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宝塚歌劇 月組『グレート・ギャツビー』

 脚本・演出/小池 修一郎
 宝塚では既視感のある題材で、これを一本物に焼き直すとどうなるかなと思ったけれど、素晴らしい作品に仕上がっていた。

 月城かなと。ギャツビーは名門出身の紳士として振る舞っているけれど、実は裏社会でそれなりの地位を築いた男。闇の世界を隠し持っているわけだが、月城は光と闇を往還する演技がうまい。『ダルレークの恋』でも感じたのだが、「この人は、本当はいい人なの?悪い人なの?」という不安感を観客に感じさせることができる。
 それを特に感じたのが、裏社会から切られたギャツビーが、つけを払うためにもぐり酒場『アイス・キャッスル』に行った場面。トムから巻き上げたお金で飲んでいる新聞記者との会話。新聞記者がギャツビー邸でも写真を撮ったという話をすると、それまで丁寧だったギャツビーの態度がさっと変化して、急に怖くなる。こういうところで、ヒヤリとする裏の顔を見せて秀逸。
 映画『偉大なるギャッツビー』では、ディカプリオが話し合いの場面で急に激高してトムに掴みかかるという形で、ギャツビーの裏の顔を表現していたが、それよりも内面的に見せているぶん怖いかもしれない。すくなくとも宝塚的で良い演出と演技だと思った。

 鳳月杏のトム・ブキャナン。トムは銀の匙を加えてきた。欲しいものは何でも手に入る生活を送ってきた。自分が世界の中心だから、人の気持ちは斟酌しない。お金持ちのジャイアンが大人になったと思ったら良い。だから、愛人を作っても、全然悪気はない。というか、そのことで誰をどのように傷つけているかを、想像することができない。一方で、デイジーを愛し妻にしたことも、自分の心に正直に行動した結果なのだろう。そう思わせる力強いキャラクターを、鳳月杏は造形してくれた。
 コーラス・ガールの楽屋で、ヒモと新聞記者に金を取られる場面が象徴的。金を巻き上げられているのに、主導権はトムが握っているようにみえる。自ら時計まで外して、相手にやる。アメリカの貴族は、いつでも一番強いのだよ、と相手に言っているようだ。
 この強さがあるからこそ、デイジーを思うギャツビーの愛の深さに対抗できた。
 この話は、ギャツビーとトムが、デイジーを引っ張り合う話なので、二人の男が互角の力をもっていないと、物語の枠組みが崩れてしまう。物語を成立させるためには、ギャツビーよりも大事な役だが、鳳月杏、さすがに素晴らしい演技で、舞台を締めていた。

 海乃美月。デイジー。これは難しい役だな。私としては、ブラックボックスとして、本音が全く読めない人として存在してほしい役です。デイジーがギャツビーに愛をささやいても、観客が「それ本心ですか?」と疑うような。そうすると、ギャツビーののめり込み方が、より共感できて面白かろう。
 今回のデイジーは、素直な女性という感じでした。それが悪いわけではないけれどね。映画のデイジーも同様でした。

 ニック・キャラウェイ。風間柚乃。安定の演技。役柄も狂言回しなので、全く危なげない。風間さん自身は、もっとチャレンジングな役をしたかったのじゃないかな。

 ガソリンスタンドの親父ウィルソン。光月るう。これは面白い役だな。私の好みとしては、今回の光月るうは情けなさすぎかな。人を疑うことを知らない気のいいおっちゃん、という造形で見てみたい。

 ウルフシェイム。輝月ゆうま。ギャングのボス。輝月さん、本物の専科になってしまった。顔が巨大化していて、おっさんそのもの。しかも、怖さも出てる。この舞台を締めてくれました。

 お話について。
 『グレート・ギャツビー』は、ギャツビーがデイジーと会いたいという、ただそのためだけに、豪邸で毎週末にど派手なパーティを開いて散財し続ける、その行動だけで話の8割は語り終わっている。言い換えれば、ギャツビーの思いだけが物語を支えている。
 しかし、5年でデイジーは人妻となり子までなしている。
 過去をやり直せるとギャツビーは信じているが、それはやはり無理である。
 「かわいいおバカさん」は、夫と子を捨てはしないと思う。それに、良家のお嬢さんデイジーは、ギャツビーの裏の顔を受け入れられないだろう。
 ギャツビーとデイジーの関係は必ず破綻する。
 どのように破綻させるか。フィッツジェラルドは、デイジーによる交通事故とギャツビーが射殺されるというかたちで、二人の関係を終わらせた。
 ギャツビーは、対岸の明かりを見つめ続けるだけで良かったのだ。

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