26歳、実家で親と住んでいる
それだけで、敗北感がある。
私は働いて、母親に家賃と食費を合わせた数万円を毎月支払っている。それだけで、実家にいる際の義務を果たしたと思っていたい。母親と話したいと思わない。感情的な交流をしたいと思わない。母の最近の仕事の悩みと、生活に関する言葉を聞きたいと思わない。
平野啓一郎の『私とは何か 「個人」から「分人」へ』を読んだ。人の個性は1つではなくて、相対する人に合わせて、その人との間においての「分人」が存在する。会社での自分と、くだらない話で一生盛り上がれる友人の前での自分は違うがどっちも確かに存在する、みたいな考え方だ。
昔から社内恋愛に毛嫌いがあるが、「公の場で、プライベートの自分を知られたくない」という気持ちがあるからだろう。
私は文章を書くのが好きだ。そして、今脚本をやってみたくて、映画を撮っている。もっと人のことを書きたいと思うと同時に、それをするために人と関わる時間はないと思う。私の中の分人の数は多くない。
食事は、母が作ってくれている。毎食。食卓を囲むと、母を向かいにして、私は下を向くか新聞を読むかテレビをつける。そうしながら、ご飯をかきこみ、皿を洗って自室に戻る。母の話を聞きたいと思わないし、探られたくないし、自分の何かを時間をかけてわかってもらおうと思わない。ただ、自分が自信を無くした時とか、辛い時に話を聞いて慰めてくれれば良いと思っている。
私は実家で暮らしている義務を果たしていると思いたい。お金は払った、自分の皿は洗った。母と感情的な交流をしたり、穏やかな時間を過ごすことはオプションに含まれない。これがずっと続けば、母との関係はより冷え込むと思う。
自分のことを、終わってるなと思う。生活を支えてもらっているのに。ただ、仕方がないと思う。人に尽くせる人はすごい。でも自分は絶対になれない。
結局、売れるか売れないかわからない、自分の物語を描くということと、それを肯定してくれる人の話しか聞きたくない。実家を1年間出て過ごしたことがあるが、その時、月1回会うか会わないかの時の母との会話の方が、私は穏やかでいられた。純粋に母のことをありがたいと思った。
ただ、今の自分は母に感情的な優しさをあげることができない。ただできない。感謝はしているが。自分も家族を作りたいと思っているが、このままでは、同じく冷え切った家庭ができる上がるだろう。
やりたいことがある。人間的に暖かいつながりが欲しい。ただ、自分のことが一番大切で、人に割く時間がない。これは解決せずにずっと一緒に歩んでいく問いなんだろう。
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