時間切れ!倫理 140 啓蒙思想 明六社
明治6(1873)年、福沢諭吉のような啓蒙思想家たちがあつまって啓蒙学術団体が作られました。明治6年にちなんで明六社と名付けられました。
設立メンバーはみな幕末から、英語、オランダ語、フランス語などを学んだ洋学者で、欧米諸国に実際に訪れたり、留学したりした人たちも多くいました。福沢諭吉をはじめとして、西周(にしあまね)、中村正直(まさなお)、森有礼(もりありのり)、加藤弘之、津田真道(まみち)らがいます。
出自はバラバラです。津田真道は旧幕臣。のちに津田塾大学を設立する津田梅子の父親、といったほうが今や有名かもしれません。森は薩摩出身で、のちに初代文部大臣になっています。西周の造語は有名です。権利、哲学、心理学、倫理学、絶対、先天・後天、主観・客観、世界観・人生観、経済学、人格、主義、進化論、など日本語にない西欧の概念を、新たな単語を作ることで定着させました。
明六社は講演会を開いたり、明六雑誌という雑誌を発行して、啓蒙活動を繰り広げました。森有礼がこの雑誌で「妻妾論」を発表し、一夫一婦制を主張したことは有名です(当時、富豪や政治家が正妻の他に妾をもつことはあたりまえに行われていました)。講演会はいつも盛況で、雑誌もよく売れたようです(1874年には毎号3千部以上売れていた)。
ところが、1875年に明治政府が反政府批判を封じるために、讒謗律・新聞紙条例を発布すると、明六社は解散します。明六社のメンバーは、政府に忖度することなく、自由に自分たちの意見を明六雑誌に発表していたのですが、新聞紙条例によって、それができなくなるために解散を決定したのでした。