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時間切れ!倫理 99 永遠のブッダと菩薩

(イ) 新たな設定
① 永遠のブッダ  以上のような経緯で、大乗仏教は一切衆生の救済を目指して、従来の仏教に大胆な改変を加えていきます。具体的には、仏教の教えに新たな設定を加えていきます。
 まずは、宇宙の法則の中に、「永遠の存在としてのブッダ」を想定します。宇宙の法則は、ダルマともいいます。現実のガウタマ=シッダールタは死にました。人間としての命は消えた。しかし、ガウタマは宇宙の真理、ブラフマンと一体化したはずです。また、人間としてのガウタマは消えてしまったけれども、彼の教えは永遠の真理、ダルマのはずです。永遠の真理としてのダルマは、存在し続けている。同じように、ブッダも宇宙に存在していると想定します。
 仏塔に集まって嘆き悲しんでいる在家信者たちに、「ガウタマは死んでしまったけれどもブッダはいますよ、ブッタは存在しているんですよ」といって彼らを慰めることができる。
 さらに、ブッダは宇宙の真理、ダルマとしてのブッダですから、ガウダマ=シッダールタでなくても構いません。様々なブッダを想定することができます。釈迦如来(しゃかにょらい)、これはガウタマシッダールタのことですが、それ以外に阿弥陀仏(あみだぶつ)、毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ)、大日如来(だいにちにょらい)、薬師如来(やくしにょらい)などなど、様々なブッダを想定していきました。
② 菩薩
 また、大乗仏教は菩薩(ぼさつ)というものを設定します。
 普通の人が出家をして、修行して悟りの世界に少しずつ近づいていくとします。修行を続けて、ある一線を越えれば、悟りを開いて涅槃寂静の世界に行くことができます。悟りの世界に入って、仏陀となります。仏陀=「悟った者」ですね。
 これに対して、菩薩というのは、修行がどんどん進んで、あと一歩で悟りの世界に入ることができる人のことです。一歩踏み出せば悟ることができるのですが、あえて悟りの世界にはいらずに一歩手前で踏みとどまっている。それは、この世界で在家信者に寄り添うためです。在家信者と一緒にいてくれる。そういう修行者のことを菩薩といいます。現実に菩薩が存在するかどうかはわかりませんが、そういうものを設定するのです。
 「菩薩さんがいますよ。在家信者の皆さんは悟りを開けないといわれていますが、あなたがたと一緒に、こちら側の世界で待っていてくれる菩薩さんがいますよ。あなた達も、いつか仏の慈悲で悟りを開ける時が来る。その時まで菩薩さんは、この世界で待っていてくれる。皆さんが悟りの世界に行く時に、一緒に行ってくれる。そういう、ありがたい菩薩さんがいるんですよ」と、在家信者に説く。
 これが大乗仏教における独特な存在、菩薩です。自らの悟りは可能だが、在家信者が救済されるまで寄り添う修行者として、菩薩を想定する。慈悲ですね。地蔵菩薩、弥勒菩薩、文殊菩薩、観音菩薩、勢至菩薩などなど、たくさんの菩薩を設定します。このようにして大乗仏教では様々な仏、様々な菩薩を想定して、だんだんときらびやかな世界として、出来上がっていきました。


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