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時間切れ!倫理 174 ライプニッツ
ライプニッツ(1646生)はドイツ人。貧しかったスピノザとは違って、ライプニッツは外交官としてヨーロッパを股にかけて活躍していました。哲学者でもあり数学者でもある。微分・積分を考えだした人物としても有名です。ほぼ同時期に、イギリスのニュートンも微分・積分を考えていて、どちらが先に考えついたかで論争になっています。
スピノザと同じように、デカルトの二元論を克服しようとしましたが、その発想はスピノザとは全く逆方向からのものでした。
ライプニッツは、物体と精神の二元論を克服するために、物体も精神もバラバラに分解します。物体も精神も、小さなつぶつぶからできていると考える。このつぶつぶのことをモナドという。日本語では単子と訳している。
モナドは実体であり、世界は無限個数あるモナドによって構成されている。物体や精神もモナドでできている。つまりモナド一元論を唱えた。
古代ギリシャにおいて、デモクリトスが「万物の根源はアトムである」といいました。アトム とモナドはどこが違うか。デモクリトスの アトム(原子) は物です。物体のつぶつぶなのですが、ライプニッツのモナドは精神的なつぶつぶです。 私はイメージできません。ただライプニッツがいっていることを、そのまま受け取るしかないです。確かに精神もモナドでできているので、モナドは精神的なつぶつぶなのでしょう。精神は物ではありませんから。
物体も精神的なつぶつぶでできている。なぜ物体が精神的なつぶつぶからできているのかと聞かれると、私も分かりません。精神的なつぶつぶに、何か物質がくっついていると考えるしかない。
それはさておき、世界の全てはモナドが集まってできているので、デカルトの物体と精神の二元論を克服できるわけです。
繰り返しますがモナドは実体です。実体は何者にも依拠せず、それ自体で存在しているものです。したがって、一つ一つのモナドは全く独立した存在で、何者にも影響されず勝手に動いている。「モナドには窓がない」とライプニッツは言っている。窓がないからその中を覗くことはできないし、窓から何かが出入りすることもない。
この鉛筆は、モナドが無数に集まってできている。一つ一つのモナドは全く独立して運動しているのに、なぜこの鉛筆を形成しているのか。お互いに影響し合っているのではないのか、という疑問に対してライプニッツはこう答えます。
バラバラなモナドは、それぞれ独立して勝手に動いているのだけれども、それが同時に集まって鉛筆を形成し、私が手を動かすのにつれて動いているのは、予定調和があるからだと。独立して運動するモナドが、影響し合っているように見えるのは、完全に正確な機構を神によって与えられているから。
神がこの世界を作った時に、一つ一つのモナドの動きはすべて決められており、この鉛筆を形成している無数のモナドは、ここに集まって鉛筆を形成するように決められている。一つ一つのモナドは無関係なのですが、無関係ながらも今ここにあるように決められているので、鉛筆の形をしている。
わかりやすい例としてよく挙げられているのは、二つの時計の話です。二つの時計を正しい時刻に合わせて別の場所に置く。二つの時計は常に同じ時刻を指します。二つの時計は全く独立して動いているのに、指し示している時刻は常に同じ。 協力し合って同じ時刻を指しているわけではなく、はじめから正しい時刻を指すように決められているので、そう見えるだけ。無数のモナドの動きもこれと同じなのです。