私が学童支援員になったわけ
神様からもらった仕事
本当は、その前の仕事を退職したわけから書かなければいけない
のだけど、先にこちらから書いてみます。
平成21年くらいの春のこと。
ちょうどその一年前に市役所の臨時職員を退職していた私は
すっかり、心身不調とおまけに人間不信に陥っていた。
それまでの人生でも何度も何度も親友になった人と
絶交になる定めのようなものもあったので人間不信は
私の専売特許のようなものだったのだけど、その時の
壮絶な集団いじめが今のあらゆる症状の根源だった
のではないかって思っている。(良い年こいたオバサン集団)
現在両方の耳に大音量の耳鳴りも七年目。
市役所にいる時に耳の奥に雷が落ちような音がたまに
あったり、まったく左耳だけ聴こえてない期間が
ありましたし、めまいも三十代の頃からずっとあったので
自律神経失調症・・という病名も早いうちにもらっいました。
それに加えて過敏性腸症候群。
静かな市役所で一日デスクに座って静かに誰とも話さず
レセプト点検をする職場に大きなおなかの中のガスが
「プッーーー、グーーー」と鳴り響き、腹痛、おなかの張り。
トイレでのガス抜き・・
何度もトイレに行って水を流しては・・・笑
出してました。
また、別の機会にその根源になるイジメについても触れて
みたいと思います。
私だけに対するイジメではなかったので、イジメを受けた
私の大好きだった仕事もできて信頼できる同僚が更新しないと
決めたときに、私も退職しょうと決意したのだった。
一年間自宅にいてハローワークに派遣されるように私は
職探しは、していたものの、またあのような人たちと出会って
しまったら・・と途方に暮れて全く先に進めないでいたところに
突然の電話がかかってきたのでした。
(のちに、その中のイジメの首謀者の二人のお子さんをまさか
学童クラブで面倒をみることになるという狭い片田舎ならではの
不運もまた、一層耳鳴り悪化に加勢することにもなるなんて
まだ、その時は知る由もなく・・
私がそれまでしてきた職業は、事務関係の仕事がほとんどだったので
確かにそこの保育園の求人はハローワークでみてはいたのだけど
餅は餅屋じゃないけど、私は保育士ではないし、当時下の子がまだ
小学五年生に上がる頃でした。
八時半から七時までの仕事・・って。。。
無理! スルー
そんな感じでした。
そんなところに家の固定電話にその時の学童支援員の主任から
電話があったのです。
その彼女には、次男と三男が一年間そこの学童クラブでお世話に
なった支援員でもあります。
三男が卒所して四年。
それ以来のことでした。
彼女の相棒さんが明日までで退職するのに代わりに入って
くれる人が見つからなくて困っている・・という電話の内容で
できたら答えを今、お願いしたい。という超緊急事態でした。
帰りは遅いし、朝は早いから無視してましたよ。
私は保育士ではないですし・・・に、彼女は「学童クラブは
保育士じゃなくても良いんだよ」なんて言っていらして
いろんなことが頭によぎりつつ、じゃあ、次が見つかるまでで
よろしければ・・っていう感じで、私の中で勝手に2週間くらい
したら、きっと次の人が見つかるから、それまでの繋ぎで
良いんだ。そんな程度で軽い気持ちで翌々日から「先生」と
呼ばれる畑違いの仕事の試練の日々が始まるのでした。
今にして思えばいろんな職業を短期間で子どもや自分の都合で
転々としてきたのですが、11年も続けられたのは、初めてでした。
まあ、そのわけもまた、しかり。。。。
やめたくても・・やめられない負の連鎖。
モンスターペアレント。いろんな難題もありました。
神様からもらった仕事!
というタイトルのわけですが、市役所勤務での集団イジメですっかり
引きこもりのような心身不調になって人間不信になって辛かったときに
ある知り合いの女性に教えてもらったことがあります。
「そんな時は私は、神社にいくのよ。神社に行くと気持ちが
良いよ。」
そんなことから私の月に一度の神社参拝が退職して始まりました。
初めは一人で神社に行くのも恥ずかしいような怖いような。。。
結婚して子どもが生まれて、一人でどこかに行くことってあまり
なかったのかもしれません。
三男を連れてよく神社に参拝していました。
三男のことも書きたいのだけど、三男は三男で生まれて一年
くらいでひどいアトピー性皮膚炎がありました。
そして、ちょっと学習することが好きではなくて、勉強も
小学1年の夏前に担任から「全然、漢字がどうしてだか覚え
られないのですが」と相談を受けて、精神科の不登校児童が
通う病院の科に数か月でしたが通うことになったのでした。
※結果、そこの病院では元気はつらつで何の問題もないし
実は知能検査では、知能が高いという判定だったことも
判明しました。
アトピーに良い温泉があると聞くと、その当時温泉や鍼灸院
に整体院、どんなに遠くても行きたくなくてもアイス買ってあげる
とアイスで釣って、私的には遠足のような気分で二人でデートを
している感覚でした。
ですので、神社参拝もその帰りに二人で寄ることが常でした。
神社では手を合わせた際に必ず約束する良いと聞いたので
「私の今の軟弱な体と心の条件で子ども達のこれから通う進学先の
学費が払えるように仕事をどうか。こんな体でも務まるところが
ありますように。
そして、もし就職が決まりましたら、毎月、また参拝致します
のでよろしくお願い致します」そんなことを毎回お願いしていました。
それから月日も流れて、学童支援員の主任から電話を頂き、翌日には
採用が決まり、その翌日から勤務でしたが、あとから聞いた話によると
その彼女は、私が毎月通っていた神社の息子さんの奥さんでもあった
と知り鳥肌が立ったことで神様からもらった仕事だとずっと信じて
感謝していました。
神様っているなぁ。
だって私が願った条件通り、平日は午後からの放課後だけの勤務で
子ども達のこともできたし、家のことも全部してから出勤できたり
特に力がいったりすることなく、精神的にはきつかったけど
無事に子ども達の学費がかからなくなるまで、学童クラブは
ギリギリ存在してくれました。
神様に感謝・感謝でいます。
と
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