Day.20 妄想小学生
両親が共働きの家庭で育ったわたしは、親の関心が得られない寂しさを紛らわすために、よく現在逃避をしていたので長い時間を妄想の世界に住んで過ごしていた。
そのストーリーはこんな感じだ。「実はわたしには、本物のお父さんとお母さんがいて、いつかその人たちが迎えに来てくれ、ぎゅっとわたしのことを抱き締めてくれる。」という物語。
ずっと、安心感とあたたかさを求めていた自分。わたしが求めていたのは、マンガの中のような絵にかいたようなやさしいお父さん。話を聞いてくれて、ご飯を作ってくれるお母さんだった。
マンガの父母像に対して憧れいただけでなく、友達の家族や、親戚家族を見てうらやましいなと思っていた。あんな人たちが親だったら穏やかな生活が送れそうだと思っていた。わたしに関心を持ってくれる両親を、心の底から求めていた。
わたしは、自分の両親の存在を否定するなんてひどい子どもだと、自分のことを思っていたので、妄想の話を誰にも言わなかった。そんなこと思っちゃう自分は、なんてダメなやつなんだと自分を否定し続けてきた。
それから、わたしは親からよく「誰のおかげで食べさせてもらっているんだ」と言われていた。だから、自分の妄想物語を誰かに話すことで、万が一親の耳に入ったら、自分は生きていけなくなると信じていた。だから誰にも言えなかった。
わたしが憧れていたのは、朝起きると食卓に並ぶ温かい朝食。家に帰ると用意されているおやつ。学校の話をにこにこと聞いてもらえる笑顔。安心して話ができる家庭。そいうったものだった。
わたしは小学生のころから、とにかく早く家を出たかった。だから、仲の良い友達と二人暮らしをするための部屋の間取りを、よくノートに書いて親から離れて暮らす生活を夢見ていた。少女マンガの影響もあり、中学からは全寮制の学校に行くことを考えていた。高校卒業するときは、寮つき、食事つき、住み込みできるような仕事を求人票で探していた。
大人になり、自分も家族を持ってみたがうまくいかないことがわかった。職場の人間関係もうまくいかない。なぜだろう?と考えていたときに、機能不全家族というのを知って、その理由に納得した。
どうやら、わたしは子どものときに学ぶものが欠落したまま大人になっていたようだ。一般的には、まずは赤ちゃんのときに、身近な大人と愛着関係を築き、家庭の中で他者との信頼関係を築くらしい。家庭の中で人に頼るという経験はあまり記憶になくて、いまでも苦手だ。
家庭の中では、わたしはいつも両親の機嫌を気づかい、空気を読んでいた。みんながうまくいくように、自分が働くか、我慢するが、お利口さんでいるかという選択肢しかなかった。
子どものころ身についた振る舞いは、自然に何度も繰り返していた。そうやって自分の本心を隠し、現実から目を背けてきた振る舞いをくり返していくうちに、うまくいかないという現実に直面したとき、自分の欲求に気づくことができなくなっていた。自分の欲求を見る代わりに妄想による現在逃避をしてしまう。そして、自分とは違う状況の人をうらやましがり、仕方がないとあきらめる。そんなことを続けてきてしまった。
そこから抜け出すには時間がかかった。それが当たり前だと思っていたから、なかなか抜け出せなかった。だけど、そうではなかった。妄想に走り現在から目を背ける以外の選択肢が、大人になった自分には与えられていたのだった。それを知るのにかなり時間がかかった。
子どものころに知った世界は自分の中で当たり前の世界となって構築されていく。家族や家庭は、限られた小さな世界であるのに、外の世界を知らない子どもにとっては、そこが当たり前の世界になってしまう。妄想小学生にとっては、そこがとても恐ろしい世界になっていた。毎日が心配だった。
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子どものときの妄想の記憶はずっと持ち続けていたが、そこにどんな欲求が隠されていたのかは気づいていなかった。自分に本心というものがあることすら忘れていた。
子どものころから不安定だった自分は、身体接触を求めていたのだと思う。いまでも人に触れてあたたかさを感じて、安心感を得ている。自分が母になり、子どもに母乳をあげていたころの「オキシトシンの分泌されている」という話を聞いた。不安傾向が強いわたしは、子どものころオキシトシンが分泌されるような身体接触を求めていたんだと思う。
こうやってあのころの妄想世界を書き出して、はじめて小さい自分が何を求めていたのか、その欲求がよくわかった。小さいわたしは、大きいわたしにその欲求をずっと知って欲しかったんだ。あのときに押し込めた小さいわたしの欲求を、外に出したくてずっと待っていたんだ。
「書く界」に入り、20日目にして改めて「書く」ことの力に気づく。こうやって書き出さなければ、子どものころの記憶はただの妄想として自分の中にくすぶり続けていただろう。
だけど、書くことで本心が表に出て、ずっと隠されてきた小さなわたしが持ち続けた欲求に、やっと陽を当てることができた。埋もれたままでは、隠されたままでは、奥底でくすぶり続けて燃え尽きることなくずっと持ち続けていただろう。日の目を見ることができて、やっとはじめて昇華できる。
もう重たいものは持ち続けたくない。いろいろとここに置いて行きたい。小さいわたしが、なによりも一番気づいて欲しかった相手は、他ならぬわたし自身に違いない。小さなころからずっと自分の声を無視し続けてきたから、ずっとわたしに気づいて欲しくて叫び続けてきたんだと思う。決して忘れることなく、この妄想世界を持ち続けてきて、いつか、わたし自身に気づいてもらえる日がくるのを、そっと待っていたのだと思う。
ありがとう。わたしに書く力を与えてくれて。ありがとう。わたしに書く機会を与えてくれて。何気なく参加した「書く界」がこんな終わりを遂げるとは…恐るべし。もう、今日で終わりにしていいぐらいだが、21日と決めたので、明日につなげようと思う。
今日もお読みいただき、ありがとうございます。明日につなげます。
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