20歳になったよ〜

成人式の案内が来た。また一つ世間に置いていかれる気がした。気がしただけだけれど。

自分で言うのも何だが、小学校や中学校ではクラスの中心人物だったと思う。自分でそう思い込んでいるだけで、本当はそうじゃなかったかもしれないが。それは小中の同級生に聞いてみないとわからないけれども、幸か不幸か、小中の同級生に自分とまともに連絡を取ってくれるありがたい人間は少ない。

高校に入った瞬間、中学校のグループLINEは全て抜けた。自分には不必要だと思ったからだ。
「会いたい人はいないのか?」と自分に聞いてみたが、彼は捻くれているので「いない」と即答された。そんなのは嘘だとすぐ分かる。

本当は、会いたくて会いたくて仕方がない人がいる。
今の自分がどうなっているのか、見せたくて仕方がない人がいる。

高校生の頃にギターを始めた。弾けないギターを弾くんだぜ!と意気込んだらいいものの、弾けないギターを披露する場所がなかった。Fコードで挫折し、部屋の隅で埃をかぶっていた。あの人は僕よりも早くギターに挑戦していた。あの人はギターが上手かった。あの人は僕のギターを借りて弾いていた。あの人は僕のギターを否定した。あの人は僕にギターを「また買ったの!?」といまだに笑ってくる。あの人は「僕にギターを教えて」と頼んできた。当の私は一人にしかギターの弾き方を聞かなかった。

あの人、あの人、あの人のような同級生たちは今頃、世間様に適合して、それなりの地位を勝ち取り、それなりの額を稼ぎ、性交渉をし、結婚して幸せなまま死んでいくんだろう!
私みたいにTwitterの裏アカで悪口を書き込み溜飲を下げているような奴は、そもそも幸せになれるわけもないのだ。幸せになる為の条件を、自分から避けているのだ。「幸せではない自分」という存在価値に縋り付いて、不幸になる条件を自分から選んでいくのだ。弱い自分をアピールしないと、「何も持ってないくせに強い人間」になってしまうと、誰からも見てもらえなくなるから。

私の生まれ故郷は、ちょうど私の生まれ年に成人式が大荒れになり、一時期の話題を掻っ攫った。全国ニュースになり、YouTubeに当時の動画が残るほどだ。
あぁ、あんなに(僕以外)楽しみにしていた見事な晴れ舞台が、当時の荒れ具合を超え、カタストロフが巻き起こるならどんなに楽しいことか!
お偉いさんの頭蓋骨が破裂し、脳髄という脳髄を撒き散らし、会館は崩れ、花は枯れ、悲鳴が響き、血は流れ、炎が燃え盛り─────。
もちろんそんなことは起こるわけもなく、私はじっと座り気まずい思いをしながら、終わった瞬間そそくさと帰るのだろう。

結局私は自分の不幸さを自分でアピールするしか不幸さを演出できない。そんなやつは成人式に行くべきではないのだ。不幸な自分をアピールする舞台は、まわりの幸福さを自慢することが前提の場所にはない。

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