時間切れ!倫理 152 文学 白樺派 附・大正デモクラシー
武者小路実篤、志賀直哉、有島武郎らは白樺派という文学グループです。これは華族や財産家の子弟たちの集まり。武者小路(むしゃのこうじ)というのは本名です。本物の貴族。学習院グループです。学習院は、かつては華族などしか入れなかった学校で、その学生グループです。ボンボンです。
生活の苦労のない青年たちが、人生の理想を求めて小説を書いた。ロシアの文豪トルストイの影響を受けて理想主義的、人道主義的な小説を書きました。とくに武者小路実篤はその代表格で、文学活動以外でも、九州に理想社会を目指して「新しき村」という共同体を建設しています。
彼の小説は、今はあまり読まれないようですが、三・四十年前には、夏休みの課題図書に必ず入っていました。登場人物は皆、うらやましいほど純粋、あきれるほど脳天気です。よく言えば、社会と人間への信頼にあふれている。現代では決して書かれることのない作品群だと思います。
他のメンバーは、生活の苦労はないけれども、個人的な問題はそれぞれ抱えていたようで、有島武郎は札幌農学校でキリスト教に入信し、トルストイに影響されて自分の土地を小作農に分け与えたりしました。最後は女性と心中した。『生まれ出づる悩み』など、若い人たちが読むには良い作品だと思います。
志賀直哉は「小説の神様」と呼ばれた人です。志賀直哉のおじいさんは鉱毒事件の足尾銅山を立ち上げた人物の一人で、莫大な財産を築いた。志賀直哉は鉱毒問題の講演会に行き、葛藤を抱えたりします。また、自分は父親の子ではなく、母と祖父とのあいだの子ではないかと悩んでいました。『暗夜行路』はそんな悩みから生まれた小説。題名からして、全然脳天気ではありません。
大正デモクラシー
大正時代になると衆議院で第一党になった政党から首相が選ばれる、戦前において一番民主主義がうまく機能した時代になります。選挙による政権交代がおこなわれ議会制民主政治が定着した時代において、それを支えた法律及び政治の思想がありました。
美濃部達吉の天皇機関説は、天皇は憲法上に位置づけられた国家機構の一機関とするもので、当時は憲法学において通説となりました。
吉野作造は民本主義を唱えました。民本主義とは実は民主主義のことです。しかしこの時代民主主義という言葉を使うことはできませんでした。民主というのは国民主権を意味します。しかし当時の明治憲法は天皇主権なので、国民主権を意味する民主という言葉は使えない。この言葉を使うだけで国家体制を揺るがす反政府的な思想となります。そこで民主主義を評価したい吉野作造は、民本主義という言葉を使って民主的な政治のあり方を高く評価しました。
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