家族が
まずショックを受け状況を受け容れられず
状況は理解したものの「いつか”普通”になる」と信じ込む
発達が定型にならないことを理解し、悲嘆する
などの過程を踏んでいく、ということです。
おそらく一方通行で順調に進んでいく場合ばかりではなく、何かのトラブルをきっかけに逆戻り、ということもあるでしょうし
防衛→受容までのステップに何年もかかる、ということもあるでしょう。
この方のケースでは悲嘆⇔受容の間を左右して、少しずつ前進しているのかもしれません。
障害受容できるかどうかは「周りのサポート次第」
冒頭のTweetのように「新しい花瓶」を作るためには
・材料を揃えたり
・作り方を学んだり
・新しい花瓶をデザインする
ことにサポートが必要です。
その義務を放棄して「あの人は受容していない」と批判する現場の医療福祉職があまりにも多いように思います。
ですが実際、「どんなサポートが適切なのか」
私自身にもその答えはなく、未だに手探りです。
お子さんを育てるご家族には
・お子さんのサインを一緒に見つける、引き出す
・成長を一緒に楽しむ
・不安を受け止める
・使える制度を情報提供する
・装具などの環境を整え、自宅での生活が健やかになるようにする
と言ったことを意識するようにしています。
理想の子育てとは違っても、「子育て」を楽しむ素地を一緒に丁寧につくっていこうと、心に決めて。
オランダへようこそ
最後に素敵な詩を一部紹介したいと思います。
赤ちゃんの誕生を待つまでの間は、まるで、素敵な旅行の計画を立てるみたい。そして、ついにその日がやってきます。荷物を詰め込んで、いよいよ出発。数時間後、客室乗務員がやってきて、こういうのです「オランダへようこそ!」
ここで大切なことは、飢えや病気だらけの、こわくてよごれた嫌な場所に連れてこられたわけではないということ。 ただ、ちょっと「違う場所」だっただけ。
アメリカの作家・社会活動家のエミリー・パール・キングスレイ(英語版)によって1987年に書かれた、「オランダへようこそ」という詩です。
思い描いていたような人生ではなかったけれど、この人生が今とても楽しい。
イタリアに想いをはせるときもあるけれど、オランダの景色はとても素晴らしい。
そんな風に感じてもらうには、私たちに何が出来るのだろう。
スペイン語ですがこちらの動画も素敵です。是非ご覧ください。