愛と何やらは紙一重~両親の話②
前回のお話
陸上部でそこそこ活躍していた母は、私生活でもフットワークが軽かった。
以前、母の元級友が自宅に来ていて聞いた話。
横断歩道で立ち往生していたお年寄りの横断を手伝った。
交通事故に遭いそうな子どもを助けた。
飛んで行きそうな風船をキャッチした。
そして、川へ引き寄せられていた父を止めた。
父は、泳ぐ事ができない。
半ば、無意識だった。
命の恩人。
母にとって、人助けは日常。
当然の事。
なんら特別ではない。
父には、母が女神に見えたのだろうか。
40歳だった父は、最早生きる望みを失くし何の光もなかった。
20歳だった母は同じ大学のイケメンと爽やか交際中、前途洋々。
全く交差しない人生のように思われるが。
命を救われた父は、「恩返し」したいという思いを抱いた。
母に恋人がいようが関係なく母が喜ぶこと、嬉しいことをしようとしたのである。
母は父を助けた際に名前と学校名を明かしていたので、父は連日大学前まで車で乗りつけるようになった。
母を見つければ、何かできることはないかと声をかけた。
母に恋人がいた事は周囲からも公然の事実だったため、怪しい中年男性が毎日〇〇さんを待っているようだという噂も広まり母にとっては正直迷惑でしかなかった。
最初こそ愛想笑いで断っていたが、次第にスルーするようになった。
そんなある日、天が父を見かねたのか突然の雷雨があった。
傘を持たず雷が苦手な母だったが、その日はどうしても済ませなければならない用事があったのである。
父は、初めて母を車に乗せることとなった。
用のある先まで母を送り、それでもなお天候が回復しないためアパートまで母を送ることにも成功したのだ。
母の家を知った父は、母の自宅前に車で待機するようになった。
また、部屋の窓際に花が飾ってある様子を目にして毎回花束を持参するようになった。
これママ的にどうだったの?と尋ねると、いやアウトでしょという。
だって彼氏とうまくいってて、まだ言葉なかったけど完全にストーカーでしょ。
ええっ!?
(つづく)
この話を書こうと思ったきっかけは、画家 ゆめのさんのこの記事です。