妄想2022. 2.22 相似象
以下、こころに引っ掛かりのある出来事を記しておきます。これらはミクロ事象として先行しているだけで、将来、より大きなスケールのマクロ事象が生じるのではないでしょうか。
①「ノーベル賞」候補にもなった大阪大学特任教授の審良(あきら)静男(68歳 大阪府摂津市千里丘新町)が、「コロナ禍の最中」の2021年7月24日朝から奈良県天川村の観音峰へ一人で向かいましたが、連絡が取れなくなり、奈良県警吉野署が25日朝から捜索していたところ、26日午前、「右膝を骨折」、「左膝を脱臼」した状態で見つかりました。彼の専門は「免疫学」です。
②「コロナ禍の最中」の2021年米国MLBで「日本人」の大谷翔平選手が二刀流という「新しい」形の活躍でMVPを獲得しました。彼によって「切り拓かれた」二刀流の道を歩みたいという選手がたくさん出てきているようです。
③「21世紀に入って間もない」2001年6月1日午後9時頃、ネパール王族の晩餐会でディペンドラ王太子が銃を乱射して、王族関係者9名が死亡し、5名が負傷しました。そしてその直後、王太子自身も銃で自殺を図ったようです。
ディペンドラ王太子が凶行に至ったのは、父であるビレンドラ国王や母である王妃が、王太子が結婚を希望していた相手について、かねてから反対しており、当日の晩餐会では王太子の王位継承権を剥奪するとまで発言したことが原因だったようです。
ビレンドラ国王が即死したため、陸軍病院に搬送されていたディペンドラ王太子が意識不明のまま王位を継承し、ビレンドラ国王の弟ギャネンドラが摂政となりました。そして6月4日未明、ディペンドラ王太子が死亡し、その日のうちにギャネンドラの王位継承が国家評議会によって認められました。ネパール王国は創始以来、王位は一貫して父から子へと継承されてきましたが、そうでない傍系のギャネンドラが王位に就くことになりました。
不可解な点が多く、真相も究明されない中、国民から不信の目で見られていたギャネンドラは王位についたものの、11月26日には非常事態宣を発令、翌2002年5月には下院を解散して首相を解任し、内閣を側近でかためました。そして2005年には全閣僚を解任して直接統治を宣言しました。しかし、国内外からの強い反発を招き、ついには2006年4月以降の大規模な民主化運動によって、2006年5月18日には国王の政治的特権は全て剥奪され、ギャネンドラは元首ですらなくなりました。さらに2008年5月28日、制憲議会で共和制が議決され、「王制は廃止」されて、ギャネンドラは退位することになり、「ネパール王国はあっけなく終焉」しました。
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