14℃ー有るものはもちろん、無いものも失う (1)
私は元来、ものを失くしやすい。
旅行によく行くので、出先でどこかにものを落とすことはしばしばで困ったものだ。半年で家の鍵を2本失くしたこともある。
失くす経験をしすぎて自分の失くすパターンが掴めてきたので、流石に最近はその頻度も減ってきた、はずなのだが、ついこの前も函館でiPhoneの充電コード(純正)をどこかに落とした。そして、それの代替としてセリアで買ってきた100均の充電コードを家の中でまた失くした。見つけるのに1週間かかった。
こんなんだから、例えば失くしてもいいように鍵を予め3本複製しておくとか、ホテルを出発するときは絶対ベッドの下も中もライトで照らして私物がないかを確認するとか、そういう習慣がついた。まあ、後者についてはそういうときは大抵見逃していて、ふとした時に思いもよらぬ所で思いもよらぬものを見失ったりするものなので実際はあまり意味がない。気がしている。
そんなこともあり、ある時から失くしたくないものは一切家から出さないということを徹底するようになった。まあケーブルみたいに家の中で失くすことも多いので、意味ないけれど。。。
このように、リアルに「有る」ものを失くすことに関しては、その経験の多さから紙面が許せば半永久的に語れる自信があるが、一旦それは横に置いておこう。
実は、私は無いものを失くす天才でもある。
無いものを失くすとはどういうことか。それは、ある行動をした/しなかったことで、本来得られるはずだったもの (主に利益的なもの) を逃してしまうということに他ならない。経済学でいうところの「機会費用」に似ている考え方かもしれない。要は、あえて自分が意識を向けて思考を開始したことによって生まれた「本来存在していなかった」事柄 (無いもの) を失ったということである。難しいことはともかく、そういう考え方が私にはある。
例を出そう。例えば、イトーヨーカドーで258円で買った卵が業務スーパーでは228円で売ってた、とか。あるいは、びゅうのダイナミックレールパックをVIEWカードではなくOkiDokiランドを経由してJCBWカードで支払いしていればポイントの還元率が数倍になっていたはずなのに、とかである。妙にリアルな具体例だな…と思ったあなたは鋭い。これらは全て実際に私が過去に直面した問題である。
物理的な失くしものとは少々ベクトルが違うのだが、私にとってはこのタイプの失敗をすることが結構しんどい。それを自覚した時点からでは、特段何も失っていないのに、である。しかも、(これは理解してもらえるかわからないが)、それは見かけ上の不利益を被っているから苦しいのではなく、「何かを失ってしまった」という気分になったり、あるいはその気分に囚われている自分を俯瞰で見て、あ〜今更どうしようもないのに時間無駄にしてるな〜とため息ついたりするのが途方もなく辛いのだ。
先週は苦難の連続だった。
仮装で使ったマントは類似製品を7倍の値段で買ってしまったし、チャリを1時間10分駐輪して100円払ったし、Amazonで返品したら70円しか返ってこなかったし、、、お金だけでなく時間でもそうやって思うことは多々ある。絶対に乗り換えられなかっただろう電車の時間を調べては、「(乗れるわけないのに)これに乗れれば12分家に早く着いたのに…」みたいなことをしてしまう。そして、それを考えている自分が嫌になる。この繰り返し。
どうだ、変なやつだろう。変なやつで構わないから、そういう変なやつもいるんだ、ということを知っておいてもらえると非常に心が軽くなる。
眠くて頭回らないし今回はここまで。この近辺の話題は特によく考えていることなので、また続きも書くかも。