彼の国のダイバーシティと、この国のホモソーシャル
好事魔多し。渦中の大谷選手を見守りつつ、改めて思う。アメリカとは、時に、言葉すら通じないダイバーシティという厄介な代物を、強引に束ねる法治国家なのだということを。
翻って、日本。この国なら、彼の行いは、もしもイリーガルだったとしても、侠気あふれる美談だったのだろう。情実と同調圧力とホモソーシャルのぬるま湯につかり、リテラシー格差はあれど、ひとまず日本語が通じる、この国ならば。
だが、彼の国では、ダイバーシティという至高の価値観やフェアネスを守るためには、流血も犠牲もいっさい厭わぬということなのだろう。万一、ルースやピート・ローズをも超えるであろうメジャーの至宝が、永久追放の憂き目に遭ったとしても。