
【過去記事】自分のかたち(あけましておめでとうございます)
元旦の朝いちばんに、カチカチこれを書いている。
2021年は私にとって、明晰さの年だったように思う。
自分がしたいこと、一緒にいたい人、過ごしたい場所。そういうものがかなりはっきりしてきた。
世界で起こっている出来事からも、常に、「あなたはどうしたいの?」と問いかけられているような一年だった。何度も内側を見つめては調整して、どうしたいか、どうありたいかを感じ続けて、そのおかげで、自分の輪郭がだいぶくっきりしてきた感じがする。
これまで、ずいぶんとあやふやな形で生きてきたんだなあ、と実感したし、それができる平和な環境だったのは、ありがたいことだと思った。
そして、輪郭がはっきりして現れてきたのは、まったく新しいぴかぴかのかっこいい自分!では全然なくて、結局は子どもの頃の自分だったりするのだった。しかも、中学生くらいの、自分のことが全然好きじゃなかった頃の。
それくらいの年齢の頃の私は、自分のことが全然好きじゃなかったし、基本的に生きていることもまったく楽しくなかった。だから、日々何かに没頭することで生き抜こうとしていた。空想すること、書くこと、描くこと、音楽(吹奏楽部だった)。そういうものがあったおかげで、中学生の私は何とか生きていたし、外の世界とつながっていられた。
大人になるにつれて「昔好きだったこと」として引き出しにしまいこんでいたそういうものが、たくさんの時間を一人で過ごしていたら、戻ってきた。
四十歳になった私は、十四歳の頃と同じように物語を書いたり、絵を描いたり、友だちと音楽を奏でたりしている(去年、念願だったウクレレを習い始めたのだ)。
人のもともとのかたちは、きっと変わらないのだ。
大人になったらそのかたちのままではいられないんだよ、と、私たちの多くは教わって育つから、年齢を重ねるうちに、周りに合わせて体裁を整えてみたり、隠してみたりするようになる。でも、本質は変わらない。
子どもの頃に泣き虫だった子は、きっといくつになっても泣き虫なところがあるし、植物が大好きだった子は、いくつになっても植物を見たらわくわくする。
変わらないし、変える必要もない。
世界にそのかたちが必要だから、そのかたちで生まれてきたのだから。
私は自分のそのままのかたちではやっていけないと思い込んで、一度、一生懸命ぐいぐい曲げたり押し込めたりしていたから、また輪郭がはっきりするまでにだいぶ時間がかかった。遠回りしたなあ、と思う。
遠回りも味はあるけれど、結局もとのかたちに戻ってくるのなら、最初から、なるべく、そのかたちを大切にして育てていく方がてっとりばやい。だから、子どもたちや若い人たちにはできるだけ自分のかたちを大事にしていってほしいし、それがしやすい世界をつくっていきたいな、と、ちょっと先を歩いている私は思う。
やっとまた見えてきた自分のかたちで、さあ生きていくぞ、と、わくわくしている新年のはじまり。今年は施術だけでなく、創ることでも、もっと人とつながっていけたらいいなと思っている。

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しつこく「自分のかたち」の記事ですが。
別アカウントに書いた2022年1月1日の記事を再投稿しました。