手紙なる一族 4 (全6回)

あらすじ: マクレター家には、300年前から受け継がれる手紙がある。その受取り手である「私」は、マクレター家の現当主から手紙にまつわる話を聞くことに……

{ 第1回 , 前回 : 第3回 }

マリオン・マクレター(三代前)

マリオンがその手紙を受け取ったのは、マクレター家の庭園でだった。

マリオンが庭園を訪れると、紫のペチュニアとラベンダーに囲まれたベンチで母は待っていた。マリオンは、その隣に座って母のハリエットを見た。見たと言っても、うつむきがちなマリオンが見たのは、彼女の乾いた手の甲だけだった。

「この庭に来たのも久しぶりだ。」
 母ハリエットは言った。
「昔はよくここでおまえと散歩をしていたはずなのだが……あのころと比べれば、枯れた植物がたくさんある。」

「そうですね……」
 マリオンはうなずいた。

「顔が少し青いようだ……」
 ハリエットは、息子をのぞきこんで言った。
「カゼでもひいているのか?」

「いえ、そういうわけでは……」
 マリオンは首をふった。
「ただ、突然のお呼び出しだったので、驚いてはいます。」

「母と子の間で話すのが、そんなに珍しいことなのか?」
 ハリエットは首をかしげた。

「はい……我々の場合は。こうして直にお話するのは一年ぶりです。」

「なんと! いつの間にそんな時間が!」

「無理もありません。母上は忙しいのですから……それで今日はいったいなんのご用件で。」

母は、ふところからそれを取り出した。それは手紙だった。

「これがなにか知っているな?」

「はい。」
 マリオンはうなずいた。
「手紙です。それも特別な。」

「おまえはこれを受け継がなければならない。」

「そのことなのですが……」
 マリオンは言った。
「以前もお願いしたはずです。手紙を破棄していただきたい、と。」

「ほう、そうだったかな?」

「はい。私は手紙を受け取れません。」

「なぜだ?」

「その手紙は呪われています。母上が手紙を相続したとたん、前の夫とご長男が亡くなり、再婚後の夫……私の父も亡くなってしまいました。すべては私が生まれる前のことですが、そのころを知る者たちは口を揃えて『手紙が呪われているかだ』といいます。」

「不幸なことではあったが、ただの偶然だ。手紙とは無関係だろう。まさかとは思うが、酒場のうわさ以下の与太話を信じているのか?」

さきほどまでの穏やかな口調とは打って変わって、ハリエットは息子をとがめるようだった。それは、百戦錬磨の男相手に交渉し、十数名の部下相手に命令を下すときの彼女そのものだった。親子で話しているだけなのに、マリオンは汗をかくほど緊張していた。こういう時のハリエットに主張を通せる者はいない。この街の市長だって無理だ。でも、今日ばかりは引き下がるわけにいかなかった。

「まさか。呪いなんて私は信じていません。」
 マリオンは首をふった。
「ですが、妻は信じています。もし私が手紙を相続すれば、自分たちの身になにか起こるのではと気が気でないのです。とくに今は子を身ごもっていて、とても神経質になっています。」

「くだらぬ。」
 ハリエットは吐き捨てた。

「母上にとってくだらないことでしょうが、私たちには問題です。」

マリオンは、母の目を見据えて言った。

ハリエットは、息子を睨んだ。おそらく本人は睨んだつもりはないのだろうが、周りのものはそう感じて萎縮してしまう。寄る年波のしわも多いというのに、硬い表情だった。ハリエットが鉄の女と呼ばれる所以である。でも、信じられないことに、間もなくしてその顔がほころぶのをマリオンは見た。

「くだらぬ……」
 ハリエットは笑っていた。
「まさにそのとおりだな。理由もわからず手紙を受け継ぐなんて、くだらぬ話だ。私もこれを受け取ったときにそう感じたよ。」

「それでは、母上?」

「いや、私は破棄せぬぞ。絶対にこの手紙を受け取ってもらう。」

「そんな!」

「だが……」
 ハリエットは続けた。
「その手紙をどうするかは、相続したおまえの勝手だ。手紙を捨てたければ捨てるがいいさ。」

「い、いいのですか?」
 予想外の答えにマリオンの声は上ずった。

「かまわない。おまえがそうすれば、みんな安心するのだろう? 家族も、使用人たちも。」

「ですが……」

「ほらどうした? 受け取れ。その足でゴミ箱に捨てるなり、燃やすなりすればいい。なにをためらっている?」

マリオンは手を伸ばそうとした。伸ばそうとしただけで、まるで釘でも打ち付けられたかのように手は動かなかった。どうしても手紙を受け取ることができなかったのだ。

「怖くなったか? 捨てろと他人に指図しておいて、捨ててよいといざ言われたら、自分の手ではできないのだろう?」

「は、母上は……」
 マリオンは言った。
「すべてお見通しなのですね。私の浅はかな心持ちなど……」

「その手紙は代々マクレター家の当主が受け継いできたもの。」
 マリオンは続けた。
「母上がそれを私に託すということは、私に当主の座を継承するということなのですね?」

「そのとおりだ。私はもう引退する。」

「怖いのです……それらを受け継ぐのが。私は母上のようにやることはできません。」

「どういうことだ?」

「私は無能です。あなたの期待になにひとつ応えられなかった。一日十八時間勉強したところで、私の五分の一も勉強しなかった連中のほうが成績優秀でした。あげく、思い悩んで学校を勝手にやめてしまった。機械工としてひとりで身を立てようと決意しても長くは続かず、この屋敷に戻ってきてしまいました。今はあなたの下で働いているが、やっていることいえば、雇われ者の雑用とたいして変わらぬ仕事ばかり。かつての同級生たちが……私を机にかじりつく虫だとからかった同級生たちが活躍し、世間でどんどん名を上げていくのを見ると、自分がどうしようもない無能に思えて死にたくなります。」

マリオンは、一息もつかぬまま、まくしたてるように自分の思いを吐き出した。おかげで、喋っていただけなのに息が上がったほどだ。何年も言いたくて言えなかったことをついに言って、不思議な高揚感に包まれる一方で、再び硬直した母の表情に心底おびえた。

マリオンは黙って待った。母ハリエットが次に何か言うのを。あるいは、ベンチの傍らに置いてある杖で自分を殴りつけるのを。だがハリエットは、息子ですら予想できない形で応えた。なんと、けたたましい声で笑ったのだ。

「なんだ、そんなことで悩んでいたのか?」

「い、いったい何がおかしいのです?」

「おかしいさね。」
 ハリエットは言った。
「なにしろ、私も若いときにまったく同じことを思っていた。私が父の仕事を手伝い始めたころは、おまえなんかよりずっと無知で、役立たずだったぞ。私は女だったから、成績表をもらうどころか、高等教育すら受けていないんだ。」

「それでもやってこられたのは、あなたに自信と才能があったからだ。」

「ちがう。私以外に家督を継ぐものがいなかったからだ。」

それから、いったい何がおかしいのか、ハリエットは再び笑った。今度は、くすくす笑うような押し殺した声だった。母が笑っていることにマリオンはおどろいた。もちろん幼いころは、母が笑っているところを何度だって見たはずだ。ハリエットとて人間なのだから、笑うのは当たり前のことだった。それでも、仕事相手が今のハリエットを見たら、きっとこんなふうに度肝を抜かれただろう。鉄の女の肌がゴムのように緩むだなんて! 

「おまえならできる。」
 ハリエットは、息子の肩に手を置いた。
「大丈夫だ。おまえは、私やアベルト・マクレターにはない力を持っている。私にはそれがわかる。」

「私にはわかりません!」
 マリオンは言った。
「私ではダメなんです! アベルトが……そして偉大な祖先たちが築いてきたこの家の歴史を台無しにしてしまう。それが怖いのです!」

「そうなったら、それまでのことだ。」

ハリエットは言った。それから杖をついて、ベンチから立ち上がった。去り際にこう言い残して……

「この手紙は置いていくぞ。このあとどうするかは自分で考えろ。私はもう疲れた……」

庭を出るとき、ハリエットは石につまづいて、あやうく転びそうになった。鉄と呼ばれた母がよろめくのを見て、マリオンは信じられない思いだった。でも、彼女の年齢を考えれば……彼女がこれまで歩んできた道の険しさを思えば、それも当然のことだった。ハリエットはもう長くなかった。それから半年後に死んでしまったのだ。孫が生まれる二週間前のことだった。口には出さなかったが、初孫を楽しみにしていたはずなのに。

永遠の眠りについたときのハリエットの肌は柔らかく、寝顔は安らかだった。マリオンは母の意思を継ぎ、家をさらに大きくすることを誓った。

「結局、マリオンは手紙を捨てませんでした。」
 現代の当主、ワーナーは言った。
「それどころか、先代のハリエットの意志を継ぎ、立派な跡取りとなりました。その仕事ぶりにより、マクレター家はかつてのアベルト時代の栄華を取り戻すに至ります。屋敷の暖炉という暖炉に、栄光の火が再び灯ったのです。」

「とても興味深い話だが……」
 私は言った。
「その前に、ひとつ気になることがある。マリオンが手紙を捨てなかったことについて、奥方はどう思ったのだろう?」

「詳しくはわかりません。ただ、のちにマリオンと離縁して家を出ていってしまったそうです。」

「なんと。離婚したのは、これで三組目くらいだろうか……?」

「いいえ。話の中で話題にしなかったというだけで、離婚歴があるのは、アベルトの息子カイト、孫のサース、それからダレン、ナサニアンもです。つまり五組目です。」

「ほう……他意はないのだが、よければ聞かせてくれないか? 君は結婚しているのか?」

「昨年、結婚しました。」

「そうか。」

「話を続けますね。」
 ワーナーは言った。

ヤスタス・マクレター(二代前)

ヤスタスがその手紙を受け取ったのは、牢獄の中でだった。

ヤスタスが石製のベッド(すなわち牢獄の湿った床のことで、便所が頭のすぐ上にある)で寝ていると、夜間であるにもかかわらず、革靴が廊下をたたく音がした。看守の巡回だと最初は思ったが、ところがどっこい予想もしない客人だった。牢の扉がいきなり開いたので、ヤスタスは驚いて顔をあげた。

「これはこれは……」
 ヤスタスは体を起こして、その場であぐらをかいた。
「マクレター家の当主にしてこの街の盟主、マリオン・マクレター殿がこのような場所にお越しになるとは。」

闇夜の牢獄なれど、訪問者のかぶっている煙突のような帽子と、アゴの下まで伸びるヒゲのシルエットは見て取れた。暗闇にすっかり慣れたヤスタスの目でも、顔まではよくわからなかったが、きっと牢獄の床よりも冷たい目をしているに違いない。父マリオンは、息子のヤスタスを見下しているのだから。

「酒場でまた乱闘騒ぎを起こしたそうだな。」
 父は言った。
「いったい何度目だ? おまえを釈放するのにこれまでどれほど金を費やしたことか……」

「そんなこと、頼んだ憶えはないんだがな。」
 ヤスタスは肩をすくめた。
「警察署長に賄賂を払うくらいなら、牢獄の管理人にも寄付をしたらどうだ? ここがきれいになれば、今後も快適に過ごせるってもんだ。」

「賄賂だけではない。おまえがケガをさせた相手の治療費も私が払っているんだ。いささかの慰謝料も含めてな。」

「あきれたな。あんなカスどもにも金を渡したのか……」

「おまえがこれまで報復を受けてこなかったのは、そのカスどもに私が金を渡していたからだ。」

「そんなこと、たのんだ憶えはねぇと言っただろうが!」
 ヤスタスは叫んだ。

その声が壁と床を叩くと、足音がドタバタと聞こえた。父は片手を掲げ、やってきた看守たちを制した。足音はピタリと止まり、間もなくして反対側へと引き返していった。牢獄は再び静かになった。

「まるで猿の曲芸だな。」
 ヤスタスは言った。
「親父殿は、公僕を操るのがお上手だ。」

「そのとおりだ。金で解決できる問題は、すべて金で解決するのが信条でな。」

「だが、金だけじゃカスどもの口を閉じることはできないようだな。」

「どういうことだ?」

「俺が殴った相手は、みな酒場で息巻いて、マクレターの悪口を言っていたヤツらだ。」
 ヤスタスは言った。
「金鉱のジョークを知っているか? いまだに、俺のひい爺さんの爺さんのそのまた爺さんのことを笑い者にするすやつがいるんだぜ。マクレターがどんなに金持ちになろうと、街の連中はみな強欲一族と俺たちを罵るのさ。」

「マクレター家の地位を高めるため、私と母、それに祖父からその祖父に至るまで、一族の者がどれだけ苦労してきたと思っているのだ? だというのに、おまえひとりがそれをぶち壊しているのだ。」

「親父殿は、連中にこびを売っているだけさ。みな金に頭を下げて、腹の底ではマクレターを見下しているんだ。」

「貴様! 私の苦労も知らずに。」

「知りたくもないさ。」
 ヤスタスは言った。
「おふくろも、屋敷を出ていくときにそう言ってたぜ。あんたは金と家督以外に興味のない冷血漢で、心底うんざりだったそうだ。死んだ婆さんの魂が乗り移ったみたいだ、とも言っていたな。」

父は、憎しみをこめてこちらを見ていた。薄暗がりの中、相手の顔など見えるはずもないのに、ヤスタス、マリオン両者ともお互い睨み合っているのを感じ取った。

「それでいったいなんのようだ?」
 ヤスタスは言った。
「こんなしょんべんくさいところに賄賂を払ってまで説教しに来たわけじゃないだろう?」

「そうだったな。」
 父は言った。
「屋敷を出ていったおまえと確実に話せて、誰にも邪魔されない場所があるとすればここだと踏んできたのだが……たしかにこの臭いはいただけんな。小便はともかく、わめき散らす野獣の体臭は不快極まりない。さっさと用事を済ませよう。」

父は、懐から何かを取り出して言った。

「受け取れ。」

「なんだそれは?」

手の平より大きいようだが、暗闇の中でその正体などわかりようもなかった。

「手紙だ。」
 父は言った。

「ほう、そいつが例の手紙か……」
 ヤスタスはうなった。
「うわさでは聞いていたが、まさか実在したとはな。」

「知っているなら話が早い。我らが祖先、アベルト・マクレターの手紙を今日からおまえが預かるのだ。」

「断る!」
 ヤスタスは声を張った。
「何百年も前に死んだバカじじぃの遺言なんざ知ったことか!」

「ご先祖様を愚弄するでない!」
 父も負けじと怒鳴り返した。

「俺たちマクレターがバカにされるのも、もとはと言えばアベルトのせいだろうが! くだらなくてヘドが出る!」

「いいから、手紙を受け取るんだ!」

それからしばらく両者はにらみ合った。真っ暗な顔の中にあるであろう暗い暗い両の目の穴をお互い覗きこんで、決して先に視線を反らすまいと、意地になってそれを見た。それから数分もの間、ふたりの息遣いのほか聞こえる音はなかった。虫の音すら聞こえない静かな夜だと、この時ヤスタスは初めて気づいた。

「なぁ、親父……」
 やがて落ち着きを取り戻したヤスタスが言った。
「今しがた獣と罵った人間にそんなものを渡してどうするんだ? 俺が受け継いだところで、何もかもが台無しになるだけだろう?」

「あいにく私の肉親はおまえひとりだ。ほかに選択肢がないのだ。」

「手紙をこの場で破り捨ててやろうか?」

「それならそれまでだ。」

「本当にいいのか?」

「それが受け継いだ者の権利だ。」

「いやな野郎だな……」

「さぁ受け取るんだ。」

ヤスタスは寝床からついに立ち上がった。それから父の前に来て、その胸を突き飛ばした。

「さっさと出ていけ!」
 ヤスタスは、自ら牢獄の扉を閉じて言った。

「貴様! 開けるんだ!」

「俺の代わりにここに泊まりたいか?」
 ヤスタスは続けた。
「じゃなきゃすぐに出ていくんだな。いや、どちらにしろ俺の方から出ていってやるさ。マクレター家からも、この街からも! 手紙なぞ受け取るものか!」

「我が祖父ヤスタスは、宣言した通り、釈放後すぐ街を出ていってしまいました。」
 ワーナー・マクレターは言った。

「手紙は?」
 私は言った。
「手紙はどうなったのだ?」

「落ち着いてください。」
 ワーナーは言った。
「次の話は、それからさらに二十年後のことです。ラセル・マクレター、つまり私の父と手紙にまつわる話です。」


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