『優しい写真』
東京駅に行く用事があったので、銀座に立ち寄って、幡野広志さんの作品展、『優しい写真』を見てきた。
いま2歳の息子さんの、産まれた時からの写真。
ただただ、本当に彼のことがかわいくてたまらないんだなあという感じがした。そりゃそうだ。実際にかわいいし、この子が自分の子どもだったら、もうめろめろだよね。
大切で大好きな存在に向ける、まっすぐなまなざし。
私はほぼ日の対談で幡野さんのことを知ったし、幡野さんがガン患者で余命3年と告げられているという認識を抜きにして作品を見ることはできない。
幡野さんも、いま、息子さんの写真を撮る時にそれをまったく意識せずに撮ることはないだろうし、鉛筆の手書きのキャプションからも、愛する家族へ、もしかしたらだいぶ限られているかもしれない時間への思いは伝わってくる。
でも、一枚一枚の写真に、力みや、無理な必死さはまったくなかった。
ただ事実を受け止める冷静さと、その瞬間を見つめる喜びにあふれていた。
私が幡野さんを知ったのは「余命3年の写真家」としてだったけれど、余命3年だから彼の作品をいいなと思うのではなくて、こういう写真を撮る人だから、彼が余命3年と言われてからの体験を語る言葉にも惹かれたのだと思った。
どんなに余命わずかな人がつくっていようが、良いと思わない作品は良いと思わない。そのくらいの感性はある。
赤ちゃんの頃はカメラを不思議そうに眺めていた息子さんが、大きくなるにつれて撮られることを楽しんでいるような、「僕のこと好きなんでしょう?」と言うような表情を時々見せるようになっているのが、すごく良かった。
ここに展示されている写真の大半を撮られた時のことを、赤ちゃんだった息子さん本人は覚えていないだろう。でも、大きなレンズのカメラを構えるお父さんの姿は彼の身体に愛の記憶としてずっと残るのだろうと思う。
願わくば、このかわいい小さな子が、声が太くてひょろっとかわいくない思春期の男子になったり、そこからワイルドな好青年に変身を遂げたりする過程を、幡野さんの写真で見続けることができたら、すごく嬉しい。