チェコで訪れて欲しい田舎町~テレジーン
18世紀後半にオーストリアが要塞を建設し、女王マリア・テレジアの名より命名された町がチェコにあります。
「テレジーン」
プラハから60kmほど北に離れたところにある小さな町です。
町もオーストリアが建設したそうで、名前の由来も素敵ですし、すごくキレイな町並みを想像していました。
が、現在、町の整備が行き届いておらず、建物はところどころボロボロ、道路はキレイではなく、町の中心の広場は手入れがされていません。
すごく可能性を秘めているのに、非常にもったいないと思いました。
手を加えれば、美しい町に生まれ変われるに違いありません。
でも、今はテレジーンの町自体の見どころはありません。
しかし、人々がここを訪れる目的が別にあるのです。
チェコにもナチス・ドイツの強制収容所があったことはあまり知られていません。
「強制収容所」と聞けば、ポーランドの「アウシュヴィッツ」を思い浮かべる人も多いと思います。
ここ「テレジーン」にも強制収容所がありました。
こちらです。
元々ハプスブルグ王朝時代のオーストリア守備隊の駐屯地として建てられた要塞は、第一次世界大戦の間は捕虜収容所として使われ、1941年から1945年までは強制収容所として使われたそうです。
これらの建物が「小要塞」なのですが、「大要塞」はどこか。
それが先ほどのテレジーンの町全体のことなのだそうです。
最初は小要塞の中にユダヤ人を収容させていたけど、増えすぎたため、町に住んでいたチェコの人々を他の町へ移住させ、町全体を封鎖して外界から隔離されたユダヤ人のゲットーにした、それがテレジーンの町なのだそうです。
なぜそのようなことをする必要があったのか、理解に苦しみます。
当時、6000人ほどが住んでいたテレジーンの町に、一挙にその十倍を越す90000人のユダヤ人が詰めこまれたのだそうです。
最終的にテレジーンに送られてきたユダヤ人は、およそ16万人以上だそうです。
約3万3000人が病気、飢え、過労、そしてドイツ兵による暴行や拷問や刑罰でテレジーンで亡くなり、8万8000人がアウシュヴィッツなどの絶滅収容所に送られ殺されました。
アウシュヴィッツへ送られ、幸いにも生き残った人が語った
「アウシュヴィッツが地獄なら、テレジーンは地獄の控え室だった」
という言葉により、テレジーンがどういう場所だったかを表しています。
そんな悲しい歴史があったテレジーンの小要塞ですが、レンガの高い壁や500mも続く抜け道などは、18世紀に建てられた要塞の跡として興味深いのです。
おそらく、2度訪れることはないと思いますが、1度は訪れてみて欲しいところです。
今夏、チェコのことをたくさん書いてきましたので、ご覧ください。