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さユりが大好きです。

忘れるのは嫌だから、自己満足で書きつける。
自分にとっての原点だと思っているし、さユりこそが自身の趣味趣向を形作ったものの一つだから。

さユりを初めて知ったのは「フラレガイガール」だった。

当時、私はまだ高校一年生でロックが最も好きなジャンルだった。
音楽を雑食で聞き漁っていた中学時代から落ち着き、少し変わったオルタナティブ的な音楽に憧れる、邦ロックのファンだった。
そんなオタクらしくRADWIMPSが好きで動向を常に確認していた。
そんな中で野田洋次郎とのコラボとして投稿された「フラレガイガール」。
衝撃的だった。
センチメンタルで命をすり減らすような歌唱は、つい足を止めたくなるような、暴力的で可愛くて不思議な魅力があった。

すぐにYouTubeで検索した。
誰かが撮影した路上ライブの様子が投稿されていた。幼い姿でポンチョを背負った少女が渋谷の雑踏の中で歌っている動画があった。

ギター一本、マイク一本、自ら書いたメロディと歌詞と演奏で人を惹きつける姿に惚れた。さユりが見せる等身大のロックンロールはとても格好良かった。

田舎の地方都市にいた自分にとって、東京という街は常に憧れであったから、同世代がそこで飛躍しようとしている様子はとても痺れた。
そして、16歳の自分にとって同年代で好きになったアーティストは初めてだった。 

1stアルバムの「ミカヅキの航海」も買ったし、東京で開催されたライブだって行った。初めてのフェス参加だって、さユりが出演すると聞いて踏ん切りがついて、受験期の最中に足を運んだ。

さユりは確かにサブカル風だし、メンヘラのように見える。
でも、さユりの歌詞の中にある強い励ましのメッセージが好きだった。
もしかしたら見上げているのは月かもしれないけれど、月を見るために最後は上を向いていたから。

今思えば、自分の趣向をはっきりと教えてくれたのは彼女だった。
独りでギターを弾いている、こだわりがあって、ブレない芯があって、気持ちを揺さぶるような繊細でダイナミックな歌唱をするアーティスト。
そして、好きな男のことをいつまでも思い続けているような未練たらしく美しい歌詞。これらの趣向は今でも自分の糧になっている。

また、私は今Vtuberもたくさん好きだけれど、デビュー当初のさユりは、2次元と3次元/ヴァーチャルとリアルを越境する「2.5次元パラレルシンガーソングライター」としてデビューしていた。
キービジュアルとして、二次元世界のさゆりが存在していて、今のVtuber的な活動も一部あった(イラストはpallowさんだ)。

ライブ形式も今の神椿のようなライブだった。
スクリーンを使ったモーションタイポグラフィを効果的に使用していて、とても新しく見えたし、酸欠少女らしい。
私の好きなものの原点はずっとここにある。

最後にライブに行ったのはいつだったか……
振り返ると、2年ほど前のツアーだった。

今でもたまに思い出すのだけれど、アンコール後に出てきたさユりは、途中でマイクを捨てて、電気を通さないアカペラを聞かせてくれた。KT Zeppの広い空間にマイクなしの生声が響いた瞬間は最高だった。路上ライブ上がりの酸欠少女としての矜持を感じたし、ライブの生の感動の良さを改めて認識した瞬間だった。

もうライブが見られないと思うと「もっと行っておけば良かった」と後悔が残ってしまう。2023年のアコースティックツアーも行けば良かったし、最後のワンマンとなってしまった「PRAYING SOCIETY ⿊/⻩」も行けばよかった。そもそも、もっと好きだよって言えば良かった。

後悔って言葉は本当に取り返しがつかない。
きっと私は未来永劫この悲しさを背負って生きていくのだろうけど、それすらも自分の糧となっていくのが本当に嫌だ。 そんな風になりたいわけじゃなかった。ずっと歌を聞きたかった。

さユりは発表していない曲がたくさんあって、ライブや配信で少しだけ披露することもあった。それらがもう永遠に歌われないと考えると、本当にやるせない気持ちになる。もっと、素晴らしい音楽や歌を聞きたかった。

そう、今年の結婚について最後に触れたい。

突然の発表だったから衝撃的で嬉しかった。
酸欠少女として歌唱していた少女が支えあえる伴侶を見つけて幸せな姿を見せてくれたのだから、これ以上のものはなかった。

そして、青春時代、私が好きだった同年代のアーティストが結婚する。
私が大人になった、ということをこれほど実感する瞬間はなかった。
若い世代の号哭を代弁してくれていた存在は大人になって幸せを見つけていた。自分もライフステージを進めなければならないと痛感したし、私の青春のピリオドが明確に打たれたと実感した。
ずっとさユりは人生の先輩で憧れで尊敬していた存在だったから、この結婚も私にとっての一つの指針になった。
私の婚活の覚悟が付いた大きな要因なのは間違いない。

昨日と今日は、ファンや関係者が呟いていた色んなさユりのエピソードを見て一日を過ごしていた。そのどれもが彼女の優しさを感じられるもので、とても感慨深かった。
みんなそれぞれのさユりの思い出があって、それぞれの関わりがあって、さユりのことが大好きだった。

最後、声がうまく発声できない中で彼女がどんな気持ちだったのか、ファンが分かることなんて何もない。ただ、素晴らしい酸欠少女の日々を彼女が過ごせていたのは確かだと思う。
今まで本当にありがとうございました。ずっと音楽を聞き続けます。
御冥福をお祈りします。
来世でまた会いましょう。




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