紅葉の霊峰石鎚山へ2024
この1年半、ずっと石鎚山のことが頭にあった。
というのも10年以上前、学校登山くらいしか経験のなかった頃、西日本最高峰の石鎚山に登りたいと思い立ったことがあった。そこで半年ほど地元を中心に低山を登って経験を積み、紅葉のシーズンに石鎚山に登頂した。それが僕の第一次登山ブームである。
コロナ禍が落ち着き、雪渓を歩いてみたいと思ったのがきっかけで、日本アルプスの夏山に登るようになったのが今の第二次登山ブーム。日本アルプスに3回登ったところで、原点に還るべく、久しぶりに石鎚山へ登ってみた。以前はやり残していることがあったのだが、今回は身体も多少鍛えてきている。全てこなして気持ちよく帰りたい。
今回のルートは前回と同じく、瀬戸内の伊予西条から南へ入山する表参道の『成就社ルート』。まずは愛媛県西条市で駅前のビジネスホテルに前泊。
朝、支度して1Fに朝食を食べに行ったら、窓からバス待ちのザックを背負った行列が見えた。まだ20分以上あるのに恐るべくは三連休中日である。この時点でバス車内で座れずに立つことは覚悟したが、次の便は3時間後なので、乗れないという事態だけはなんとしても避けたい。クロワッサンをコーヒーで胃に流し込み、直ぐに列の最後尾に着く。
バスが到着。普通の路線バスなので座席数はかなり少ない。北アルプスの一般的な大型バスの3分の2くらいだろうか。あっという間に席が埋まり、ステップ間際に立つことになった。更に後ろから2人乗り込んでくる。最後にもう1人、「乗ります、細いんで!」と慌てながら女性が身体をねじ込んでくる。理由が凄い。
列の最後尾から3~4人くらいは乗れなかったが、「どなたかタクシーで一緒に行きましょう!」と声を掛け合っていた。ちなみにこのバスは標高差450mを24kmで登り、走行時間が1時間弱である。運賃は片道1,020円。タクシーはどのくらい料金がかかるのか調べてみたところ、大体8,000円弱だった。タクシーに3~4人で乗るなら、必ず座れるし、バスより速いはずなので、条件はそんなに悪くないかもしれない。実際、この人たちを下ろして帰りがけであろうタクシーと途中ですれ違った。
普段なら1時間立ちっぱなしでも平気だが、これから登山することを考えると無駄な体力だなと思いながらも景色を楽しむ。黒瀬湖を過ぎてロープウェイへ。
ロープウェイ山麓下谷駅
ロープウェイ乗り場は自家用車でやって来たであろう人たちに加え、バスから降りた我々が加わって大行列。臨時便のゴンドラが出ているにもかかわらず、乗るのに20分以上待たされた。最初に出遅れると後の行程はすべてが後手に回るので、タクシー組は正解だったかもしれない。
チケットを買うときに売り場で『mont-bell』の文字が見えたので会員証を見せたところ、100円割引してくれた。毎回持ってくるのを忘れるので今回は会員証を持ってきていた。
行列に並び、ロープウェイが2回出て行くのを見送る。隣にはさっき「細いんで!」と乗り込んできた女性がいたのでしばし歓談。ぺちゃんこの小さなリュックで、軽装なのが気になった。多分、コンパスも非常食も防寒着も持ってきていないのだろう。今日は移動性高気圧が張りだしていて天気が崩れることはまずないので、まぁいいかと思いつつ、山頂は数日前に雪が降ったそうですよ(事実)と教えると驚いていた。
僕も前に来たときは非常食までは用意してなかったなぁ、などと思い出す。
ちなみに「成就社」とか「山頂成就駅」という名に関してはこんな謂われがあるそうだ。
今から1300年以上昔、飛鳥時代に役小角(石鎚山では役行者)が石鎚山になかなか登頂できないでいたとき、斧を研いでいたある木樵が「この斧を研いで針にするのだ」と言ったことから、諦めずに遂に登頂に成功し、「我が願い成就せり」みたいなことを言ったのが由来だそうである。当時は無論バスやロープウェイなどなく、神社も山小屋も建っていない。それどころか靴や登山道すらなかった。そんな時代に、徒歩で石鎚山に登頂して生きて帰ってくるのは、それこそ斧を研いで針にするくらいの苦労があったかもしれない。
登山の雨具は防水透湿素材(汗蒸れしにくい)のレインウェアが一般的なので、こんなところで傘が売られているのはちょっとびっくりした。
石鎚神社中宮界隈
20分ほど歩いて鳥居をくぐる。石鎚神社の中宮の他、ちょっとした土産物屋やお茶屋がある。
登山届は保険の関係でWebから既に提出しているが、富山県や長野県と違ってこちらの地元警察にはWeb上から登山届が提出できないため、ここで手書きのものを投函。
入山。ここは登山道でもあるが、参道でもある。北からの成就社ルートは表参道で、南東からの土小屋ルートは裏参道にあたるらしい。
登山道に入ってほどなく、啄木鳥が木をつついている音が聞こえる。アカゲラやアオゲラの突く音にしては柔らかく、体格の小さいコゲラにしても音が低い。不思議だなと思って辺りを探してみると五十雀を発見。一度逢いたい鳥だったので嬉しい。
元気に登っていくが、10月で標高1,300mを超えているというのになかなか暑い。Tシャツの上に1枚長袖を着ているだけなのに、木陰を抜けると汗が額から流れ落ちて止まらない。この日の気温はずっと15度以上。9月末に立山連峰に登ったときは気温が9~14度くらいで、ほとんど汗はかかなかった。お茶をがんがん飲む。
鎖場へ
さて、石鎚山名物の4つの鎖場である。「鎖場」とは岩場の斜面を鎖を掴んで登っていく場所である。流石、修験者の山という感じがする。
子供やご高齢の人、腕力に自信のない人は無理をせず、普通の登山道の迂回路を行けばいい。そうでなくても体調が悪い、雨が降っている、風が強いなどの場合は鎖場は避けるべきだ。本当に危ない。特に雨が降っているときや、雨が降った後は滑るので絶対に止めた方がいい。
ここは「試しの鎖」で、その後「一の鎖」「二の鎖」「三の鎖」と続く。試しの鎖の良いところは、上りも下りもあるところだ。ここだけ体験すれば、後は迂回路でも構わないと個人的には思う。
本日は快晴。風もほぼない。この試しの鎖は昔一度登ったことがあり、中央アルプスの西穂高岳の岩稜を登攀した経験と比較すると、むしろ立派な鎖があるので安全くらいに感じるので不安はない。とはいえ、油断せずに行く。上りが48m、下りが19mだ。ザックからヘルメットを取り出してかぶる。
石鎚山の鎖場を2本で1セット。岩肌も登りやすいと感じた。これだけごつごつしていると、足を引っかけるところがいくらでもあるからだ。西穂高岳の岩場は割れ目の隙間はあるものの、平面的な部分が1m以上続く箇所もあり、こうはいかなかった。そもそもほとんどの場所で鎖がなかった。
いわゆる『三点支持』の原則で、手足4つの内の3つは常にホールドしていないと危険なので、鎖場の途中で撮影したのは足場がしっかりしており、鎖を片手で掴むことができ、後続者と距離があるときだけである。というか、ほぼチャンスはなかった。
昔来たときは考えなかったが、こういう場所で怖いのは、上に居る人が足を滑らせて頭上から降って来るかもしれないということである。逆に言えば、自分も下に居る人へ落ちるかもしれない。過去の事故例では、賠償金は怪我させて数百万円、死亡させて数千万円。お金だけの話ではないにせよ、保険の加入は必須である。ちなみに僕は山に行くときは必ずモンベルの短期保険に入っている。
巻くように登り、しばらくすると右手に、さっきの試しの鎖場の岩山が見える。
夜明峠
見晴らしの良い夜明峠へ到着。頂上までの半分くらいきたところだ。昔もほぼ同じ時期に登ったのだが、その頃は夜明峠からの眺めはかなり紅葉していた。今年2024年はやはり長い残暑の影響で紅葉が遅れているようだ。
一の鎖・二の鎖・三の鎖
夜明峠で10人くらい追い越して、一の鎖に着くと、ちょっと渋滞している。昔来たときは試しの鎖しか登らなかったので、今回は全ての鎖場をクリアしたい。列に並ぶ。
休憩所と公衆トイレは人でごった返している。みんなもう少し頑張ろう、あとすこし……という感じで登っているから、こういう場所で一斉に休憩するのだろう。
直ぐそばにある二の鎖は上りの鎖が2箇所あるが、上の方で合流しているので結局渋滞して行列ができている。20分ほど並ぶ。
試しの鎖と違って、上り専用と下り専用の鎖がそれぞれ用意されており、渋滞しているため、こっちが空いてるじゃんとばかりに下り専用を上っていくお馬鹿さんも現れた。これでは対向車線を逆走するようなものだ。もし普通に下ってくる人がいて鉢合わせになったらどうするつもりなのだろう。
三の鎖は更に渋滞。理由は鎖が1箇所しか備え付けられていないことと、これまでで最も角度が急、ほぼ垂直だからである。上っていくある男性の足が疲労なのか恐怖なのか、ぷるぷる震えており、下にいるみんなでハラハラしながら見守った。
実際に自分が上ってみた分には、特に危険は感じなかった。でも、人には勧めない。鎖場は「試しの鎖」だけでいいと思う。
クライマー!
三の鎖で行列に並んでいるとき、天狗岳の岩肌に白い点を発見した。え、まさか……!?
そのまさか。天狗岳の断崖をいわゆる「ロープクライミング」しているのだ。但し、ロープは命綱であって、ロープを伝っているわけではない。素手でよじ登っているのだ。鎖場どころの話ではない。
でも、考えてみるとあのロープ、そもそも誰が掛けたんだろう……? ただ崖の上から垂れ下がっているわけではなく、ところどころで固定されている。この疑問はのちに解けることになる。
鎖場でヘルメットは必要なのか
鎖場で僕以外にヘルメットをかぶっているのは上の写真の右の男性だけだった。ここまでの写真を見てきた読者はお気づきかもしれないが、石鎚山でヘルメットをかぶっている人はほぼいない。
車に乗るときはシートベルトをする人でも、鎖場でヘルメットをかぶらない。なぜか? 滅多に使わないものを買う気も起こらないだろうし、持って行くのが大変だからである。ヘルメットは安くもないし、かなり嵩張る
それなら登山口で、1回500円くらいでレンタルできるようにすれば、商売にもなるのではないか。実際、白馬岳だと雪渓の前後の山荘で軽アイゼンをレンタルできる。しかし考えてみると、アイゼンなしで雪渓を渡ればたちまち滑るので事故が多発するだろうが、鎖場の場合はそもそも落ちさえしなければヘルメットは必要ない。だから、かぶらないのだろう。それにヘルメットにはひさしがなくて帽子の代わりにはならないから、数時間の登山の間ずっと持っているのも邪魔ではある。多くの軽装の登山者は小さなザックを背負っているため、ヘルメットは入らないかもしれない。
それでも事故は起こる。三の鎖では2016年に岡山県の公務員の男性が鎖場から10m下へ落下して岩に叩きつけられ、亡くなった。もしヘルメットをかぶっていれば、かなりの確率で助かったのではないだろうか。
亡くなった方のご冥福をお祈りします。
鎖場の上り方を考える
登っていく登山初心者らしき人たちを見ながら、剱岳などを踏破している登山上級者の方たちとすこし話した。自分もしっかりできているか自信はないが、準備不足の人たちを客観的に見ると、問題点がよく分かって勉強になった。
まずヘルメット以外の装備。グローブと登山靴は必須だ。素手は滑りやすいし、季節によっては鎖が冷えていて手が悴む。
鎖場に挑まないなら靴は必ずしも登山靴ではなくてもよいかもしれないが、鎖場に挑戦していた人の4人に1人くらいはスニーカーなので、見ていて怖かった。スニーカーにも様々あるが、タウンユースのものだとソールが滑りやすいので、濡れた岩に足を掛けると命に関わると思う。この日は前日からずっと快晴なのに、岩が濡れている箇所もあって、「うわ、濡れてる!」と叫んでいる人もいた。
運動靴とスニーカーの違いは明確ではないが、運動靴は運動用なのでソールにそれなりの滑り止めが付いている。登山靴は滑り止めは勿論、石を踏む前提なのでソールが硬くて厚い。中学生のとき、学校登山で伯耆大山に運動靴で登ったことがあるが、足の裏が痛くて辛かった記憶がある。標高3,000m級の日本アルプスなどは瓦礫が積み上がったようないわゆるザレ場を何kmも歩くようなときもあるので、尖った石にスニーカーでは耐えられない(ともすれば痛いどころか、靴底が破けてしまうかもしれない)。同じ登山靴でも踝が出ている軽登山靴では脚を挫きやすく、小石も入りやすい。高価だが、踝の上まで覆うハイカットの登山靴が一般的である。石鎚山で最も多く見かけたのは軽登山靴だった。
話を戻そう。装備の次に、鎖場では大原則として前述した三点支持が絶対である。手足の4つの内、3つは必ずどこかをホールド(支持)していなければならない。3つホールドした状態で1つ(手か足)だけを動かす、また3つホールドした状態で1つだけを動かす。その繰り返しで着実に登るのだから。
撮影した写真を見ていると、中に三点支持ができていない登山者がいた。写真はこのnoteには載せないが、出っ張った岩に乗っていたので足場がしっかりしていたからか、中腰で、左手は宙に浮いており、右手はほぼ垂直の岩に添えているだけなのである。本来は右手は鎖を掴んでいるか、それができなくても岩の角を掴んでいるべきだ。強風が吹いたら落ちてしまうかもしれない。
その登山者はあまり短くできないタイプの安いトレッキングポールをザックのペットボトル用のポケットに浅く差し込んでおり、ポールがほとんど落ちそうで、かつ、自分の頭にも当たりそうだった。もし鎖を上っているときに頭上から誰かのポールが落ちてきて自分の顔や肩にぶつかりでもしたら、はずみで自分も下に落ちる可能性はある。極めつけにこの人、靴はスニーカーどころか踵がないクロックスである。園芸用の滑り止めつきゴム手袋をはめていたので、自分では気をつけているつもりなのかもしれない。もしこういう人が上にいたら、下にはつかないように、ついてしまったらかなり距離をとらなければならない。車を運転しているときに前の車がふらついていたら、距離をとるのと同じだ。
他にも、鎖場で鎖の輪の上に足を乗せるのは厳禁。状況を見ながら鎖の輪に爪先を入れるか、ほとんどの場合は岩に足を掛けることになる。
上の写真のように、特に危険な箇所では三角形の足入れ専用の金具も設けられている。ただ、この三角形を繋ぐ鎖が捻れていて、爪先が入らない場合もあるので注意。
なお、次のホールドを確保するために無理に身体を捻ったり、遠いところを掴もう、足を掛けようとするのも危険だ。時間がかかっても、すこしずつ移動するべきだ。前述の亡くなった方も、掴んでいる鎖から隣の鎖に移動しようとして足を滑らせたという。
万が一にも足を滑らせたとき、鎖を掴む両腕で自分の体重を支えられない人は登るべきではない。
他人を見ていて色々考えさせられた。
弥山へ
三の鎖を上り終えるとやっと頂上。弥山である。紅葉した天狗岳が雄々しく屹立している。天狗岳は名前からしても、その形からしても、紅葉がよく似合う。
そばには石鎚神社頂上社があり、なにはともあれ、お参りする。
ここは本当はまだ標高1974mなのだが、こう書いておいた方が無理に天狗岳(1982m)に行く人が減るのかもしれない。
頂上は大混雑。自撮り棒を掲げている人、バーナーで湯を沸かしてカップラーメンを食べている人、天狗岳へ渡るために行列に並んでいる人、思い思いに過ごしている。
風がほとんどなく、日差しを遮るものもない。手持ちの温度計を見ると気温は20度にもなっていた。ザックには冬用の防風機能のある厚手のフリースを入れてきたが、今回は必要なさそうだ。本当に数日前にここで雪が降ったのか疑いたくなるが、山とはそういうものなのだろう。
石鎚頂上山荘
神社の奥を見て驚く。あれ、前に来たとき頂上に山荘なんてあったっけ!?(※ありました)
ただ覚えてないだけなのか、山荘だから宿泊客以外入れないと思い込んで通り過ぎたのか。中には売店や食堂もあった。
ここに泊まればあくせくしなくてもゆっくり過ごせたのになぁと悔やんだが、後でWebから確認したところ、紅葉シーズンの土日祝はずっと満室だった。平日もほぼ満室。それもそのはず、定員が25人という小規模なのだ。泊まりたかったら何ヶ月も前に予約しないといけないのかもしれない。生まれて初めて泊まった山荘が日本最大級である定員800人の白馬山荘、半月前に立山で泊まった雷鳥山荘でも定員260人だったので、スケールの違いに驚いた。
売店で登頂記念のピンバッヂを購入(前も買ったがなくしてしまった)。種類があったので、色と形を見て選ぶ。ザックに付けるバッヂが増えてきたので、バランスを考えなければならなくなってきた。
昼食は持ってきていたが、折角なので食堂でカレーをいただく。隣に座ったのが、たまたまさっきのクロックスの人で、その連れらしき女性に「カレーの写真撮ってもいいですか?!」と言われて快諾するが、複雑な心境。
壁に寄進者の一覧。一千万円以上出して「某氏」というのもすごい。
天狗岳へ
弥山からもう一つの頂の天狗岳へはほんの数十mの距離である。ところが、みんな天狗岳へ行きたがる上に、危険な岩場でおそるおそる渡るしかなく、相互片道通行の状態で大渋滞している。
ここまでの登山ペース自体は問題なかったのだが、ロープウェイと鎖場の行列に並んだおかげで時間を費やしてしまった。その昔、石鎚山に登った際はロープウェイを下りたところにある石鎚温泉には入らずに帰ったので、今回は是非入って帰りたい。ロープウェイは最終便が18:00だが、自家用車で来ているわけではないので、帰りのバス17:20発には絶対に乗らなければならない。
ここで天狗岳をとるか、温泉をとるか悩む。天狗岳は前に一度行ってるしなぁ……結果、天狗岳に行って急いで下山して温泉も入ることにした。体力はまだ70%くらいある。
相互片道通行の状態と言っても、信号機もなければ交通誘導の人もおらず、おまけに下に人がいるかどうかが分かりにくい。声を掛け合って、10人ごとくらいに往路と復路を交代。20分ほど行列に並ぶ。天狗岳から帰って来る家族に一人ずつポーズをとらせて写真を撮る人がいたりして、待ってる人がみんなイライラ。無理もない。みんな下山の時間を気にしているのだ。
弥山と天狗岳をつなぐ稜線は本当に危ないので、渡っている途中は写真がほぼ撮れなかった。右手は急勾配とはいえ、まだ植物があるので、最悪滑落しても何処かで止まれそうなのだが、左手は途中からナイフエッジになっていて、落ちれば間違いなく死ぬ。
昼頃にもなると山の斜面が熱せられ、上昇気流が山頂へ上ってくるのだが、標高が上がるにつれて気温が下がるため、途中で結露して雲になり、乾いた空気だけが石鎚山の山頂まで届く。こうして眼科に雲海が広がっている。前日に降雨があるなど水蒸気の量が多いと、ここも霧(雲)に包まれたかもしれない。三連休の中日で人出が多いことが分かっていながら今日を選んだのは、全て天気のためである。先月、先々月の日本アルプス登山はどちらも曇りだったので、青天の稜線が歩けて本当に嬉しい。
直ぐ上の写真はおそらく面河山の稜線。稜線より下にトラバースした登山道が通っているのがうっすら見える。
天狗岳の奥の南尖鋒へ辿り着くと、小さな社があり、『天狗岳1982m』と打ち抜かれた金属のプレートが置かれている。撮影用だ。折角なので、先客の親子の写真を撮ってあげて、自分も撮ってもらう。
昔来たときは木のプレートに白いペンキで手書きされていたので、なんだかそんなことにも時代の変化を感じてしまう。
クライマー再び!
天狗岳にはサングラスをかけた50代くらいの男性が一人、佇んでいた。ヘルメットを足元に置いていたのもあるが、他の登山者とは物腰が違う。足下には赤いロープがとぐろを巻いていた。もしやと思って話しかけてみると、鎖場から見た断崖を登攀している人と同じグループだった。つまり、この人が先に崖を登りながらロープをかけていったのだ。そしてさっき鎖場から点のように見えた人はまだ登っている最中なのだ。
いくつか質問させてもらったところ、今回は、ハーケンは既に崖に打ち込んであったものを使ったそうだ。天狗岳をクライミングする人たちは少なくないということだろう。ハーケンは回収しながら登る場合と、そのままにする場合があるらしい。勿論、緩んでいるハーケンはハンマーで打ち込み直すそうだ。帰りは普通に歩いて下山するという。
未知の領域である。畏敬の念を抱きつつ、色々教えてもらったお礼を言ってその場を去る。
天狗岳からの帰還
帰りはまた途中から渋滞。
頂上広場に戻ると、かなり人が減っていた。今から標準ペースで下山すると、最終便のロープウェイには間に合うが、帰りの最終便のバスには間に合わないのである。僕ものんびりはしていられない。
鎖場ももう渋滞はないだろうし、下りもすこしやってみたかったが、下り専用の鎖から上ってくる狂気の人たちがいることも分かったので、止めておく。
上空をヘリコプターが旋回している。救助要請があって、登山者を探しているのだろうか。ニュースになるような本格的な遭難事件の数は少ないが、自力下山できなくなった登山者からの救助要請は少なくないらしい。原因は登山道の分岐で間違えて道に迷った、転んで怪我をして歩けなくなった、(ミネラル不足で)脚が痙攣した等々。
石鎚山の登山道はよく整備されているので、危険のないところは早足で進む。平坦な道は小走り。来るとき渋滞込みで1時間かかった鎖場を迂回路で通過すると、15分しかかからなかった。
急いでいたが、往路で『帰りに飲もう』と思っていたお茶屋さんの冷し飴をいただく。3分で出発。
登山道ではよく茸を見かける。茸好きの友人の顔が浮かんだので一枚撮影しておく。
脚の筋肉の使い方
下山途中、脹脛に疲労を感じ始める。今のところ問題なく歩けるが、この程度でこれでは困るなぁと考えていたとき、ふと気付いた。登山は基本的に疲労を防ぐために脚を大きく上げずに小股に歩くので、僕もずっとそのことに忠実に小股で歩き、小股で段差を上り下りすることを心がけてきた。しかし、もしかするとずっと小股だから脹脛が疲れるのではないだろうか。実際、(スクワットで鍛えているのもあるが)太腿はまだ疲労がゼロなのである。
そこで、下山時の最後に登りがあるため、小股と大股を比べてみたが、この段階になると大股の方が断然楽だった。なんと、太腿の筋肉を温存しすぎたのである。身体の使い方は難しいものだ。
ちなみに、小股だろうと大股だろうと大腿四頭筋(膝関節をサポートしている筋肉)は使うが、ここもスクワットで鍛えているので問題はない。
下山
不思議なことに16時から17時にかけて、7~8人くらいの登山者とすれ違った。これから登るということは、テント泊か、頂上山荘の宿泊なのだろう。実際、男性に一人尋ねてみたら宿泊とのことだった。とはいえ、登頂する前にまちがいなく日が落ちるので、ヘッドライトで夜道を照らしながら行く気なのだろうか?? 公式Webサイトを見たら「遅くとも17時までにチェックインをお願いします」と書いてある。ぶっちぎりじゃないか。最後に会った親子連れのチェックインはおそらく20時くらいになるだろう。
人のことを気にしている場合ではない。登山口まで戻ってきたが、そこからロープウェイ駅までまた長く、1kmくらいある。
公式Webサイトで頂上から下り3時間となっているところを2時間弱で下山できたものの、結局、バスの出発まで25分しかない状況。天狗岳で時間を使いすぎたので仕方がない。
ゆっくり入る時間もないので、今回も温泉を断念した。バスの行列へ並ぶが、またしても座れず。次は温泉だけ入りに来ようかと思うくらい未練が募るのだった。
終わりに
今回は自分の体力を測るため、また技術向上のためにいくつか自己ルールを課していた。
・トレッキングポール(杖)を使わない。但し、脚を挫いたときなどに自力下山する助けになるので念のため持っていく(そこそこ嵩張るが、重量は2本で500g弱)。
・カフェインを含むもの、疲労回復効果のあるもの、その他栄養剤は登山中も下山後も飲まない。
・荷物は北アルプス1泊2日と同じ量。水と非常食を多めにして調整する。
・鎖場は迂回路を使わずに全て上る。
・弥山から天狗岳に行くときはザックを置いていかず、背負っていく(例えばいつか登る予定の剱岳などでは置いていくことはできないため)。
結果、帰りの電車で爆睡するようなこともなく、普通に帰宅。体力40%くらいを残したといったところか。随分、体力がついたものだ。
ただ、筋肉の使い方が分かっていなかったのはあるものの、累積標高1,000m強の上り下りで脹脛にかなりの疲労があるので、脚の背面の筋肉の鍛え方が足りていない。来年予定している二泊三日の日本アルプスの登山を想定すると、今の脚では不安があるので、鍛え直さなければならなさそうである。