vol.6 「肩書き」を考える。
「先生」
そう呼ばれる職場で働いている。
自分が「先生」と呼ばれることにまだ慣れない。
自分のことを自分で「先生ね、」と語り出し始めることに非常に違和感を覚える。
コミュニティに属していると、少なからずその中での役割というか、差別的な用語になってしまうかもしれないが身分を与えられる。
そのひとつが「肩書き」である。
「肩書き」とは。
姓名の脇などに、職名、官位、居所などを書き添えること。
(姓名などの脇に添えることから) 社会的な地位や身分を示す、爵位、勲等、学位、役職名など。
(コトバンク)
社会の中で自分はどんなグループに所属しているのかを端的に表した「肩書き」を強く意識したのは、大学院生になった時。
「学生」という肩書きを強く意識するようになった。というよりは意識せざるを得なかったというのが正しい。
なぜなら「学生いいなあ」と周りから言われ続けたからである。
私はこの言葉に苦しむことがあった。
皆の言う「学生」はパブリックイメージの「学生」であったから。
時間の自由があって好きな時に好きなことができる。
社会の学生のイメージ。確かにそうかもしれない。実際にそういう学生もいるから。
でもその実態は、圧倒的ストレスとの戦い。24時間縛られ続ける「好き」。
言うてみれば、彼氏に束縛される感じ。
大学院生っていわゆる「学生」のイメージとのギャップがある。
それぞれの肩書きには、本来の意味とは別にそれぞれのイメージがある。
社会人=毎日仕事をこなして大変そう
お医者さん=患者を誰でも救う天才
みたいな。でも実際はどうだろうか。
社会人でも、ライフワークバランスをとって毎日楽しく生活している人もいると思うし、お医者さんだって人間である。
100%患者さんを救えるとは言い切れない。
肩書きで相手を、はたまた自分を縛ってしまっているのではないか。
大企業の名前が書いてある名刺も、その典型である。
大企業に所属しているというだけで得る安心感。信頼感。
そこに疑いもなく、胡座をかいていてはいけない。
なぜなら、表面で判断する時代は終わりを迎えている。
人間はもっと複雑に社会と関わってきている。
自分は人を見た目や肩書きで判断していないだろうか。
言葉は恣意的である。
その言葉が持つ意味を理解するには、それが表す事象を捉える必要がある。
本来なら、肩書きは複雑な意味をひと言で表すことができる非常に画期的なシステムだと思う。
それを表面的なイメージで捉えてしまっていないだろうか。
初めて人と出会う時、名刺の会社名を見るのではなく、相手の目を見て感じ取ることができるようになりたい。
画像:お気に入りの名刺ケース。
今回のテーマ、あまり深堀できていない気がする。反省。
以下、ちょっと雑談。
肩書きとは逸れるかもしれないが、肩書きや身分に関するステレオタイプは、映画やドラマのキャラクター設定としてよく用いられている。
もしかしたら、そういうメディアの影響もあるのかもしれない。
あと、肩書きの究極は「名前」だと思っている。
よくある覚えやすい名前と珍しい名前なら、同じような履歴書でも、よくある名前の子が採用されがち、というエピソードを聞いたことがある。
名前については、もっと深堀して考えたいのでまた別の機会に。
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