「書かない自由」、その先で。
ここ数日、家のことで忙しく手を動かしたり気を巡らせたりしながらも、常にどこかではそっと耳を澄まし続けているような感じがあって、内側にじっくりコトコト煮込んだスープが出来上がるのを――もしくは丁寧に淹れたコーヒーのように、何かが何かを通過して、ぽとぽとぽとぽと、滴り落ちては溜まっていくのを――心静かに観察しながら、私は“待って”いたのだろう。
何を? 書きたくなるのを。
「さぁ、書くぞ!」と心と体が一致して、自発的に動き出すときのあのスムースな感触を。
そして思った。
「意味がない」というのは、“私にとって”ということだ。
自分にとって「意味がない・興味ない」と感じることを書くことほど、面白くないことはない。むしろ苦痛なくらい、それは私に向いていない(ex:住宅専門雑誌のライター兼レポーターをしていたときは、私は間取図大好き人間だから純粋に楽しめた。けどタウン情報誌の編集スタッフをしていたときは、いかに自分が「情報」というものに興味がないか、痛感させられた。ただ流れ去るだけの、例えば何かを“買わせる”ための広告的な文章とか、特に自分が全然興味のない分野の場合、本当に困った。そういう意味では、私はプロの「ライター」にはなれないだろうし、なれなくて構わない)。
「書くこと」は私にとって特別なことだから、そこで嘘をつきたくない。テキトーな気持ちのまま“適当”なことを、誰かの都合のいいように、そして「お金」のために、心を無にして書きたくなんかないんだ。そう、よりによって「書くこと」では――。
「作家」を生きたい私にとって、ライター(主にネット記事とか書く人)っぽい文章を書くことは “興味ない、趣味じゃない、向いてない、etc…”とはっきり気づいた今日この頃。たぶん「垂れ流し」にしたくないのだろう。日々の“発見”は内なる秘密の部屋にしまっておいて、『物語』へと昇華させるが吉。→
→そうなんだよ〜。『物語の力』にこそ、興味・関心があるのだよ〜\☺︎/ 創作と創造。ライターみたいな文章書いて、noteのスキを集めなきゃ!とか思ってたら、道を外れるわ。それ、私のしたいことじゃない‼︎ 今これに気づけたことに感謝だわ。自分らしい、自分にぴったりの、自分の道をゆけ、ゆく!
誰かを否定したいんじゃない。
ただ『私』は、毎日“とりあえず更新するため”の文章だったり、スキをたくさん集めるための思惑に富んだ文章だったり、そういうのは書けないな・書きたくないな・書かなくていいな、とわかった。
そして、そういうのが好きな人(書きたい人・読みたい人)が私の考えている以上にたくさんいることもわかったのだけれど、私は“違うな”って、なんかそれ“無理ですわ”って、思った。あきらめた。
そう、“あきらめた”のだ。
(だって私自身がそういう文章に、人に、興味がないんだもん。“この人の書くものを読み続けたい”と心が惹かれない限り、どんなに人気のある人でも、今の『私』にヒットしなければ、今は縁がないということだ。そういう「自分の感覚」に正直でありたいし、限りある「自分の時間」を何に使うかには意識的でありたい。だって人生は本当に、本気になればなるほど“あっという間”なのですよ!!! まずは「時間」に意識的になること。そしてそれを「超えて」いくこと。そのためには、自分に正直に生きるが吉!であろう)
ここが定まると、私のnoteの在り方も・向き合い方も、きっともっと“私らしく”なってくるはず☺︎/* こうして「書かない自由」を尊重したからこそ、掴めた感覚だな。立ち止まっていても、ちゃんと『私』。あとはこれを表現して、生きていく。魔法のかかった素敵な『本』を、『物語』を、生み出したい。
私は、自分の価値観・美意識に背いてまで、何かを書き残したいとは思わない。
この命、この限りある人生の時間を使って、自分自身が実は「どうでもいい、興味ない、なんか違う……」と感じていることに、無自覚にエネルギーを使っている場合ではない。
――では、何を書きたいのか?
ここ『note』で、何を綴りたいのか? 何を綴って、表現していきたいのか???
そういうことを今――noteをはじめて2ヵ月経った今このタイミングで、また新たな視点から、考えさせられている。これもきっと、私にとっての正しい流れ。そう感じられること、信じられる自由が、ここにある。
何度だって言ってきたけど、何度だって言ってやる。
そうして少しずつ「核心」へと近づいていくのだ。
何がしたくて、生まれて来た――?
何を体験し、味わいたくて、この時代のこの場所にやって来た――?
どんな景色が見たいの? どんな人たちと出会いたいの?
約束してきた「仲間」がきっといるはずだよ、あなたが「仲間」を求めているのなら。
信じて、信じて、出会いを。
動いて、動いて、自分からも直感を大切にして、行動していこう。
待ってる。だから、待ってて。
きっと会える。きっと会える。きっと会える。
そのために、丸ごとの『私』になろう。
「書きたい自由」と「書かない自由」、どっちもある。
そうして今日、またここ。
このへんてこりんな文章は、いつだって私の欠片。
拾って、集めて、見つけて、愛して。