アラサー男女のケンタウロス現象について
「女は家で家事をしろ」「育児は女の仕事だ」そんなことSNSに書いたら一発炎上、リアルでいっても男尊女卑のヤバいやつ決定ー
そんな風潮はだいぶ強くなってきた。育児は男女でするもの、女性もどんな仕事でもしてもいいし、給料も平等でしかるべき。そんな感じ。
私はギリギリ昭和の1988年生まれだが(昨今の平成生まれ向けのアイコンにはだいぶ疎外感を感じる。昭和なんて3か月しか過ごしてないのにな)、同世代男女は”ケンタウロス化”していると感じる。もちろん、私もその一人だ。
ケンタウロスとは、上半身が人間で、下半身が馬のアレである。余談だが私はカタカナが弱く、さっきまでケンタロウスだと思っていた。太郎て。
つまり、上半身(頭の中)は男女平等!ジェンダーフリー!自分らしい生き方!という情報に晒されまくり、感化されまくり、「好きなことしていきるの、何かいいよねー」という状態になっているにも関わらず、下半身(考え方の根底)はまだまだ親世代の前時代的な考え方を引きずりまくっていく、そんなダブルスタンダードな状態である。
これは正直いって生きづらい。「男に頼らず自分らしく、仕事も趣味も」と心を決めたと思った次の瞬間、「でも30歳になったら婚期逃しちゃうし、市場価値下がるってきくし、子どもも産めなくなっちゃうし…」と、他人基準の幸せスタンダードに押しつぶされる。そのハザマでぐりぐり自分で自分を殴りつけている。理想と現実が定まらず、ふらふらする。
私は女性なので、あくまで女性の目線からだが、とくにアラサー男性はより生きづらいのではないかと思う。「自分のやりたいことをやりきりたい」と「自分が正社員として安定した立場を得て、安定した給与を稼いで、安定した家庭を築いてこそ一人前」というギャップに圧死寸前なんじゃないの?という話を時々聞く。
世代が変わることに考え方は変わり、人類は進化する。いわゆるミレニアル世代、ティーンエージャーたちの自由な羽ばたき方を見ると、足がすくむ。周りをみると、既に成功している30代後半や、若くして起業している20代半ばがほとんどで、アラサーはぽっかり抜け落ちている印象だ。このギャップにやられている人は多いのかもしれない。
"Age is just a number" カナダとスイスで観光ガイドして犬ぞり引きまくっている友人から言われた言葉だ。彼女は私の一足先を、悩みながらも笑顔で生きている。自由に生きること、その先にレールはない。これをすれば正解だ、という答えもない。
ケンタウロスから、いつか一端の人間へ。もしくはまた別の新しい生き物へ。このもがいている時間もきっと無駄ではないと信じながら、目の前のまっくらな道を今日も進む。