先生へ

先生、お元気でしょうか。
私のことを覚えているでしょうか。
名前を見てもピンと来なかったら、そのまま読むのをやめて、シュレッダーにかけてしまって構いません。

最近断捨離をしました。
高校生の時の通知書とか出てきました。ひどいもんでした。よく私のこと怒鳴らなかったですね。

先生の書いたコメントには、中々に厳しいことが書いてあって、私はそれを苦虫を噛み潰したような顔で見ていたんだろうなと思います。

本題に戻しますが、先生はよく「これからどうするんだ」とか「よく考えなさい」とか、とりあえず大学行けなんて言葉はついぞ言わず、ただひたすらに私を窘めるようなことを言っていました。
ふらふらふらふら、将来に大した展望もなく理想論ばかりこねていた私には、そりゃあもう刺さって刺さって、でも分からないんだもんとなんなら開き直って、と思ったらぐじぐじ言って、さぞ面倒くさい生徒だったことでしょう。

先生はずっと私を心配してくれていたんだと、感じてはいたけれど、私にとっては口煩い存在でもあったので複雑でした。ずっと。
ずっと、「ちゃんとしろ」と責められているように感じていました。ひどい居心地の悪さを感じていました。当時の私は「大丈夫」って言って欲しかったんだと思います。「どうするつもりだ」なんて言葉はとんと望んでいませんでした。

先生、当時、けっこう若かったですよね。たぶん20半ばくらいで、私たち生徒と一回りも歳が離れていなかった。
だから先生にとっては、進路の悩みはたぶんそんなに遠くないものだったんでしょうね。ちゃんと考えなきゃいけなくて、適当に進学すればいいなんて口が裂けても言えなかったんでしょう。
先生、大人になってから気付きました。先生がしたことは学校の方針に真っ向から歯向かうようなことで、私に進学を進めない件についてたぶん上司からとやかく言われたことでしょう。うちの学校、とりあえず進学させとけそれか就職しろ学校の実績を作れみたいなふざけた学校だったらしいですね。成人してしばらくしてから母から聞きました。

私に考えろ考えろ言ってたのは先生なりの優しさと心配だったんだと気付きました。やっと腑に落ちました。
それもこれも、今日断捨離したからなんですが。「自分が決めた事を 自分を信じる事を 最後までつらぬこう!」
文集の裏に、達筆な字で書いてありました。
進学を選ばず、就職もせず、皮算用よろしくなあなあで進路を決めた私への言葉でした。
あの頃の先生の年齢はとうに超え、30も半ばになろうというころに、ようやく腹落ちしたんですよ。
たぶん先生はこんな文章を書いたことなんて忘れているだろうし、いま私が感じていることを伝えても「はて?」みたいな顔をするかもしれないけれど。いまこの瞬間、なんかうまく言えませんが、高校2年生から高校3年生までの2年間、あなたが担任の先生であったことは、本当にすごく恵まれたことだったんだなと思いました。

勢いに任せて先生に手紙を送ろうかと考えましたが、先生の現住所もわからないし、メールアドレスは卒業アルバムに乗っているかもしれないけどなんかそれもなぁと思って、送ることはないだろう手紙をnoteに書いています。
私はたぶん、この手紙を先生に送ることが怖いのではなく、私のことをすっかり忘れた先生に、上辺だけの返事をもらうことが怖いのだと思います。
先生、昔うちの近くの家系ラーメンに連れてってくれましたよね、って書き添えれば思い出してくれるかな。先生の車で、女子高生3人と先生の4人でラーメン家のカウンター席に座って、野菜と油少なめにした私たちとは違ってがっつり食べてた先生の姿をいまだに覚えています。
「女子高生3人とラーメン食べに行くことになったんだけど何話したらいいんですかね」って同僚の先生に相談していたのも知ってます。いま思うとこんな相談をしてる先生なんかかわいいですね。

たぶん先生にはこの手紙を送らないと思います。
シンプルにめんどくさいのもあります。
ただもしも、気が向いたら、送ることもあるかもしれません。
先生、私いまちゃんと働いていますよ。
生活してますよ。

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