時間切れ!倫理 123 山鹿素行
古学派 山鹿素行
古学派は、中国や朝鮮にはない日本独自の学派です。朱子は中国宋代の人で、彼が唱えた朱子学が、日本に入ってきて江戸時代の日本人達はこれらを勉強している。しかし、改めて言うまでもなく、儒学の源流は孔子や孟子です。
江戸時代の儒学者のなかに、孔子の『論語』や孟子の『孟子』などの古典に書かれていないことを、朱子や王陽明が唱えていることに異議を唱える者が現れます。朱子学は儒学本来の教えではないと考え、朱子を経由せずに、孔子や孟子から直接学ぼう、そう考えた学派が古学派です。
その最初の人が山鹿素行(1622~85)です。ただし、山鹿素行が、思想的に注目されるのは士道を追求したことです。
武士の仕事は戦うことですが、すでに戦国時代は終わり徳川の平和が訪れた。この時代に戦うことが仕事である武士は一体何をすれば良いのか。山鹿素行はそれを課題として考え、たどり着いたのが士道。それは次のような内容です。
山鹿素行は、武士は農工商の道徳的指導者にならねばならないと説きました。そして「義」を実践せよ、と説く。これは、弱い者を助けることだと思います。戦って人を殺すところから、武士の生き方を転換することを訴えました。古学思想の形成者としてよりも、儒教の武教化の実践者、士道の鼓吹者として、より大きな歴史的意義をもっています。「死の覚悟」よりも「道の自覚」を大事にしました。
次の言葉は、試験に出るかどうかわかりませんが、知っておいてください。皆さんの常識的な武士の忠義と少し違うことをいっています。
「いさめても聞き入れない君主のもとは去る」。君主である殿様がバカ殿で、おかしなことばかりをする。仕えている家臣が「殿、その行いは良くないですよ」と諌める。これも仕事。何度諌めても、バカ殿が行動を改めない場合は、その主君に仕えるのをやめてもいいのだといっています。一旦仕えたならば、何が何でも忠義を尽くし、主君に仕えるという武士道と、彼の武士道は違う。