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特別でなければならない自分

時々、自分にうんざりすることがあります。


目にする伝記や逸話では、特別な人たちは特別な子供時代や青春時代を過ごしたかのように描かれていて、私はこんなことなかったと考えてしまうのです。
かといって自分のことを特別な人間だと考えているのかというとそうではなくて、ただ、自分にも存在価値があるのだと自分で認めてあげたいだけなのでしょう。


でも、例えば特別なことをしない人間に価値がないかと問われれば、私は断固として首を横に振るのです。そうではないと、私はこの瞬間さえも捨てないといけなくなります。
私が自分を励ます時に使う言葉の一つに、「ビリがいるからトップがいる」があります。特別が特別たるには特別でないものが必ず必要です。トップがいるからビリがいるわけではなく、ビリが存在するからトップが生まれるように。
そう言えば、小学校で下敷きに『下には下がいる』と書いていた成績の悪かった男の子は元気でしょうか。


昨日、「自分のこと好き?」と質問されました。
即答出来ませんでした。私は、自分のことが好きではないけれど自分が自分を好きでないと誰が好きでいてくれるのかと思っていますし、嫌いでは決してありません。でも、面倒くさい奴だなぁと思っていますし、自分自身にうんざりすることもあります。
その人は、自分のことは嫌いだと言っていました。好かれる人で友達も多いのに。だから、きっと自分が好きかどうかは周りからの承認とはまた別の話なのかもしれません。


中島みゆき様が好きなのは、自分自身に自信を持てないのは自分だけではないと安心出来るからなのかもしれません。
そして、自分自身に少しも自信を持てない人をなんとなく避けてしまうのは同族嫌悪なのかもしれません。



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