プロのコーチってどんな人?プロコースを受けながら考えてみた
こんにちは!かなおと申します。太陽系🌞愛重め女です。
THE COACH Academyのプロコースで何が起きたのか、生臭く伝えにきました。
愛しの同期たちとのマガジン、張り切って投稿します!
チェックインという名の情状酌量
文章での表現が苦手です(ドーン)
Twitterが精いっぱいでnote初投稿の身の上なので、どうか大目に見てください。
普段は、ゴリゴリにジェスチャー・オノマトペ使って表現しています。顔で語るので表情がうるさめ。
文章はそれらを完全に封じてくるから本当に困っていて、顔と右手が疼きます......
せめて参考文献を!と、図書館で予約待ち大人気の
「セールスコピー大全~見て、読んで、買ってもらえるコトバの作り方」を借りてきたのだけど、同期に「たぶんジャンル違うわ」と指摘されて撃沈。(でも間違いなく良書でした)
初note、セールスコピー学びたての脳みそと疼く右手で臨みます。
さて、プロコースの5か月を振り返ると、いろいろありました。
未完了のこと、同期のこと、コーチングのこと.......
いろいろありすぎてどれを話せばよいのかフリーズします。
そのなかでもこの場では、一番話づらいことを出してみます。
プロのコーチングってどんな人?という話です。
プロってなに?
突然ですがコーチングにおける「プロ」ってなんでしょうね。
コーチングにおいて「プロ」を定義するものはありません。
反対に考えると、名乗ろうとすれば名乗れちゃう。
だけど、曖昧で正解がなくて、ときには綱渡りするような繊細さのある「心・感情」を扱う以上、軽率にはプロを名乗りたくないなと思っています。
だから、THE COACH Academyが「プロコース」と題していることが個人的には意外で、このように考えていました。
◆プロコースを卒業したらTHE COACH Academyからプロと認定してもらえるなら、こんなに安心できてお得なことはない
◆しかしTHE COACH Academyのこれまでの授業内容を考えると、プロコースただ受けただけで「はい、あなたはプロになりました!」と認定をうけることは絶対にない
◆というか「プロコース」ってなに?コーチングのプロってどんな人?どこまでいったらプロを名乗れるの?
ちょうど応用Bコースを受けていたので、放課後タイムに思い切っておかちゃんに質問させていただきました。
「THE COACHにおける”プロ”はどんな定義ですか」
なんて答えがあったと思います?
「それはかなおさんの中にもう答えがあると思います」
(くっ、そうきたか、おかちゃん......!)
心の的を射られました。
嘘です、射られたどころではないです。心抉られました。ベッコベコ。
プロコースを申し込んだ理由
なぜベコベコに抉られてしまったかというと、おかちゃんの問いから私のコーチングに対する恐怖心が浮き彫りになったからです。
私は、コーチングの果てしなさをブラックホールのように感じていました。
「心」に好奇心を向ける以上、パートナーシップを築き、クライアントさんの全体を見て、時には関わり方を変える必要もあります。
同じ「心」をもった人はいません。同じひとであっても、1秒後には別の感情・思考になっていることも。
同じ型・流れのコーチングは一切なく、これができたらOK!という線引きもありません。
守秘義務の範囲で相談することができるとしても、クライアントさんと直接話しているのは自分。
◆クライアントさんが危うい状態になったら自分に判断ができるのか?
◆そもそもコーチを名乗れるほどの力量があるのか?
◆ゴールがない中で、自己研磨し続けられるのか?
そう考えていると、永遠にプロなんてなれない気がしました。
どれだけ頑張っても頑張ってもコーチングにゴールはないのではないか。
ここまで来たからもう安心!という線がない、恐ろしい領域に片足突っ込んでるんじゃないか。
ひい。
だからといって、コーチングのことを見て見ぬふりはできませんでした。
コーチングに対しては「知ってしまった」という感覚があります。
知ってしまった、体感してしまった。
知る前の自分には戻れない。
これからもコーチングに関わっていきたいと思ってしまう。無視できない。
ならばプロコース受けてみるしかないな、エイヤ~~!と申し込みました。(夫を溺愛しているので積極的に惚気をはさむのですが、最後に背中を押してくれたのは夫です。この上なく感謝しています。最高!ありがとう!)
このように熱量高めで参加したプロコースでしたが、リード陣からの「コーチングのスキル面で伝えるべきことはもう伝えてあるよ」との言葉を受け、「私は一体ここに何しに来たの!?」とあたふたしたこともありました。
じゃあプロコース後悔してる?と聞かれたら、300%受けてよかった!
プロコースがあまりにも居心地がいい上、ガッツリ成長の種を蒔いてくれるので、コース最終日に「ZOOM切らないで」と駄々こねたくらいです。大人のイヤイヤ期を披露しました。
「プロコース、何がそんなに良かったの?」
「結局、プロはなんだと思っているの?」
よくぞ聞いてくれました!スクロールしてください!サササッ
ガチコーチングのうねり
プロコースの何が良かったの?と聞かれると全部なのですが、特にガチコーチングを紹介したいです。
同期同士で、2週間に1度必ずコーチングし合うというシンプルな内容ですが、プロセスの関わりが濃い。
Slackや受講中、同期それぞれがリアルタイムで揺らぎ・もがき・完了後の気持をアウトプットしていました。
いのちがこもった言葉に、ぐわんぐわん揺さぶられました。
誰かの言葉と体験が、誰かの琴線に触れて着火して。
それがまた別のメンバーの心を着火する、化学反応の連鎖のようでした。
いい意味で何が起きるか分からない、そんな5ヵ月でした。
そんななかで、私も未完了ひとつひとつと向き合っていましたが、とんでもない爆弾がぶちこまれます。
「かなおさんって、”ちゃんと” ”生産性” ”価値”っていつも言うよね」
「褒められても頑なに受けとらず、むしろ困っているように見える」
「そこに愛はあるの?」
アイ〇ル......
愛はあるのか
私の世界に愛はあるのだろうか。
ある!と答えたかったけれど、実情、ゴリゴリの資本主義でした。
◆完璧にできて当たり前。ミスがあったらどれだけ頑張ったとしてもマイナスに評価されてしまうよ
◆妻として夫に価値を提供できなければ、どれだけ好きでも不和がうまれるよ。苦手な家事もちゃんとしなければならないよ
◆ちゃんと友人にギブできていないと、もう遊びに誘われなくなるよ
と囁いてくるサブパーソナリティがいました。
もうね、ゲシュタルト崩壊するくらい「ちゃんと~しなきゃ」って言うの。ちゃんとチャントCHANTO!
保身のためにもいうと、普段は割とポジティブ人間です🌞
でも、根底には資本主義がびっしり敷き詰められていて、ふとしたときに猛スピードで現れました。
例えば、少し友人がいつもと違う態度だっただけで、自分が休んでいる間に夫が家事をしていただけで、猛烈にザワザワ。
「このままだと嫌われるから、なんとか挽回しなければ」という焦りがマッハで心を支配して、駆られました。
私と相手のあいだに愛はあると思いたいから、失わないように繋ぎ留められるように必死に行動していたんだと思います。
ちゃんとすることで「あなたにとって価値のある人間ですよ」「だからそばにおいてね」と暗に伝えていました。
必死すぎて無理がたたっても「失ってしまうかもしれない」と怖く、やめられませんでした。
「まだ足りない」「全然だめ」と自分を叱咤することで続けられていました。
その結果、私が生きているのは、愛のないシビアな世界になっていました。
「ちゃんと」の奥にいた人
「ありのままの自分が受け入れられる未来」を自ら放棄していて、すごくもったいないぞ!と、打破を目指しました。
でも、ふとした瞬間に”愛なし思考”に飲み込まれ、ドウシタライイノ?状態。
そんなある日、愛がないと感じている自分をグッと味わっていると、ふと小学生時代にした「はないちもんめ」のシーンを思い出しました。
「はないちもんめ」ってなんて残酷な遊びなんでしょうね......
案の定「あの子がほしい」と言われず、最後にひとり残ってしまいました。
ひとり残ってしまったときの、あの感情。
悲しさ、寂しさ。
でも、遊びだから本気で悲しむことは許されない居たたまれなさ。
うぉぉ、書きながらいまも胸がぎゅってなるぞ。
「はないちもんめ」はこれっきり1回のみで、通常の日々だったのに。
身体感覚の記憶力、すごすぎる......身体が叡智を蓄えている。
◆この1回の悲しさを二度と味わいたくなくて、メリットがあるならきっと「あの子がほしい」と言ってもらえると信じていたんだな。
◆「ちゃんと相手にメリットがある自分でいて」と声をあげていたのは、はないちもんめで残された自分だったんだな。
ストンと腹落ちしました。
自分で自分のことを知りきったと思いました。
(知りきった、って言葉ある?ないか)
今も時折「ちゃんとしなきゃ」「嫌われてしまったかも」と不安に駆られることはありますが、はないちもんめちゃんが一生懸命阻止しようとしてるんだな~!とヨシヨシしています。
このパーソナリティがこの思いをもって暴れているとわかるだけで、不思議とこんなにも楽になるんだな......!
あと、はないちもんめちゃんに気づいて、思ったことがもう一つあって。
はないちもんめ、ぶち壊したいな~!!!
「あの子がほしい」じゃないんだわ~!
誰がほしいとか誰が有益とか決められるわけないし、決める必要もない。
やめだやめだ~!解散!!!
好かれる・好かれないとか、何ができる・できないとか、ポイっと放り投げたい。
何の理由もなく相手を好きでいたい。
戦略はいらないので、素朴に純粋に相手に好奇心を持ちたい。
お互いに「これが私なんです」と笑い合いたいです。
私にとってプロとは
今はこれです!⇩
◆問答無用に相手を信じていること。
◆どんな感情・言葉ともただ傍にいる。どんなに共感・解釈しても自分を主人公にせずただ全体を見る、集中力とマインドを持っていること。
◆揺らいでも自覚的に戻す仕切り直し力を持っていること。仕切り直せるコンディションにしていること。
◆コーチ自身も自分の人生を感情ガンガンで回し、ネガティブもポジティブもリソースにするエネルギーを持っていること。
プロコースは自分にある光と影を体感する日々でした。
光と影に自覚的になり、自分のしっくりくる場所に戻していく。
見たくなかった・ないと思い込んでいた影を、もう一度握りしめてみる。
そんな体験をしてみて、今一度プロの在り方を改めて言葉にしてみるとこんな感じかなと。結構しっくりきています。
コーチなさっている皆さんの考えもぜひ伺ってみたいです!
そしてプロコースが終わった今、コーチングを知れば知るほどもっと知りたくなったので、これから心理学を学びにいきます。
「心」を科学的な視点からも見てみたいと思いました。
科学的な部分、直感的な部分、両方を掴んでみたい。
経験・感情・知識、全部ひっくるめてクライアントさんに伴走したいです。
まずは仕事しながら通信大学に入学します!最終的には大学院も行きたい。
(わああ言っちゃった......!)
実はこれも未完了のひとつ。
現役受験生時代に第一志望の心理学部に落ちてしまい、合格した第二志望に進みました。
第二志望の学部も存分に楽しんだのですが、うっすら心残りがあって。
でも「今のわたしだって幸せだし!」と見て見ぬふりしてきました。
それに気づいてしまったので、これから完了させにいこうと思います。
せっかくこの道に進んでも、果たして目標が達成されるのか保証はありません。
第三者から見たら、不安定でやみくもに見えるかも。それこそ「ちゃんと」した大人ではないかもしれません。
”「ちゃんと」資本主義者”も、はないちもんめちゃん”も抱きしめながら、今は”「やってみたいからやりたい!」とブン回す自分”に乗っかってみようと思います。
きっと揺らぐこともあるだろうな。きっとというか、絶対ある!
揺らいでもいいんだよな。揺らぐのも自分。きっと何かしらの願いや思いががあるのだろうな。
揺らぐけど私には同期と実感のリソースがあるからきっと大丈夫!
同期のみんなと、リードのさきえる・こっちゃん。
プロコース中に背中を押してくれた、めいちゃん・ゆりちゃん・タクさん・まーさん・たいちさん・けんしさん・こちゃん。
特にガチコーチングで関わってくれた、タカさん・さなぴ!
改めて書いてみると、たくさんの方々がコーチングしてくれました。皆さんが私の願いを引き出し、信じて背中を押してくれたので、今があります。
全員に感謝と愛をこめて!
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