【蓮ノ空スクールアイドルクラブ】『365Days』良すぎるという話
兵庫公演にて初披露された『365Days』
Day2公演終了後、公式チャンネルにてリリックビデオが公開され、すぐに視聴しました。
ライブで聞いた時からいい曲だなとは思っていたんですが、そんなの序の口と言わんばかりの、言葉にできない感情が身体中に駆け巡りました。
何とか言葉にしたいなと思い、書くことにしたって感じです。
既プレイの方に向けて書いているので、めちゃめちゃネタバレ入ってます。未プレイの方やまだ104期まで進んでないよって方、ごめんなさい。
あと、解釈違いとか普通にあると思うんですけれども、読んでる中で自分とは違うなーと感じて、そしてもしよければ、自分はこう感じたということを伝えてくれると嬉しいです。皆さんの声も聞いて、蓮ノ空のことをもっと知っていけたらなと思います。
拙い箇所も多くあると思いますが、楽しんでいただけたら幸いです。
公式MV
ということで、皆さんはもう『365Days』をお聞きになったでしょうか?
まだ聞いたことのない方がいましたら、こちらに公式MVを載せていますので、聞いてみてください。
伝統曲
まず最初にとても重要なことが一つ。
それはこの歌が伝統曲であるということです。
そのことがよりこの歌に深みを与えている気がします。
今の104期も、もしかしたら、沙知先輩も、そしてスクールアイドルクラブないし芸楽部に軌跡を残した先輩の方々も、この歌に想いをのせて繋がっているというのが本当に感じられる歌かなと思います。
それについては『365Days』の慈も似たことを言っています。
時間のずるさ。
ああ、その通りだなと思いました。だからこそ、こんなにも心に刺さったのかもしれません。
じゃあ何がずるいの?と問われれば、「全部」と答えるしか能のない私ですが、それだと全然伝わらないので、曲の最初から順々に話していこうかなと思います。
イントロ
最初グロッケン?(楽器に疎いのでわかる方いればお願いします)とピアノの音から、その後様々な弦楽器の音と打楽器の音が一気に加速するように重なり合う曲の始まりは、とても心に強く響きました。
PVにも似たような映像が流れていたように、まるで教室の窓から少しの風が吹いて、その風が机に置いてあったアルバムをめくり、アルバムにある写真からたくさんの思い出が溢れだす、そんな想像ができるくらい、素敵なはじまり方だなって思います。
Aメロ 1年生パート
「出会った日のまぶしい背中」は、みんなそれぞれ違うと思いますが、徒町がここを歌っているのが心に刺さります。入学してからそんなに日がたっていないですが、それでも徒町にとって、特にさやかの存在が自分の中でどれほど大きいものなのかは活動記録等でわかるので、この詞を徒町が歌っていることにぐっときました。
それを受けて「今追いかけよう」がいいですよね。見ているだけではなく、追いかけることのできる場所に自分がいるということ、それに追いかけるという一歩を踏み出した決意が伝わってきます。
ここは姫芽が歌っていますね。
彼女にとってめぐちゃんとるりちゃんは大きな存在ですが、”見ているだけ”ではなく、”追いかける”とそう姫芽が歌っているんです。
ああ、いいな、としみじみ感じました。
「始まりの歌聞こえたんだ」の吟子パートです。
始まりの歌、これもまた皆それぞれ違うと思います。ただ、吟子にとってはおばあちゃんから聞いた歌がはじまりであり、そして蓮ノ空に入学し、花帆から聞いたあの歌がもう一度聞こえてきたはじまりだったのだと思います。
まさしく、吟子が歌う詞って感じがしますね。
1年生それぞれの想いに沿って歌っているパートですが、入学したころの、梢先輩に出会った花帆と綴理先輩に出会ったさやかにも、この歌詞は共通しているんですよね。
でもそれは、花帆たちだけではなく、ずっと前の先輩方も、同じようにはじまりの歌を聞いて、まぶしい背中に出逢って、そして追いかけた。
この歌が伝統曲であることの深みは、この繋がりを感じるところかなと思います。
この先もう全く同じパターンで感想言ってます。
なるべく飽きさせないようなものをつくりたいですが、長いなとか思いましたら、目次で気になる部分を読んでいただければ幸いです。
Aメロ 3年生パート
こちらももちろん、個々に沿った歌詞を歌っていると思うのですが、ここはフレーズ全体が3年生それぞれをよく表していると思います。
特に、「私を変えてくれたんだ」の部分です。
その「変えてくれた」出来事の1つとして、慈には一緒にスクールアイドルをするために待っていてくれた瑠璃乃が、スクールアイドルとして何もないと言った梢に対し「私がいる」と、「一緒に夢をかなえよう」と伝えてくれた花帆が、そして、スクールアイドルになりきれない綴理の隣に立ち、一緒に歩み続け、彼女が心から”スクールアイドルの夕霧綴理”と思える、そんなきらめきをもったさやかがいてくれたこと。
この三人にとってパートナーの存在がどれほど大きいものだったのか、この歌詞からはそんな想いが伝わってきます。
その中で、「忘れてた夢を思い出した」は慈、「ひたむきなキミの瞳が」を梢、「私を変えてくれたんだ」の綴理とわかれてるのです。
怪我のせいでスクールアイドルとしてステージに立つ自分を思い描けなかった慈に、一緒にスクールアイドルをしたいという瑠璃乃の想いが連れてきた、もう一度スクールアイドルとしてステージに立つ藤島慈の姿は、「忘れてた夢を思い出した」ものだと思いますし、「あたしたちで夢を叶えましょう!」とまっすぐに語った花帆の目は、梢にとってそれこそ「ひたむきなキミの瞳が」なのだと思いました。
綴理に関しては、そうですね。
”スクールアイドルの夕霧綴理”
この言葉だけで十分です。
どんなに説明を重ねようとしても、今の私の中にはこの言葉以上に「私を変えてくれた」を表しているものはないと思います。
村野さやか、すごい。
Bメロ 2年生のパート
Aメロの1年生と3年生の個々の想いとは違って、この詞は「最高の景色を見に行こう!」ということが全面的に出ています。
少し脱線しますが、この詞、誰に向けて歌っているのでしょうか。
まあいわずもがな、1年生や仲間のみんなに向けて、だと思います。
ただ、詞だけに注目すると、応援してくれている人たちに向けて歌っているようにも見えるんです。Aメロも実はそうで、なんの情報もなしにこの曲を聞くと、スクールアイドルがみんなにむけて「一緒に最高の景色をみよう!」って印象の歌になるんですよね。
でも、そうじゃない。
103期の軌跡を見てきた私たちが、104期の境界線を踏み越えた後に出会ったこの歌は、全く違う意味や印象を感じると思います。
蓮ノ空にはそのような、曲が活動記録や今までの軌跡を通して印象ががらっと変わるということが往々にしてあります。
これも蓮ノ空の魅力の一つですよね。
私は『ド!ド!ド!』と『明日の空の僕たちへ』がやばかった….…。
話を戻しまして、見せてあげたいという最高の景色。
いったい何を指していて、どんなものなのか。ステージの景色かもしれません。
ただ、そのステージに上がったことのない私には想像することも難しいです。
だけど、見ている側の私たちはいつも最高の景色を見せてもらっています。胸が高鳴る高揚感、こみ上げる熱さ、絶えない声援、歌、拍手、音楽、そして、ステージの上にあるきらめき。本当にたくさんのものが重なり合って、その最高の景色が生まれるのだと思います。
でもこれは、ステージを見ている側の視点。ただそれだけでも、想いが溢れそうになるのです。
じゃあ、ステージ上では?
もし、私たちが感じている以上の感情が、溢れるだけではなく埋もれそうなほどの想いが、ステージの上にあるのだとしたら。
それは、どれほど忘れることのできないものなのか。
….…やっぱり、私にはわかりません。だけど、この歌にはこういう詞があります。
「見せてあげたい」と。
今の104期だけではありません。その前の、ずっと前の先輩たちも、ステージの上にある景色を後輩達に見せてあげたくてその手を引いた。
そして、その景色を目の当たりにした後輩が次の世代へ、同じ景色を見せてあげたい、だから「一緒に駆け出していこう」と。
そんな想いが歌にのせて、今になってもずっと繋がっているんです。
熱がこみ上げるように胸に来るものがあります。
そして、この最高の景色は、ほんの一部です。この景色も含めた、本当の意味での最高の景色を後述(Cメロ)の方で触れています。この歌詞、本当に素敵だなと思います。
間奏
ここはちょっと個人的に好きなので話したくて。
Bメロと1サビに入るあいだにちょっとだけ間があるんですよ。そして、Cメロとラスサビのあいだにもあります。
本当に少しだけ、ピアノの音とツリーチャイム?かな。それだけになるんです。
それが本当にきれいで、そして一層サビの部分を引き立てている気がするので好きなんですよね。
1サビ
ここの歌詞ではまず「365日」を「毎日」と言い換えて歌っています。
歌のタイトルも『365Days』で「エブリデイ」というので、「365」が日々の一つ一つとしてそこにあるというのを表しているのでしょう。
そして「キミとなら365日がキラキラ」。キラキラ。それはどんなものなのか。
歌詞では「笑顔咲く日も泣き顔の日も」と歌っていますが、きっとそれだけじゃない。
はじめて出逢った日。
雨の中、傘もささずに一緒に帰った日。
放課後、部室で何気ない会話をした日。
夕焼けの空を眺めた日。
そんな日々の些細なかけら一つ一つがキラキラなのだと私は思いました。
だけど、それを感じられるのは「キミとなら」なんですよね。キミがいるから、何気ない日もキラキラであふれる。
そう、あふれているんです。
日々を振り返れば、キミがいて、抱えきれないほどの、いっぱいのキラキラがあって、それをこぼさないようにたくさん詰め込んで。
そんな365日があるんだと、そのどれもが特別な日々なんだよって、この歌詞はその想いをまっすぐに伝え続けているのだと思います。
そして、そんな日々の「どんな瞬間も愛しいと思える」と歌っています。
その理由は、あとに続く詞の、「かけがえないキミと 今 同じ夢を見てるから」なのでしょう。
だけど、そのキミがいるのは今なんですよね。高校の三年間という長いようで短い期間の中で、キミというかけがえない人に出会った。そんな人が、一緒に同じ夢を見てくれているんです。だから、何気ない日々だって、そのどれもが特別で、キラキラと輝いている。
だけど、それは今だけ。今だけなんです。キミといる時間も、一緒に夢を見ている時間も、いつかは終わりが来ます。
だから、この想いを歌にのせたんだと思います。
「輝き続けよう」と。
輝き続けたい、という希望じゃなくて、輝き続けよう、という意思なんですよね。
いつかは終わりがくるけれども、限られた時間の中で、キミと一緒にいる今だけは、この瞬間だけは輝き続けよう。
それが感じられる歌詞だと思いました。
そして、これは伝統曲。こんなにも104期蓮ノ空女学院スクールアイドルクラブのことを感じずにはいられない『365Days』は、昔から伝わってきた歌なのです。
そのずっと昔からこの場所にはキラキラがあふれていて、かけがえのないキミも同じ夢を見ている時間もあったんです。そして、きっと104期のみんなと同じように、流れゆく365日を、今しかないこの瞬間を大切にして、「輝き続けよう」と。
これ、すごくないですか?
同じなんですよ。同じって基本過去に経験したこととか、もともとあったものと今あるものを照らし合わせて、ああ、同じじゃんってなると思うんです。だけど、私たちは今の蓮ノ空女学院スクールアイドルクラブしか知りません。『365Days』が作られた当時のことなんて知らないはずなのに、この歌が受け継がれてきたってただそれだけで、わかるんです。ここで過ごしてきたスクールアイドルもみんな同じだったんだなって。
この蓮ノ空女学院スクールアイドルクラブないし芸楽部で、顔も名前も知らない先輩たちは、キラキラも、かけがえのないキミも、同じ夢を見ている時間も、全部大切に抱きしめて、輝き続けていたんだってわかるんです。
私にはすごいって言葉以外出てこなくって。
『365Days』がこんなに素敵だって伝えるほどの自分の語彙力のなさを恥じるとともに、いつか、この歌に合う素敵な言葉を見つけられたらなと思います。
最後に、1番の全体を振り返っていこうと思います。といってもそんなたいしたことではなく、1番は全体的に、今までのことが思い起こされる、そんな歌詞だったなって思います。少し言い方を変えると、これまでを歌っている、それが『365Days』の1番だったんじゃないかなって思いました。
余談ですが、このサビに入るまでの歌詞の部分、公式のMVではまるで、原稿用紙に歌詞を書いているかのような映像になっています。昔から伝わってきた曲ですし、もしかしたら、この歌は自分の想いを原稿用紙に書いてそれをあつめて、できた歌なのかもしれませんね。
各々の想いを読んで、「なんだ、みんな同じだったんだ」と、当時のスクールアイドルは互いの気持ちを知ったのかなと思いにふけたりしました。
Aメロ 3年生・2年生パート
2番ですね。
ここの歌詞は、3年生から2年生へ。2年生から3年生へのメッセージを歌っているように思います。兵庫公演で披露した時のここの振り付けも、3年生が2年生を勇気づけて送り出しているという風に感じました。
背中押すとこ、一人一人の個性があってめっちゃよかったんですよ。配信の視聴期間が短いことが悔やまれる。円盤待ってます。
さて、この歌詞ですが、今の104期と重ねるには少しピースが足りないなと思いました。1番ではこの時のことを思い出すなあ、という部分も多かったのですが、2番ではこれまでを思い返すというより、これからの104期を表しているように感じました。実際に、私がこの歌詞を聞いて思ったのは、104期活動記録第1話「未来への歌」の梢先輩と花帆のことです。
吟子のためにいろいろ頑張る花帆の隣で、そっと見守る梢先輩。だけど、たまにから回っちゃったり、自分なんかじゃとくじけそうになるときに、梢先輩は花帆に声をかけてましたね。
「あなたなら大丈夫」と。
ああ、なら花帆は大丈夫だ、って皆さんなったんじゃないかなと思います。それほどに、この「大丈夫」には揺るがないものがありました。
と、少しだけ寄り道しましたが、この歌詞は梢先輩と花帆のような2年生と3年生の、少し言い方を変えれば、先輩1年生と先輩2年生の双方の想いをつづったメッセージなんだと思います。
ただ、これは梢先輩と花帆が歌っているパートではなく、3年生と2年生で歌っているんです。もしかしたら、さやかも瑠璃乃も壁や迷いにぶつかるのかもしれません。ですが、隣には綴理先輩やめぐちゃんがいます。
きっと「大丈夫」なんだろうなって思いますし、それが「背中を押す」ってことなのかなとも思いました。
Bメロ 1年生パート
1年生が担当しているこの歌詞ですが、後輩から先輩たちへのメッセージのように感じます。私は「今伝えたいよ」が本当に刺さりました。いつかじゃないんですね。先輩たちが教えてくれたもの、それに返す「ありがとう」の気持ちを、いつかじゃなく今、伝えたいんだと。
でもそれは、今じゃなきゃいけないくらいに、想いががあふれていたんじゃないかなとも思ったりしました。なんだか『抱きしめる花びら』を思い出しますね。『365Days』ももしかしたら蓮華祭での歌だったのかもしれません。
そしてこれもまた、これからを指しているように思えます。ただ、現時点(2024年6月3日時点)では1年生のなかだと、徒町が比較的歌詞と重なりやすいのかなとも思います。
それがわかるのが、104期活動記録第1話「未来への歌」のPart7~9のDOLLCHESTRA回ですね。すごいことができたことがない徒町が、それを成し遂げるために蓮ノ空の湖を横断しようとし、そのことを笑ったりせず応援してくれた。徒町にとってはそれがあまりにも不思議で、だけど、その応援も力になって頑張りたいと思ったことを成し遂げることができました。自分のしようとしてることにまっすぐ向き合ってもらえたこと、これが徒町にとっては、本当にうれしかったことなのかなと思いますし、この歌詞に近しい話かなとも思いました。
104期活動記録第2話「踊り続けよう、きみが見てる」も似た部分もあったと思いますが、この話に関しては、1番のAメロ1年生パートの方が個人的には重なりました。第2話良すぎましたね。Part7は終始泣いてた気がします。「踊り続けよう、きみが見てる」、素晴らしいタイトルだと思います。
さて話を戻しまして、徒町のことに触れてきましたが、吟子と姫芽にもそれぞれ何かがあって、自分らしさを見つけていくのかもしれません。
もう少し先の未来で、もう一度この記事を読み返したときに、実はって感じで感情を爆発させているのでしょうか。そうしたら、この部分の感想は、もう少し増えることになりますね。
この先の蓮ノ空女学院スクールアイドルクラブも楽しみです!
2サビ
キラキラ。この歌の歌詞の中で一番のお気に入りかもしれません。この言葉ひとつで、365日のそのどれもが手放すことのできない大切なものだと、それぐらいの想いが、この言葉には詰まっていると思います。
そして、このキラキラを抱きしめて走り出すんですね。そう。ここから走り始めるんです。そうやって走っていく中で、キミとぶつかりあったり笑いあったり、同じ空を見上げて、青春したいと歌っています。する、でもしよう、でもなくしたいって希望なんですよ。やっぱり、この歌詞もこれからを表しているんじゃないかなと思うんですよね。
それに続く詞が「僕らならどんな日も無敵だって思えるんだ」ですね。キミといればいつだって最強!ってするとみらくらぱーく!っぽさが増します。なんにせよ敵なしってことです。敵。おそらく、ぶつかってしまう壁や迷い、悩みなど、これから起こるいろんなことなんだと思います。
だけど、僕らならどんな日も無敵なんですよね。これをですね、全員で歌っているんです。1年生や2年生とっての僕らって、先輩という存在が入ってくるんですけど、3年生にとっては後輩の存在が僕らになるんですよ。
ここ、めっちゃ良くないですか?
先輩って頼りになるイメージが付きがちですし、実際、あの三人は頼りになると思うんです。もちろん3年生にとっても同級生って存在は欠かせないものだと思いますし、「僕ら」って歌詞にもそのことは見て取れます。
だけどその3年生が、1年生、2年生がいれば無敵だって歌っているんですよ。この「無敵だ」って歌詞、私は、梢、綴理、慈風に置き換るとこんな感じだと思うんです。
キミがいれば大丈夫。
キミがいればすごいことができそうだ。
キミがいれば最強!
全然違うこと言っているのに、なんだか無敵だって気がしてきませんか。ちょっと想像が飛躍しすぎてるとは思いますけどね。
ただ、3年生も「僕らならどんな日も無敵だって思えるんだ」と歌っているということに、私は2年生、1年生に対してのキミを信頼してるって想いが見えた気がしました。
余談ですが、3年生の歌う「We can make it now」も「無敵」の歌詞にかかっているのだとしたら、「今の私たちならなんだって出来る」って訳なのかなとも思ってしまいました。
そして、一番最後の歌詞は1年生が歌っています。
まずは「夢叶えるため」でしょう。夢。今の1年生もそして、2年、3年もそれぞれ夢を持っています。特に、花帆の「花咲きたい」や徒町の「がんばってなにかを成し遂げたい」って想いは、言ってしまえばスクールアイドルじゃなくてもいいんです。
でも、「この場所」で「出逢った」んですね。スクールアイドルの存在を、そのきらめきを知ってしまった。吟子とさやかも同様です。芸楽部に想いを抱いている吟子は花帆に出逢い、探し物をしていたさやかは綴理に出逢いました。みらぱ組が互いの存在を知っているという状態なので、出遭うとは少し違うかなと思いましたが、でもこの歌詞は「この場所で出逢えた」なんですよ。出遭う、だけじゃないんです。地図を広げても簡単には見つけられないようなそんな場所で、この蓮ノ空女学院で出逢ったということ、それを伝えたいんじゃないかなと思います。
そうして同じ時間を過ごす中で、いつしか、キミはかけがえない存在になってた。
それはきっと、運命って言葉以外、言い表せなかったんだって思います。今の104期生も、その昔にいた人たちも。
そして、ここは1年生が担当しているんです。その運命を信じる原点が、1年生の頃だったから、なのでしょう。実際に、1年の頃の花帆、さやか、瑠璃乃にも言えることですし、梢、綴理、慈が沙知先輩に出逢ったこととも重なります。その沙知先輩も、先輩は恩人だと言っていました。
みんな、おなじなんですね。
だから、やっぱりこの歌詞もこれから意味を持つんじゃないかと思います。今の1年生が同じ時間を過ごして、そしてその軌跡を振り返ったときに、ああそうだ、それは運命の出逢いだったんだって思うってことですから。
最後に、2番全体の感想を。まあこれも文中に何度も言っていることなんですけど、これからが強く表れたパートだったなって思います。今の1年生ではピンとこないけど、一年前の花帆達だとなんか重なるなみたいな。
そして、ここで言いたいのが、昔のスクールアイドルクラブにはこんな想いがあったんだってことです。1番では、今の蓮ノ空女学院スクールアイドルクラブを見てきて、そしてこの曲が伝統曲だったからこそ、今と昔も一緒だったってことが分かったと思うんです。だけど、2番はそうじゃないんですよね。伝統曲だからこそ、ずっと昔の先輩たちの想いが私たちにはわかります。でも、今の104期蓮ノ空女学院スクールアイドルクラブのこれからを私たちは知らないんです。1番の時とは逆で、昔を知っていて、そしてこれからの未来を一緒に見ていくんです。その中できっと重なっていきます。
あ、同じなんだって。
なんてったって伝統曲ですからね。想いは繋がっているんじゃないでしょうか。
この歌がどんな風に色を付けていくのか、そのこれからを楽しんでいきたいなと思いました。
Cメロ
3年生と2年生の上パート、1年生と全員の下パートにまとまっている歌詞だと思います。
まず、「うまくいかない日もひとりじゃないから」ってところですね。3年生が歌っていますが、Cメロに関しては、全員に重なるような歌詞だと思います。その理由として次に「みんなと一緒なら」と続いています。キミじゃないんですよね。自分ひとりじゃ難しいことでもみんながいたら「なんでもできる気がする」。まるで、「無敵だって思えるんだ」って感じにも聞こえてきます。「なんでもできる”気”がする」っていうのがまたいいですよね。絶対にできるってわけじゃなくて、だけど、そう思えるんだってことが素敵なことだなって。だから、うまくいかない日であってもキラキラであふれているんだと、そう思いました。
そして「目の前に今広がる無数のきらめき」って歌詞ですね。これは、歌の中にもある「キラキラ」のことだと思います。だけど、少し具体的な詞にしているので、ほんの少しだけ「キラキラ」の景色が想像できます。
その「キラキラ」を「ここから次の未来に繋げていく」んですね。
未来へ繋げていく。どうして繋げていこうと思うのでしょうか。それはひとえに伝えたいからなんだと思います。これ、「見せてあげたい」と似てると思うんです。
そうです。少し遠回りしてしまいましたが、この「キラキラ」こそが、1番のBメロで触れた、「見せてあげたい最高の景色」なんだと思います。1番のBメロではステージの上の景色を取り上げましたが、それも含めて、この場所で過ごす365日にあふれるきらめきこそが、きっと二度と忘れられないような、大好きで、大切で、愛おしい、そんなキラキラであふれていた365日が、見せてあげたい最高の景色なんです。
だから、次の未来へも繋げていこうって、そう歌っているだと思います。
ずっと昔の先輩たちが、顔も名前も、もしかしたら生まれていないような先の後輩たちへ、その「キラキラ」を伝えるために、想いを歌にして今に受け継がれているんです。
104期活動記録第1話でも花帆がそのことを言葉にしています。
やっぱり伝統曲ってすごいですね。こんなにも胸が震えるんですから。
これが『365Days』の本質の一つだと思いますし、伝統曲になった所以なのかなと思いました。
ラスサビ
最後のラスサビまで来ました。最初の歌詞は「輝くよ」まで1サビと一緒ですね。ただ、少し違うのが1サビより伴奏が少し控えめになっています。
続く詞が「ここにいるどんな瞬間も愛しいと思えるから」になります。1サビと変わり「思える”から”」になっています。1サビでは「愛しいと思える、それはね○○だから」と愛しいと思えるその理由を歌っていましたが、ラスサビでは「愛しいと思える、だからね○○なんだよ」と愛しいと思えるのを前提において、さらにその先にあるものを歌っているんですね。
接続の言葉一つでも雰囲気を変えるのは、歌の魅力って気がします。
そして、愛しいと思えるからの先にあるのが、「きっと何年たっても色あせることなく」という歌詞です。
何年。高校は三年間しかない中で、この歌詞は何年となっているんです。それはその三年が終わったその後のことも指しているのでしょう。だけど、この歌詞は「何年たっても」なんです。この先、三年間で過ごした以上の時間が待っています。三年間なんてわずかのものともいえるかもしれません。だけど、どれほどの時間がたったとしても、それでも色あせることないんだと、そう歌っています。3年生が歌っていることも、この歌詞をぐっと引き立たせている気がします。
そして、最後にこの想いを込めていますね。
「永遠に輝き続ける」と。
1サビでの「輝き続けよう」がここにきて、「ずっと輝き続けている」になるんです。
これについては『365Days』の梢のボイスにもあります。
その通りだなって思いました。だけど、これは梢たちにとっても当てはまることだし、2年生や1年生にも同じだと思います。
はじめて出逢った日も、
雨の中、傘もささずに一緒に帰った日も、
放課後、部室で何気ない会話をした日も、
夕焼けの空を眺めた日も、
そのどれもが、そんな「キラキラ」であふれていた365日が、この先もずっと輝き続けているんです。
いつか、どこかでふっと振り返ったとき、その中にずっと色褪せずにきらめいたものがあるんです。そんな夢のような365日が確かにあったんだと、 そんな想いが詰まった歌だったと私は思います。
全体の感想
最後に全体の感想です。この『365Days』はこれまでとこれから、この二つをもった歌だったかなと思います。
でも時間がたてば、これからの部分は少なくなっていきます。だけど、一つ不思議なことがあって。『365Days』のカード、春限定なんですよね。
この『365Days』、実は春の歌なんだとしたら。だとすれば、これまでとこれからは、この1年間の軌跡を引き継いで、次の未来へと歌う、そんな歌になるんです。これもまた、飛躍しすぎた想像にすぎませんけどね。
でも、この先、104期のいろんなことがこの歌とかさなっていくんだと思います。そして、重なれば重なるほど、昔から、ずっとずっと同じなんだと、変わり続けていく中で、変わらずにいた思いが今に繋がっていて、それがこの『365Days』なんだって感じることができるはずです。
これが慈のいう時間のずるさかなって思います。
最後に
長い間読んでいただきありがとうございました。
感想文というより、『365Days』解剖書って気がしますね。まあ書きたいことはだいぶかけたと思います。
また『365Days』について書きたいことが出てきたら、こちらにかきたすか、はたまた新しく書くかになるとは思うんですが、いったんはこれで。
最後に、『365Days』藤島慈のボイスへ向けたメッセージを残して終わろうと思います。
絶対にいつか、永遠はあったって伝えます。
以上!
本当にありがとうございました!