甲状腺がん発覚までの道のり①
こう見えて雑な私
嫌なことに限って、細かくその時の感情こそ記憶に新しいのだけど、いつだったか、忘れる天然な私😂
人間ドックは受けたことない私も市の無料検診は、ほとんど受けてきた。
がん年齢に突入したことに伴って年齢の節目で日本は無料でがん検診を受けることができる‼️
40か45才の節目の無料の乳がん検診は、市の検診バスのやつではなくて、医療機関指定で専門医のもと、自分で予約して受ける案内でした。
乳がん検診はマンモグラフィ。それに今なら特別に無料で甲状腺の検診しますか?
無料に弱い😂‼️
甲状腺がどこにあるのかも知らずにそのまま快諾して首を診察台に横になり、後ろに反らせてエコー検査🏥
入念にゼリーを塗られて検査員は画面だけを見つめながら時折、何かを発見して拡大して大きさを見たり、形を見たり、その時間がすごく長くて真剣な眼差し、暗がりと静けさもあり、ドキドキしたことを今でも覚えている。
初回はポリープのようなものがあると、言われたが透明なシャボン玉のようなものだから、ただのポリープの可能性が9割かな!と言われながら、念のため細胞を取って検査しましょうかね!ということで、また訪れることとなった。
注射器でシャボン玉のミリ単位の泡を付いて細胞検査だ。
それから、2回目の検査結果は自宅に封書で送られてきて良性のポリープでした‼️という結末。
それから1年単位で検査をした方が良いと言われていたのだけど、そのクリニックは私が1番運転できない鹿児島のいわゆる玄関口と言われて鹿児島一の繁華街の五叉路の中央に大きく聳え立つビルの病院だったこともあって、私の足を遠ざけていた。
それにこれまでもいろんな症状があって受診してもいつでもハンコを押したように自律神経失調症
薬もなし‼️もしかしたら更年期かな?が悲しい病名だったから
どこかで私って死なへん‼️
そんな悲劇のヒロイン体質や運命があるはずがないと、逆に落胆して帰るほど自律神経失調症オンパレード人生だった。
当時は3人の子供たちがそれぞれ毎年のようにだれかが卒業して入学、もしくはダブル卒業の入学など、学童の仕事との兼ね合いもあり休みの理由もことごとく子供の行事という名目で休むのが、ガンと分かるまでの私の休みの日の過ごし方だった。
そんなこともあって、次に甲状腺科の門を叩いたのは、それから三年から五年弱間が空いていたかもしれません。
たまたま、長男の同級生のお母さんと話をしていた時に甲状腺科に通院していると話を聞いたからだ。
どこの甲状腺科なのか、聞くと
現在私が通っている病院で
そこならなんとか、前に行った病院よりもまだ少しだけ近いし、運転もできるかも‼️ということで、そこの病院に初診で診てもらうことにした。
事情を話して何年か前にポリープがあって、検査をたまにした方が良いと言われたと話し、その足の診察室でエコー検査‼️
またしても暗がりの診察室に同じように寝かされて首にはゼリーの検査員の女性は画面にだけロックオン👀
同じシチュエーションに全く私も慣れていたので動揺することなく見守った。
ただ検査結果は前の時とは違っていて、どうやら黒くてかなり怪しいものにも見えるけど、なんとも言えないというものだった。
あまりにも小さくて一発で注射器で捉えて細胞を採取できるわからないと言われて、月に一度来る大学病院の先生が来る日に来てはどうか?と、提案された。
その頃は、気の強い大先輩が同僚主任で私は事務要因のような立場で学童に勤めといたが土曜日は、なるべく休まないでね‼️と言われていたから行事がない土曜をようやく抑えて、結果は、また次の月の大学病院の先生が来る日だということで
三ヶ月近く結果がわかるまでかかることとなった。
ただ、そんなこともあって、一度だけ電話で検査結果を教えてもらえないか?と、軽い気持ちで電話をしたことがあった。
できますよ‼️と言われたのだけど、
しばらくお待ちください。と言われて何か私のカルテと結果を確かめたようだった。
5分ほど待つと
やっぱりごめんなさい。大学病院の先生から直接、来院されて話を聞いてください。とあっさりと断られたのだった。
その時、少しだけ頭に結果悪いのかな?もしかして?と疑問は湧いては、いたのだけど、そんなことはないやろ。
ただのそこの病院のシステム!と、その時は本当に軽く考えていた。