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宝塚観劇記 雪組『夢介千両みやげ』
牛みたいにぼーっとしている?
雪組『夢介千両みやげ』
作・演出:石田昌也
石田昌也氏の作品は苦手である。私の感性とどうもなじまない。
原作が山手樹一郎って。19世紀に生まれた人だよ。40年以上前になくなっている。『桃太郎侍』や『遠山の金さん』を書いている。といっても、いまの若者は知らないだろう。昭和の大衆文学だ。いかにも古めかしい。
観劇した感想は、想像通り。
わかりやすいし、面白くないことはない。しかし、こういう面白さでいいのか、という話である。
和物は、雪組直近では『壬生義士伝』があった。月組では『桜嵐記』があった。これらと並べると石田氏がどれだけ宝塚ファンを見誤っているかがわかるではないか。
なによりも、彩風咲奈と朝月希和のコンビにこんな芝居をさせたくない。
「牛みたいに、ぼーっとしている」トップスターを見たいわけではないのだ。
主人公の夢介は小田原あたりの庄屋の息子なのだろう。家は造り酒屋か味噌醤油の醸造をしているかもしれない。道楽修行をしに江戸に出てくる。道楽修行?! 初期設定からして、共感の余地がない。仕送りは千両。つまり無尽蔵に金がある。これで好きなだけ遊んでこいって!
人は有限性の中で生きるからこそ、悩み、苦しみ、喜びも味わう。無限の資金があったら、共感できる物語は成立しないだろう。夢介は“金と優しさ”で解決して行く、ということだが、自分で稼いだ金で解決するならまだしも、である。お金の苦労がない夢介は、誰にでも気軽に金を振る舞って優しくできるだろう。金が底をつくと、遠山の「金」さんが出てきて救ってくれる。どこまでも「金」に恵まれているわけだ。
お銀が夢介に惚れる理由もよくわからない。夢介が一文無しの男であっても、彼女は惚れているのだというエピソードがないと愛の言葉も上滑り。そんなエピソードがあったのかもしれないが、全然印象にない。
したがって、現代に置き換えてまとめるとこうなる。
世間知らずの金持ちのお坊ちゃんが、無制限引き出し可能なカードを手にして東京の大学に入学した。彼は、知り合ったみんなにたかられて、金目当ての女に引っ掛かり、卒業後は地元に帰っていく。それでも本人は、楽しい思い出がたくさんできた、真実の愛を手に入れたと思っている。しかし、事情を知る人々は、彼が家業を継いだ日には、あっという間に破産するだろう、という黒い予感をぬぐえないのでした。
嫌な感想を書いて御免なさい。