グアテマラの経済状況と障害者の権利
多くの途上国では、障害児は学校に行けない、大人になっても仕事がない。
歩けなければ、聞こえなければ、見えなければ、相当運が良くない限り「教育」「社会参加の機会」「就労」という権利は奪われる。
それは当たり前なのだろうか?途上国ではまず、健常者の寿命や収入を向上改善すること、”障害者の権利”なんて二の次の次、仕方ないことなのだろうか。
グアテマラの貧困状況
グアテマラは中米の中でも貧困度が高い国である。
1日1ドル以下の収入しか手に入らない層が全体の27%、4分の1以上だ。しかも約2/3である1000万人が2ドル以下だという。
特に”先住民”と呼ばれるマヤ民族については、貧困率は約8割にも及ぶ。
貧困層が多く住む農村部の住居。土壁で出来ており、窓やドアや木でかろうじて付いているといった感じ。
かつ子どもの栄養失調の問題も深刻だ。
栄養失調というとアフリカの貧困層、お腹がぽってりとでている子どもたちを想像するかもしれないが、それは急性栄養失調。慢性栄養失調の子どもは見た目にはそんなに痩せていない。
一般的な9歳時と比べたグアテマラの子どもたちの写真だ。総じて平均身長より小さい。これは人種的な問題かと思われるかもしれないが、こちらも併せてみてほしい。
グアテマラ人だが、フロリダの家庭に養子にもらわれた子どもたちである。多少小さい子もいるが、みんな平均身長程度だ。
この慢性的な低栄養が何をもたらすか、それは体と心の発達不全である。
これに加えて特に先住民の子どもたちの多く、特に女児は高校までいかないことも多い。低年齢での妊娠・出産による貧困の連鎖も深刻だ(だいたい父親はいない)。
ざっくり説明したが、言いたかったのは
こんな状況で障害者の権利?何それおいしいの?状態ということである。
どんなに崇高な志をもっていても
私はボランティアとして視聴覚障害児のための特別支援学校で働いていた。
そこには全盲の青年(20歳前後)が通ってきており、熱心に就業訓練なども参加していた。シャイな青年で、はにかむような笑顔が印象的だった。
年度が替わる際に、学校の方針が変わりその青年が通学が出来なくなった。外国人であった私には詳しい事情が理解できず、彼がいなくなったことも何となく記憶から外れていった、1年程経ったある日のこと。
その日は県から”素晴らしい活動”だと私の勤務先の学校が表彰された日だった。
表彰式が終わり、通例の「お食事会」に向かう道中のこと。会場のすぐそばの路上に、座りこむ彼を見たのだ。約1年ぶりくらいだったか。
彼は物乞いをしていた。静かにうつむいて。
通学中は一生懸命点字を勉強していた。ただ、こんな国で点字が使えたからといって、それは金にはならないのだ。白杖をもって歩いていたって、誰も配慮して止まってなんてくれない。轢かれて死んでしまう。
どんなに学校が高い志をもって指導を行っても、一歩外に出れば圧倒的な弱者。出来ることは非常に限られている。
思い知らされた。一人ひとりに出来ることは本当に小さいと。
それでも前に進むしかない
世界一美しいといわれる(自称)アティトラン湖の朝焼け
問題が山積みで、どこから手を付けたら良いかわからないこの国。しかし、そこに住む人々は本当に親切で、あたたかい。
だからこそ、一人ひとりが出来ることを、声を上げ、手を動かして、足を使って行動することに意味がある。